だからオペラはやめられない
まるで小泉首相か林真理子さんのような発言だが、正直そう思った。
新国立劇場のオペラ「沈黙」2日目。初日のこけ方が嘘だったみたいに、今度は文句なし、絶賛に値するステージだった。
ようするに、練習不足と、初日の緊張がマイナスの方向に重なった結果だったのだろう。十分経験をつんだ後では、さすがプロの集団、見事に失地挽回してみせた。
そこを初めから成功させるのがプロだ、などというのは暴論である。確かに、アーティストには、常に奇跡を起こしてみせる超天才が存在するのかもしれない。しかし、オペラは巨大な人間集団がよってたかって作り上げる一つのイベントのような芸術である。ありとあらゆる不測の事態が発生し、無数の偶然が一刻一刻支配する中で、結果として一つのステージが出来上がるのである。常に失敗と紙一重の綱渡りを強いられているのが、オペラというものなのだ。
しかし、だからこそ、面白い。まるで人生そのものを見物しているようなものなのだ。人の人生の一瞬を、高みの見物させてもらって、大いに楽しむことができる。その上、思いがけず大勢の人間の意志ががっちりと組み合わさった稀有の瞬間が、突然の恩寵のように訪れる、そんな時間に参加できることもある。
ただ、何年かに一度、聴きにいったそのオペラが、まさしくそういう奇跡的なステージとなるなんてラッキーな人は、そう多くはいまい。やはりオペラは、欧米の聴衆がそうであるように、常連のように通いつめるうち、すばらしい芸術の誕生に立ち会える、そんな世界なのである。
だから、日本のオペラは、もっとしっかりと地域に地盤を据えて、多くの音楽好きが気軽に通えるように整備していかなくてはならない。立ち見でもいいから、安い席を必ず用意してほしい。変な平等はやめて、高い席と安い席をはっきりわけてほしい。
大阪音楽大学ザ・カレッジオペラハウスに、自転車でいけるところに住んでいるのだが、願わくばもっと上演を増やしてほしいものだ。レパートリーが増えていき、経営と運営がもっと改善されれば、そうも出来るはずだ。
そんなことを書いているとき、野口幸助さんの訃報を遅まきながら知った。これで、関西の戦後音楽の時代に幕が引かれた。謹んでご冥福をお祈りします。
9月19日
新国立劇場のオペラ「沈黙」2日目。初日のこけ方が嘘だったみたいに、今度は文句なし、絶賛に値するステージだった。
ようするに、練習不足と、初日の緊張がマイナスの方向に重なった結果だったのだろう。十分経験をつんだ後では、さすがプロの集団、見事に失地挽回してみせた。
そこを初めから成功させるのがプロだ、などというのは暴論である。確かに、アーティストには、常に奇跡を起こしてみせる超天才が存在するのかもしれない。しかし、オペラは巨大な人間集団がよってたかって作り上げる一つのイベントのような芸術である。ありとあらゆる不測の事態が発生し、無数の偶然が一刻一刻支配する中で、結果として一つのステージが出来上がるのである。常に失敗と紙一重の綱渡りを強いられているのが、オペラというものなのだ。
しかし、だからこそ、面白い。まるで人生そのものを見物しているようなものなのだ。人の人生の一瞬を、高みの見物させてもらって、大いに楽しむことができる。その上、思いがけず大勢の人間の意志ががっちりと組み合わさった稀有の瞬間が、突然の恩寵のように訪れる、そんな時間に参加できることもある。
ただ、何年かに一度、聴きにいったそのオペラが、まさしくそういう奇跡的なステージとなるなんてラッキーな人は、そう多くはいまい。やはりオペラは、欧米の聴衆がそうであるように、常連のように通いつめるうち、すばらしい芸術の誕生に立ち会える、そんな世界なのである。
だから、日本のオペラは、もっとしっかりと地域に地盤を据えて、多くの音楽好きが気軽に通えるように整備していかなくてはならない。立ち見でもいいから、安い席を必ず用意してほしい。変な平等はやめて、高い席と安い席をはっきりわけてほしい。
大阪音楽大学ザ・カレッジオペラハウスに、自転車でいけるところに住んでいるのだが、願わくばもっと上演を増やしてほしいものだ。レパートリーが増えていき、経営と運営がもっと改善されれば、そうも出来るはずだ。
そんなことを書いているとき、野口幸助さんの訃報を遅まきながら知った。これで、関西の戦後音楽の時代に幕が引かれた。謹んでご冥福をお祈りします。
9月19日