ジュゼッペ・シノーポリの死を悼む(浦澄彬の批評アーカイブ9) | 作家・土居豊の批評 その他の文章

ジュゼッペ・シノーポリの死を悼む(浦澄彬の批評アーカイブ9)

マエストロ・シノーポリの思い出 (2001.4.21)
今日の夕刊で、イタリアの指揮者ジュゼッペ・シノーポリ氏が亡くなったことを知った。
オペラを指揮中に
心臓発作で倒れて、そのまま帰らぬ人となったという。
 
シノーポリ氏には、個人的に思い出がある。
1988年、マエストロがフィルハ―モニア管弦楽団と来日して、
マーラーの第8交響曲を演奏したのだが、そのコーラスに私は参加していた。
素人合唱団の一員として、有名な指揮者とオーケストラと共に歌えるというのは、貴重な体験だった。大学の3回生だった私は、リハー
サルで初めてマエストロの顔を見て、大いに興奮していた。写真そのままの髭面に丸眼鏡、大変エネル
ギッシュな指揮ぶりに、たちまちひきこまれて、懸命に歌っていた。
 
シノーポリ氏は、当時、マーラーやプッチーニのCDを出して、世界的に名が知られていた。指揮者であり
精神科医でもあるというマエストロの演奏は、作曲者の心理の襞にまで踏み込んだ解釈で聴衆をひきつけ
ていた。
88年のマーラーの第8交響曲も、たいてい祝典的に演奏されるこの曲を、非常に精神的に掘り下
げた解釈で異彩を放っていた。
 
コンサートは、大阪フェスティバル・ホールで行われた。ゲネプロの後、若かった私は友人たちとマエスト
ロの楽屋に押しかけて、ちゃっかり楽譜にサインをせしめて大喜びだった。
 
なにしろ出演者の人数が多く、あの広いホールのステージがすしづめになって、コーラスはコンサートの
間中、立ちっぱなしだった。とてもくたびれたが、演奏はすばらしいものになった。
 
マエストロは享年54歳、まさかこんなに早く亡くなってしまうとは、思いもしなかった。その奏でた音楽と
同じく、劇的な最期だった。謹んでご冥福をお祈りする。