映画『ゴジラ』(浦澄彬の批評アーカイブ15) | 作家・土居豊の批評 その他の文章

映画『ゴジラ』(浦澄彬の批評アーカイブ15)

ゴジラはなぜいつまでも日本を襲うのか? (2001.12.22)
今回の『ゴジラ』は見逃せない。なにせ、平成「ガメラ」シリーズの金子修介監督が撮るというのだ。この
人、ゴジラを撮りたくて果たせず、その代わりにガメラをやったという。その思い入れを是非見たかった。
しかし、作品としては、今回の『ゴジラ』はいささか無理のある仕上がりだった。
文句をつければきりが
ないが、ひとつだけ言うと、もはや原爆と戦争の象徴としてのゴジラは、存在意義を失っている。1作目と
直接結びつけようとするのは無理がある。その意味で、見事に上質の娯楽作品としてゴジラを蘇らせた
大森一樹監督の方が一枚上手だったといえよう。
 
それにしても、なぜゴジラは繰り返し日本を襲ってくるのか? 
それは、ゴジラが今の日本で唯一の
たたり神だからである。
『もののけ姫』にも描かれた「たたり神」は、日本の信仰の原型といってもよかろう。
怨みをもってたたる荒ぶる神を鎮め、慰めるために、人々は祈る。
ゴジラは、先の大戦の死者たちの怨み
を体現した存在である。日本があの大戦のことで屈折した感情を引きずる限り、ゴジラは何度でも襲って
くる。そのたびに、ゴジラの物語を語り継ぐことで、あの大戦の死者への鎮魂の代わりとしているのである。

本当に大東亜戦争のことを真正面から語り継ぐことができるようになった時、ゴジラはその使命を終え、
忘れられていくだろう。
 
それにしても、『ゴジラ』と『ハム太郎』を同時上映とは、無茶である。東宝の台所事情はそんなに苦しい
のか。子供たちは、ハム太郎で笑ったあと、この恐ろしいゴジラを見て、その夜、うなされなければいいの
だが。