大津ユースオーケストラ演奏会 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

大津ユースオーケストラ演奏会

半年、取材して、大阪の音楽学生やセミ・プロ、プロの音楽家に大勢知り合いができた。その人たちの活動ぶりを象徴するようなステージに接した。そのことを書く。
大津ユースオーケストラの公演を、大津市民会館に聴きにいった。これは、大津市が文化事業として行うもので、今年で2回目である。なかなか意欲的で、円光寺雅彦指揮によるシベリウスのフィンランディアとチャイコフスキーの交響曲第5番に、ウェーバーのクラリネット協奏曲というプログラム。オーケストラはオーディションで選ばれ、関西のプロ・オーケストラのメンバーが指導者としてつく、というセミナー的な形式をとっている。
さて、プログラムにオーケストラのメンバー表があり、みると、何人も知っている奏者が出ている。音大生やセミ・プロの奏者たちだ。中には、つい数日前、音大で会ってしゃべった人もいるし、前にアンサンブルのステージを聴いた人もいる。何人かは、半月前までは夏期留学でドイツにいた、フランスにいた、そんな人たちである。活動範囲はみな、それぞれに広いようである。
そういう若手の奏者たちが、オーディションを受けて、こういう臨時編成のオーケストラで舞台をふみ、経験を重ねていく。そうでもしないと、音楽家は一人前にはなれない。修行の場が、こうして市レベルで用意されているのは喜ばしいことである。しかし、反面、そういう場を、公的に用意しないと、この若手奏者たちには活動の機会がなかなかないといことでもある。
確かに、毎年毎年、何十人もの奏者が新しく生まれてくるが、オーケストラや楽団は限られている。関西には、プロの楽団が東京の次に多い。それでも、学生たちの数と比べると全然足りないのだ。
いったい、音楽教育を受けて、そのうちの何人がプロの楽団員として生き残っていけるのか。そういう事実をきちんと直視していかないと、夢を追うのはいいが、はっきりいってただのプーより余計にお金のかかる贅沢なプーを大量生産していくだけになりかねない。教育の場でも、へたな夢をみさせるのは、本人にとって、かえって人生の選択を誤らせるもとにしかならないのではあるまいか。音楽の道の嶮しさを垣間見た日だった。
9月27日