朝比奈隆のブルックナー(浦澄彬の批評アーカイブ11) | 作家・土居豊の批評 その他の文章

朝比奈隆のブルックナー(浦澄彬の批評アーカイブ11)

朝比奈隆という奇跡 (2001.7.8)
 7月7日の七夕の夕方、大阪のザ・シンフォニーホールで、朝比奈隆指揮の大阪フィルハーモニーによる
ブルックナーの交響曲第8番のコンサートがあった。
 
90歳を越えた巨匠による演奏には、もう次はないかもしれない、という緊張感が漂う。ステージにテレビカ
メラが何台も並び、ものものしい雰囲気である。
 
そでから登場した朝比奈氏は、さすがに老け込んだ様子で、タクトを振る腕が重そうだった。
痛々しい姿で
振りつづけるが、曲の方は、実にきびきびとイン・テンポで進んでいく。1楽章のコーダの凄絶な響きに、鳥肌
が立った。
 
驚くべきことに、楽章が進むにつれて、朝比奈氏に生気が蘇ってきた。
3楽章の長大なアダージョを、実に
丁寧に、劇的に組み立てていく様は、まさしく職人芸だった。
今の指揮者で、このアダージョをこれほど深く
掘り下げて表現できる人はいないだろう。
 
休みなしに4楽章に突入し、フィナーレを目いっぱい輝かしく締めくくった後、ホールに熱狂的な拍手とブラ
ボーの声が満ちた。
拍手に応える朝比奈氏は、悠然として、オーケストラを称えながら、楽員と言葉を交わし
ていた。
 
人間というのは、おそろしい力を持っているものだ。90歳をすぎた老人が、1時間半もある大曲を、しっか
りと立ったままで指揮して、気迫に満ちた演奏を聴かせるのである。この力は、どこからくるのだろう。
 
朝比奈氏は、足が立つうちは指揮を続ける、という。音楽家というものは、多くが死ぬまで現役を続ける
が、その気力は、芸の道を極めようとする信念から生まれるのだろうか。
 
明治生まれの巨匠の目に、平成の没落しつづける日本の姿はどう映っているのだろう。
 
それでも、あの演奏の現場に接した人は、しっかりと立って棒を振りつづける朝比奈氏の姿を見て、自分
が一つの奇跡に立ち会っていることを感じとったはずである。
人間の力を信じて、生き抜いていこうとする
勇気を与えられたのは、私だけではなかったと思いたい。