大阪市音楽団と、橋下維新と、吹奏楽部の民間委託〜吹奏楽は自腹でやるもの?
大阪市音楽団と、橋下維新と、吹奏楽部の民間委託〜吹奏楽は自腹でやるもの?
今年、「Osaka Shion Wind Orchestra」、旧・大阪市音楽団は創立100年だという。
維新というより橋下・元大阪府知事・元大阪市長のやった大罪が、この大阪市音楽団の市営からの切り捨てだ。
創立100年になるプロ楽団を潰そうとした。大阪市音楽団は、大阪市民のものだったのに、あっさり切り捨てた。
民営で何とか生き残ってきたが、橋下時代から15年、大阪市民が失った音楽文化の恩恵は計り知れない。
そもそも、簡単に100周年というが、創立100年のプロ楽団というだけで、世界的にもなかなかない貴重な存在だ。
だが、橋下大阪府知事・大阪市長の改革は、100年近い音楽文化の蓄積が市民には不用だ、という判断だったわけだ。さらに、当時からそれを熱烈に支持した市民・府民が多数いたのだ。おそらく、今も同じだろう。
日本の吹奏楽文化は欧米の場合と比べて独特なもので、戦後、主に学校部活が吹奏楽活動の中心となってきた。そういった学生バンドの手本役を、長年担ってきた楽団の一つが旧・大阪市音楽団だった。
橋下府知事・市長時代に、大阪市のプロの吹奏楽団は無駄だ、と切り捨てた事実は、今、学校部活の吹奏楽のあり方に疑問が出ていることと無関係ではないといえる。これは、ちょっとわかりにくいかもしれないので、丁寧に書いてみる。
学校部活の吹奏楽がコンクール至上主義に陥った結果、必然的に生徒も教員も家族も加熱しすぎる部活動に疲弊し、他の運動部の場合と同じく、民間への委託が議論されている。それはつまり、吹奏楽のジャンルの今後のあり方として、公共の楽団として再編成される方向性が議論されているのだ。
だが、そういった時代の流れと裏腹に、大阪市の維新政治が全国唯一の市営のプロ吹奏楽団を切り捨ててしまったことは、自治体がプロ楽団を維持することを無駄だと判断したことになる。
これはつまり、大阪府市の、橋下維新の政治による軽率な判断が、ジャンルとしての吹奏楽の存在意義に、少なからぬ傷をつけてしまったといえるのだ。言い換えると、吹奏楽は民間がやるべきもので、公共の音楽活動として税金を使う対象ではない、と決めてしまったことになる。
この考え方は、こののち回り回って、学校部活の吹奏楽を民間委託する場合にも適用されかねない。大阪市音楽団を無駄扱いした事実が、「音楽は全部自腹でやれ」という短絡的な判断の前例として、全国的に定着しかねないからだ。
だが、これは、なかなか理解されないだろうと予想する。現在の日本では、「音楽活動は自腹で」が常識のようになっているからだ。
けれど、それは短絡的な発想だ。特に学生の吹奏楽の場合、音楽活動をする素地を誰がいつ、どう育む手助けをするか、が肝要なのだ。
そもそも、音楽の素地は公教育で育むしかないのだ。そうでないと、近代社会のように上流家庭しか正統な音楽教育を受けられなくなりかねない。
事実、現状の日本では、正統の音楽教育を受けられるのは、富裕な家庭以外はなかなか難しい。現実の公教育の音楽教育で育める音楽的な素地はたかが知れており、その子がよほど努力することと、家庭がよほど無理をすることでしか、音楽の才能を開花させることは実現しにくい。
そこで、日本では戦後からずっと、小中学の「部活」を音楽という公教育課程の代理にして、誤魔化してきたのだ。本来の教育課程の外で、教員もボランティア的に指導し、子どもも放課後の自主的な活動で、音楽的な素地を発展させようとしてきた。もちろん、最初からお金をかけて音楽のレッスンを受けられる余裕のある家庭の子は、近代社会の場合と同じく、英才教育を受けて才能を開花させてきた。
長年、日本では、本来の公教育が担うべき、つまり税金をかけるべき正統な音楽教育を、ボランティア的に「部活」で代替してきた。このことのしわ寄せは、指導者役の教員にも、資金担当の個々の家庭にも、そして学業との両立が難しくなってしまう子ども自身にも、全てにかぶさっていくことになった。言い換えると、無理に無理を重ねた結果、現状の音楽教育レベルはかろうじて維持されてきた。
ここで、話は大阪市音楽団の廃止に戻る。
橋下府知事・市長時代の大阪府市で、公金でのプロ楽団の維持を切り捨てた事実は、音楽教育の公的意義を否定した点で、人々に決定的な影響を与えた。音楽は公共の予算ではなく、やりたい人が個人でやればいい単なる趣味なのだ、と宣告されたことになるからだ。
これとほぼ同じタイミングで、日本では文科省・自公政権の教育改革が情操教育を軽んじる方向に進み、中学高校での芸術科目の時数がどんどん減っていった。それは芸術教科の教員の削減、地位の低下とセットだった。
公教育の中で音楽教育は最小限に減っていき、つまりは「音楽やりたければ自腹で」とされていく。公教育が本来担うべき音楽教育の素地を、家庭の自腹に丸投げすることは結局、富裕な家庭しか正統な音楽教育を受けられない方向へ、つまり近代社会への退行を意味するのだ。
情操教育と教養としての音楽の地位は、どんどん貶められてしまい趣味扱いされていく。それは日本の音楽文化を将来的に損なうだろう。いや、すでに損なわれているのかも知れない。
最後に、橋下時代の大阪府政市政とその後の維新政治が切り捨てた音楽文化は、「100年」に届こうとしていた貴重なものだったのを忘れてはいけない。日本人は100年ぐらいでは長いとも思わないかもしれないが、楽団が100年維持されることは世界的にも貴重なものだ。その値打ちを低く扱いすぎたのだ。
※参考記事
《大阪市音楽団の存否「一から考える」 橋下市長 日経2012年1月19日》
https://www.nikkei.com/article/DGXNASHC1904C_Z10C12A1000000/
《日本で最も古い交響吹奏楽団とされる大阪市音楽団について、同市の橋下徹市長は19日、「一から(あり方を)考える。存続という結論ありきでは考えない」と話し、運営の見直しを示唆した。1923年結成の大阪市音楽団の楽団員は大阪市の職員。人件費は年間約3億8千万円を計上しており、橋下市長は楽団の活動意義を認めながらも、文化行政見直しの一環として「お金の使い方を抜本的に見直さないといけない」と話した。同楽団は定期公演のほか、中学や高校の生徒を対象とした講習会を実施。甲子園球場(兵庫県西宮市)で開催される選抜高校野球大会の入場行進曲を演奏し、録音していることでも知られる。橋下市長は「いろいろな意見が出ると思う。最終決定は行政の反論とか意見を聞いてから」と述べた。》
《なにわの文化 補助金廃止で変わったものは 産経2015/10/18》
https://www.sankei.com/article/20151018-2P6W4CEMCFLFPFMHVZ5CW42RRY/
《大阪市、橋下改革で民営化の吹奏楽団に寄付復活 「自立目指す方向変わらず」吉村市長 産経2018/2/9》
https://www.sankei.com/article/20180209-UMBNWJHXI5OJLED6CBUTMZQZIY/
※参考資料
HPより
《2023年(令和5年)Osaka Shion Wind Orchestraは、おかげさまで創立100 周年を迎えます。
1923 年(大正12年)に誕生以来、大正・昭和・平成・令和と100年の歴史を歩んできました》
《1923(大正12年)
元第四師団軍楽隊の有志で、「大阪市音楽隊」を結成。中央公会堂にて記念演奏会を開催》
《1946(昭和21年)
6月 大阪市音楽団と改称、団員40名》
《1950(昭和25年)
5月〜10月 「たそがれコンサート」(天王寺音楽堂)を開始。全国の発祥となる》
《2012(平成24年)
市政改革プランにより「大阪市音楽団」の廃止が決定》
《2015(平成27年)
「大阪市音楽団」より「Osaka Shion Wind Orchestra(通称Shion)」と改称》