映画「ガンダムSEED フリーダム」初見の感想 (ネタバレします | 作家・土居豊の批評 その他の文章

映画「ガンダムSEED フリーダム」初見の感想 (ネタバレします

映画「ガンダムSEED フリーダム」初見の感想

(ネタバレします。まだ鑑賞していない方はご注意ください)

 

ガンダムSEEDとSEED Destinyの両方を観てきた人は、絶対に観るべき映画だ。

これまでガンダムSEEDシリーズを観なかった人も、これを機会に、ダイジェスト版で予習してからぜひ観てほしい。

シリーズ完結編としては、実に秀逸な締めくくりだった。

あまりに情報量が多いため、細かい部分をまだ消化しきれないが、結末も文句なしだし、展開も王道のエンタメ映画。しかも、コミカルな演出があちこちにあって、SEEDテレビシリーズのコミカルな部分をしっかり引き継いでいる。

Destinyの陰鬱な展開に辟易して、観ていなかった人も、SEED無印のテレビシリーズの完結編としてみることができるはずだ。

主要キャラたちの特徴をデフォルメして、初見にもわかりやすい描き分けがされているが、昔からの視聴者には、懐かしさで思わず声が出そうになるだろう。

1本の映画にまとめるには、あまりにエピソード要素が多すぎるため、詰め込みすぎなのは仕方がないが、それでも可能な限り練り上げられたシナリオで、とにかくもDestinyテレビシリーズで残された懸念を、うまく解決していた。

 

 

 

 

 

 

 

以下、ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この物語で、コズミック・イラの物語はめでたし、となるはずなのだが、唯一の懸念は、各カップルに子孫ができるのかどうか、だけだ。

すでにテレビシリーズで、この世界でのコーディネーターに、なかなか子どもが生まれないという少子化の危機感が語られていた。コズミック・イラ世界の人々が、少子化をどう克服するか、もちろんそれはまた別の物語である。

 

 

以下は、SEEDテレビシリーズの視聴者として、本作映画で注目した点を列挙する。

 

 

 

 

 

 

 

以下、映画本編のネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、筆者はメイリン推しなのだが、十分満足できる展開だったことが嬉しい。

(一人言:映画の構図として、彼女のお尻が妙に目立つ角度での場面が気になった)

 

 

ラクスが最後にキラと合流した際の、ノーマルスーツ?は、「エヴァ」のプラグスーツや、あるいは「ダーリン・イン・ザ・フランキス」のスーツとコクピットを連想させるデザインだった。

最後のキラとラクスの2人コクピットも、敵方の二人乗りも、「エヴァ」のダブル・エントリープラグを踏まえていることがうかがえる。2人の共同作業で戦うスタイルが、「ガンダム」シリーズにも定着していることに感心した。

 

 

ステラのゴーストが最強だった。ルナマリアは、シンと一緒に寝ていて夜な夜なあれに脅されてないのかな?

 

 

アスランの思考遮断術は妄想全開で、シンはそもそも何も考えてない、この対比は、まるで技の剣と無想の剣。

 

 

アスランの「俺の知ってるラクス」発言に皆がザワザワするのは、もしかして元婚約者だというのを忘れているのか?

 

 

シンが撃墜され帰ってこないかもしれない時、2人の部屋でルナマリアが悲しむベッドの手前のデスクに、シンの妹マユのガラケーがまだ置いてあるのが、泣けた。

 

 

化けて出た?ステラのことを考えてふと、思ったのだが、ムウの記憶が戻った時点で、ネオの頃の記憶は保たれていたのだろうか。つまり、ネオだった頃の、ステラの記憶は今のムウにあるのだろうか。シンとステラのいきさつを、ムウはちゃんとわかっているのだろうか。

 

本作についての考察は、引き続き考えて、文芸批評で書き継ぐつもりだ。