4月30日、忘却の空 | TAKASHI BLOG

TAKASHI BLOG

移ろい行く日々の中で思ったことを心のままに描いていこうと思います
presented by takashings since May 19th 2006

SHIBUYA SKY and DISPLAY

4月が終わってしまう。

早いもので、
会社に入ってから1ヶ月が経ち、
つまりは、学校を卒業してから1ヶ月が経つのです。

あれからどのぐらいのものごとが起こり、
どのぐらいのものが目の前を過ぎ去っていったのでしょうか。


その中で思ったことがある。


被災地以外の人たちは
今回の震災を忘れていっているのではないか?ってことだ。

いや、疑問系ではない。
確実に忘れていっていると感じている。


食料品も品切れしていることがないような風景を見る。
特にコンビニなんてものがないっていうのを見かけない。

節電のために早めに閉店していたお店も
どこも震災前と同じように戻って、
特に何もなかったかのように戻っている。


そう、被災地以外の人たちの生活というのは戻ってきているのだ。

今日から始まっているゴールデンウイークは
みんな旅行に出かけ、これから待ち受けている楽しいことに
目がないような感じなんだと思う。


正直、困ることはオレの行動範囲内ではもうないと思う。


電気は普通に使えるし、
水も普通に出て、
電車も時間通りに動いているし、
買い物も普通にできる。


もうあの日から前の東京に戻りつつあるのだ。




これ、ヤバくないか?


前に何度も書いたが、
しばらくの間被災地の人をフォローするだけではいけないのだ。

何度も言うが、長期間の継続的な救済が求められるのだ。

あれほど加熱していた募金合戦も、
有名人の現地訪問も、
何もかも全てが
一時のことで終わってはいけないのだ。

あまり例えは良くないが、
マッチの火を灯すよりも、
ろうそくの火なのだ。



テレビでは毎日、
今でも被災地のことを取り上げた取材を続けている。


しかし、どれも同じように見えて仕方がない(のは気のせいかもしれないけど)。

被災地で避難所で暮らしている人は
日々の大変な暮らしがあるけど、
その中で希望を持って暮らしている、という流れで、
最終的には「いろいろあるけど、みんな希望を持って生きている」という
キラキラしているような、美化された感じがしてならない。

キラキラだけじゃないはずだ。
そこを美化することはないはずだ。

ありのままを映していかないといけないはずだ。



それも大切なのかもしれない。


だが、現在も被災地で暮らす人たちは
たくさんの問題を抱えているし、
メディアが取り上げないような問題もたくさんあるはずだ。




もしかしたら、
人は手の届くところまでしか
何かをできないのかもしれない。


きっと夏を過ぎた頃には、テレビで流れている
被災地の人を励ますようなものもなくなってしまうのではないだろうか。


もうあの頃とは違う。


オレたちにはオレたちの生活がある。

いろんな事情があり、
いろんな気持ちがあり、
それぞれの思いがある。

その中でオレたちができることだったり、
すべきことっていうのは、
まだまだあるはずだ。


いや、消えないはずだ。

何かをやり遂げても、
まだまだオレたちには課題が残っている。


何かをしていても、
気持ちは常に持っている。

お金がなくても、
ボランティアにいけなくても、
役に立つような知恵がなくても、
気持ちは常にここ(心)にあるはずだ。



忘れちゃいけない。



ずっとオレたちが持つべきものを。


被災地にいる人たちは希望を持てても、
まだまだ足りないものがあるはずだ。

忘れちゃいけない。


自分の生活の中で流されてしまわぬよに。




Q FRONTのモニターが
付いていた。

あの日より前と同じになろうとしている。

忘れちゃいけない。