ジョルジュ・ルオー展(過去の批評アーカイブ12

ジョルジュ・ルオー展
神戸の大丸で、ジョルジュ・ルオー展をやっているので、ぎりぎり最終日に駆けつけた。
これは、東京の出光美術館のコレクション展であり、『受難』の挿画連作をまとめて観ることのできる、貴重な機会だった。印象をいくつか並べてみる。
『辱めを受けるキリスト』と、『キリスト』(いわゆる青いキリスト)のコントラストの見事さに感嘆する。前者では、まるで糞尿をぶちまけられたようなキリストの半身の汚れ方を描いて、その汚れ自体から発する神々しさが感じ取れる。後者は、青を基調に、まるで陶器に埋め込まれたようなキリストの顔の、大きく見開かれた限りなく優しい眼差しが、清々しい美しさを湛えている。
ルオーの分厚い絵の具の塗り重ねは、レリーフか彫刻のようで、構図も宗教画特有の枠組みにはまっている。そのために空間が固定され、永遠性を表現するのである。
ところで、ルオーは、ギュスターブ・モローの弟子で、宗教画の巨匠であるが、そのコレクションが東京にあったとは、今回恥ずかしながら初めて知った。思うに、日本の美術館は、意外に多くのすぐれたコレクションを蔵しているようである。もっと、そういうコレクションを、常設展としてアピールしてほしい。
昨今、芸術鑑賞ブームなのかどうか知らないが、年に何度か、主に新聞社などが主催して、国外の有名美術館の収蔵品を大掛かりに来日展示する催しが開かれる。しかし、そういう展示は、いつでも大入り満員で、行列を作って絵をながめるという、欧米ではおそらくありえないやり方で鑑賞せざるをえない。それがいやで、こういう大掛かりな企画展には行かなくなった。
だいたい、今日日は昔のように、「幻の何とか」、といった呼び方が本当に当てはまる美術作品など、なくなったのではあるまいか。いつまでも、「上野にパンダがやってきた」式の見せ方しか、マスコミは考えないのだろうか。
それよりも、もっと国内の美術館の収蔵品を、どんどんアピールして、いつでもすばらしい美術作品に接することが出来るのだ、ということを広く知らしめてほしい。各美術館も、特別展のとき以外は、単に「常設展」とそっけなく書くのではなく、まめに売りをアピールしてほしいものである。
フランスまで行かなくても、ジョルジュ・ルオーのすばらしいコレクションが東京で観られるなんて、ほんとうにうれしいことではないか。