テレビアニメ『響け!ユーフォニアム3』最終回を残すのみの段階で、一応のまとめ | 作家・土居豊の批評 その他の文章

テレビアニメ『響け!ユーフォニアム3』最終回を残すのみの段階で、一応のまとめ

テレビアニメ『響け!ユーフォニアム3』最終回を残すのみの段階で、一応のまとめ

 

 

 

テレビアニメ『響け!ユーフォニアム3』を視聴して、本作品に隠された悲しい死生観を理解した。あるいは完全な誤解(誤読)かもしれないのだが、本作は滝先生が亡くなった妻の夢をかなえる物語だった、と考えると納得がいく。物語を、滝先生を中心として考えると、本作パート1の最初からパート3の終盤まで首尾一貫している。亡き妻の母校の吹部を全国金賞に導くこと。全てはそこへ向けての3年間だった。

そう考えると、パート3で唐突に現れた「黒江真由」という強力なユーフォニアム奏者の存在も納得がいく。彼女が、北宇治吹部の最強の手駒である高坂麗奈とソリを吹き、全国大会で金賞をとる万全の流れだったといえよう。ところが途中で狂いが生じ、府大会では真由よりも、部長の黄前久美子がオーディションを勝ち取る。しかしそれもうれしい誤算であって、両者が競い合ってますます強力な演奏が結果的に実現する(はず)。

と、ここまでは、原作の締めくくりを読んだ上でまとめてみたのだが、最終回の展開がもし原作通りだったなら、この説は完全に正解として完結することになるのだ。

 

さて、ここまで『ユーフォ3』を視聴して、リアルタイムでX(旧ツィッター)に書いた感想・批評をまとめておこう。最終回を見届けたら、最終的に京アニ作品『響け!ユーフォニアム』を振り返って批評したい。

 

 

『ユーフォ3』リアルタイム・ポスト(ツィート)

 

2024年5月12日 「第7回 なついろフェルマータ」を視聴して。

 

今日の「ユーフォ3」は、非常に好みの分かれる回だっただろう。いや、モヤっているのは私ぐらいか?

キーワードは「滝先生を神格化」と「全国で金賞」、「音楽に関わる仕事」。

これはもう、ゼロ年代後数年までしかリアル感がない言葉かもしれない。

まあ、昭和に気楽に吹奏楽部やってた感覚とは全く違うのだが、それでも、平成世代が今の「ユーフォ3」に感動しているのをどうこういうわけではない。ただ、今、現に中高生だとして、高校生活を「全国で金賞」に全て捧げることは、どのくらい現実味があるのだろう? 全てファンタジー、と捉えて作品を楽しめるなら、それでいいのだが。『けいおん!』のように。

いまの中高生が音大進学を考える場合、「音楽に関わる仕事」につながればいい、とそこまで割り切って考えられるものだろうか? 進学後かかる費用と、そこに至るレッスン代や楽器のあれこれを全部納得して?

全国の中高生の吹奏楽部人数が何人になるのか? 全ての中高生の中で、それなりの比率にはなるだろう。けれど、音大進学できるのはほんの少数であり、またその中からプロの音楽家になるのはまたごく少数だ。それは昭和の頃から変わらないが、昔は「音楽に関わる仕事=音大進学」という認識はなかった。

 

 

6月2日 「第10回 つたえるアルペジオ」を視聴して。

 

これは言っても詮無いことだが『響け!ユーフォニアム3』は、物語がかつてなく重苦しいのに演奏場面がほぼないため、物語自体がいったい何のために語られているのか、視聴者に伝わらなくなっている。

音楽系部活経験者としては、色々問題が起きても、合奏で演奏してる間だけはモヤモヤを忘れられた。「ユーフォ3」の苦悩に満ちたモヤモヤ感も、本来なら合奏で音楽に没入する時間がある程度解消してくれるはずではなかったか。

ところがその音楽場面がほぼないため、視聴者は悩ましい時間だけを味合わされ、視聴後に辛い思いしか残らないことになっている。本当に観ているのが辛い作品になってしまっている。

現状、京アニの限界かもしれないので言っても仕方ないが、それでも『ユーフォ』1、2、劇場版『誓いのフィナーレ』、『リズと青い鳥』の過去作品では、ここぞ!という演奏場面が必ずあった。音楽の素人にも、演奏によって部内のあれこれが昇華されたのが伝わっていたはずだ。劇場版『アンサンブルコンテスト編』にもそれがなく、『ユーフォ3』にもまだないので、視聴者もメンタルを削られるばかりだ。

 

 

6月9日 「第11回 みらいへオーケストラ」を視聴して。

 

最後は久美子の言葉でみんな、納得、か。物語の中の吹部メンバーたちには、それもありだろう。しかし、言葉だけでいいなら、小説でいいんだ、ほんとは。

今回もまた、滝先生批判をせざるを得ない。教師ならせっかく悩みを吐露しに来た生徒に、飴玉(ラムネだが)なんかあげて誤魔化して、悩みを全部吐き出させる機会を潰すなど、愚かすぎる。唯一の機会を逃したせいで、生徒は決定的に間違えてしまうかもしれないのに。

その後の滝先生がどんな練習をしたか描かれてないが、あの気まずい空気の合奏前の様子を滝が何も手を打たず、久美子の言動のままに任せたことは、吹奏楽の指導者・指揮者としても失格では?

もし本番直前に久美子があの演説をしなかったら、気まずいまま本番になったのだ。

滝先生が、教員としての自覚皆無だが指揮者としての仕事には集中している、と仮定しても、指揮者の仕事は演奏者の気持ちを盛り立てて、普段よりいい演奏を引き出すことだ。滝のやり方では、もし久美子の演説がなければ、気持ちがモヤったままで演奏者たちは実力を発揮できない。

結果オーライではあるが、滝先生のコンクール本番前の合奏での、あの歯の浮くようなほめ言葉は、それまでモヤったままだった生徒たちに、ますます不信感を抱かせただろう。あのままの雰囲気で本番前まで練習を続けたとしたら、生徒たちを褒める根拠がないからだ。

本作が音楽アニメであるより先に青春ドラマだとすれば、演奏シーンは最小限で生徒同士の心情描写に特化しても構わない。だがそれにしては中心キャラたちの心情の描き方が浅すぎる。その原因は、視点人物の久美子が一番心情を乱していることにある。他のキャラの心情描写が不足なのだ。物語の主軸を彼女の言動に置いてしまった脚本のミスだ。

ただでさえ過剰な人数を描き分ける群像ストーリーなのだから、視点人物は観察に徹してくれないと、人間関係が一方からしか描けなくなる。今回のいざこざも、久美子目線からしか描かれない。

あえて比較するが、吹奏楽部をモチーフとしたアニメ『ハルチカ』は、今回の『ユーフォ3』に似てほとんど演奏場面がない。その代わり、原作での1話完結の日常ミステリーが、学園生活を背景として毎回見事に描き出される。それに対し、『ユーフォ3』は日常ドラマとしても劣る。

滝先生は演奏者出身の新米指揮者・教員だが、同じく吹奏楽アニメ『ハルチカ』の吹部指導の先生である草壁は、滝と正反対に吹部生徒の日常や心情に細かく気を配っている。アニメ作品としての『ユーフォ3』と『ハルチカ』の差は、大人のキャラがきちんと描き込まれているかどうかにある。

 

本作の違和感の理由に気づいた。1つは北宇治吹部の演奏シーンが少なすぎてコンクール全国レベルなのかどうか実感がないこと。

2つ目、滝先生の実力が描写されないことだ。

指揮者の実力?と思われるかもしれないが実は指揮者の実力を明確にわからせる方法がある。それは北宇治吹部以外の楽団を指揮・指導する場面を挿入すること。こういうのは常套手段で、指揮者が真に優れていれば、常任の楽団以外でもその手腕で良い演奏を引き出すことができる。そうしてこその指揮者なのだ。滝先生は、そのレベルではないように思えてならない。

だから、視聴者は北宇治吹部員が滝先生を信じてついていく気持ちを今一つ納得しにくい。

とすれば吹部各自の演奏力向上を描くしかないのだが、その描写が3期にはない。だからコンクール全国金賞!がただの言葉になってしまう。となると、部員間の不信感だけが納得できてしまう。

というわけで、本作では吹奏楽部の描写が足りなさすぎて、その中の人間関係のあれこれが腑に落ちず、その分だけ、これでもかと描かれるキャラ同士の不信・不仲が強く伝わってしまう。

人間ドラマに特化して描くのはいいが、今回は視点人物が主役自身、ということがマイナスになる。

群像劇の視点人物は、作者の神の視点か、誰か語り手を設定するならなるべく客観視できる立場の人、というのが基本だ。今回の場合、吹奏楽の演奏をほぼカットして人間ドラマに徹するなら、語りの視点を久美子以外にする方がよかった。終盤まで、主要人物たちの心理描写が不足すぎる。

 

ところで、『ユーフォ3』の視聴者はほとんど、滝先生については疑問なしということなのだろうか?だが、部活アニメで、顧問、指導者をどう描くか、は作品テーマに関わる。

部活アニメ・マンガにおける顧問、指導者の重要性は、ほとんど論じられないが、ちょっと考えたらわかる。

野球マンガなら、『ドカベン』の歴代監督の存在感(影の薄さも)。

音楽系マンガなら、『けいおん!』の場合と『ぼざろ』の場合の差。

『黒子のバスケ』なら、各チームの監督たちの個性。

部活フィクションの場合、顧問や指導者が放任か熱血か、無手勝流かなどでメンバーの活躍が全く変わる。

『響け!ユーフォニアム』の滝先生は、予選落ち校の吹奏楽部をいきなり全国に連れて行く実力ある指導者の設定だが、アニメ版では指導者としての説得力が描かれてない。単なる設定になっている。

口うるさい音楽ファン目線であえて言うと、滝先生の指揮は下手だし、演奏者を見てない。練習の進め方もまずい。演奏者が自発的に音楽するよう持っていく指揮ではない。かといって全てを的確にコントロールする指揮法でもない。だから、全国レベルに吹奏楽部を連れて行く指導者にはみえない。

 

 

6月21日

12話の予告映像を観た。やっぱり「ユーフォのソリのオーディション対決」が3期のクライマックスになるのか?しかし、これまでの展開から、どういう結果になってもハッピーエンドにならないように思ってしまうぞ。予告編も、みんな暗い顔、深刻な顔してる。それで本当に全国金取れるのか?

ウルトラC!を思いついた。

久美子と真由の公開オーデのあと、滝先生が、ユーフォ2人とも吹くことに決める、というので全て解決!

久美子と真由のユーフォニアムと、麗奈のトランペット3人のソリで、主役3人の三角関係も演奏で決着、という趣向だ。これで全て解決!

ただ、これでは金賞はとれないだろうなあ。

 

 

6月23日 「第12回 さいごのソリスト」

 

もし次回の最終話で、北宇治吹部が全国金賞を取れなかったという結末なら、それなら納得だ。

オーディションで、耳で聴いて決めた結果だけが正しいというのなら、そもそも学生の吹奏楽コンクールなど意味がないからだ。それは、プロがやることだ。学生の部活の音楽は、正しさより感情のほうが大切なはずなのだから。

もし、北宇治は全国金賞に届かず、のびのびと音楽をやる源ちゃん先生(北宇治吹部・弦バスの月永求の祖父)の高校が金賞、なら、納得の結果だ。

滝先生の「正しい人」が好きという言葉はプロの発想だ。「正しい」=「勝つ」ならそれは競争原理そのものだ。学校の音楽にはふさわしくない。学生の頃は、正しさなど誰にも見えてはいないからだ。

 

ところで、またもや、滝先生を批判しなきゃならない。

なぜなら、滝は公開オーディションなどさせてはならなかったからだ。あくまで滝がソリのメンバーを選び、結果がどうあれ最後の責任は、指導者たる滝が背負わなければならないはずだったからだ。指揮者は最終的に演奏の全責任を負うから、指揮者なのだ。

そもそも初めから、滝は生徒の意思を尊重という建前に隠れて、指導者の自分が最終責任を負うという姿勢を見せない。それは教師としても指揮者としても卑怯だ。

もう一つ、公開オーディションで麗奈にも一票入れさせるのはダメだ。ソリを一緒に吹く共演者が、演奏しながら冷静に聴いて判断できるとは限らないからだ。公開オーディションの投票者から、麗奈は外すべきだった。

滝が久美子に言う「正しい人」と言う言葉は、どうも滝のキャラに合わない。滝は原作の最初の設定で、「ホルンとトロンボーン」をうまく吹ける、とあった。だが、どちらも「正しさ」とはかけ離れた楽器だ。むしろ滝の日頃の神経質な言動は、ダブルリード楽器か打楽器を思わせる。

滝が吹けるという「ホルン」と「トロンボーン」は、金管楽器の中でも特別に融通のきく楽器だ。ホルンは金管でもっとも音域が広く、倍音が豊かで、それゆえ木管楽器ともアンサンブルでよく合わせられる。その反面、正確な音程やアタックが非常に難しい楽器だ。

トロンボーンは、金管で唯一のスライド楽器、その特徴は、音程もアーティキュレーションも、すべて融通無碍にできるということ。他の楽器に合わせることに最も適した楽器だ。その分、正確さ、ということには適さない。滝はこのどちらも性格的に向いていないようにみえる。

最後に、蛇足だが、滝先生は久美子に1年時から妙に愛着がある。こののち、久美子は滝と男女の仲になってもおかしくない、親密感がある。もしそうなれば、久美子と麗奈との友情も、それまでとなるだろう。

 

12話放映後、X(旧ツィッター)界隈では「原作改変」がトレンドだ。

改変された点で唯一よかったのは、久石奏が次のヒロインで確定?といってもいいぐらいに見事なキャラクター造形だったことだ。次の映画?で奏主役のスピンオフ作品を、ぜひお願いしたい。

「原作改変」がトレンドということは、なるほど原作既読勢が多いのか。だから今期はあれほどタイムラインが荒れるのだなあ、と。原作の展開が青春ものとしては王道だと思う。いくら原作者自身が擁護しても、あくまでアマチュアの音楽を描いているのだから、「正しさ」なんか求めてない。

それに、優秀な奏者である秀一やみどりや奏が、音だけでも久美子を選んだのだから、最後にプロ志向の麗奈が「正しい」音を選んでも、それはみんなで作る音楽の姿じゃないと思う。プロ志向の発想で、青春ものの音楽物語を「正しさ」などで決めるのは、興醒めだ。

滝先生が久美子に「正しい人」が好き、などと答えていなければ、久美子は真由の「わざと手を抜く」提案に乗ったかもしれない。それで丸く収まる方が、群像劇としての青春ドラマにはふさわしいといえまいか。この物語はプロ志向の音楽学生のドラマじゃないのだから。「のだめカンタービレ」じゃないのだから。

ともあれ、今期の京アニは、主役の女子たちを泣かせる、涙の描写に全てを賭けた、ということだけは伝わった。

でも、このまま次の最終回で全国金賞を取って「よかったねー」で終わるなら、物語としては浅すぎる、といわざるを得ない。あれだけ彼女らを泣かせたなら、いっそ最後も悔し涙で締めくくるのがいい。

 

最後に、

#ユーフォ3期

#原作改変

など、『響け!ユーフォニアム』関連ワードがXのトレンドなのだが、私はこの現象に、実は既視感がある。

それは、10年以上昔、深夜アニメで、あるエピソードがほとんど同じストーリーなのに細部をちょっと変えただけで、8回も繰り返し放映された、あの事件だ。

今回の『響け!ユーフォ』の「原作改変」騒動は、かつて京アニが『涼宮ハルヒ』2期で物議をかもした「エンドレスエイト」、あれの再来では?

主犯は、Xで話題となっている脚本家の花田氏ではなく、石原監督ではないのだろうか?

「エンドレスエイト」騒動をやらかした原作クラッシャーとして、前科がある石原監督だけに。

とにかく、今回も話題にはなったのだ。

 

 

 

 

※関連の文章紹介

 

土居豊の論考

最新の寄稿

【京アニ事件と『涼宮ハルヒ』 本当に小説・アニメが犯行の引き金なのか?:事件裁判の経過を通じてもう一度、小説・アニメ『涼宮ハルヒ』シリーズと京都アニメーション事件の関係を考える】

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/6/1/6_53/_pdf/-char/ja

 

 

(1)

『こころの科学とエピステモロジー』Vol. 5,2023

土居豊の論考へのリンク

映像メディア時評「京アニ作品の死生観」論 2 

【音楽アニメの死生観~『けいおん!』『響け!ユーフォニアム』の場合】

 

https://drive.google.com/file/d/1LiQMddCzsAct4Bk_WlSMwxgXbAAkWEDX/view

 

 

(2)

『こころの科学とエピステモロジー』2022年4巻1号

映像メディア時評「京アニ作品の死生観」論その1【ミステリーアニメの死生観〜『涼宮ハルヒ』とP.A.WORKSの『Another』、そして『氷菓』】

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/epstemindsci/4/1/4_103/_pdf/-char/ja

 

 

(3)

電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』3号

土居豊の担当した文章へのリンク

『京アニ事件の深層―京アニ事件総論』

 

https://drive.google.com/file/d/1KAcE6n04c3W726AhAgcMRSUttvPKfVIl/view

 

『京アニ事件の深層―「京アニ作品の死生観」試論』

 

https://drive.google.com/file/d/1bz3WOIykQOJUwpssYShbbdp60Ug-jllz/view

 

 

(4)

映像メディア時評『人文死生学研究会番外編「涼宮ハルヒ」+付記:京都アニメーションお別れの会参列報告』

 

https://drive.google.com/file/d/1nLmDGHfDji2Si6u5kduqCCbbsv8OBXgq/view

 

 

 

※土居豊の京アニ関連の評論本

 

『ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』(大学教育出版)

https://www.kyoiku.co.jp/00search/book-item.html?pk=875

 

 

『沿線文学の聖地巡礼 川端康成から涼宮ハルヒまで』(関西学院大学出版会)

http://www.kgup.jp/book/b146062.html