拙著『ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』のこと | 作家・土居豊の批評 その他の文章

拙著『ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』のこと

拙著『ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』のこと

 

 

 

これはきっと、三浦俊彦『エンドレスエイトの驚愕』

http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-33360-0/

 

の関連の講座でしょう。以下のパワポ資料?をたまたまネットで見つけました。

 

http://green.ap.teacup.com/miurat/html/ee.pdf

 

 

その末尾の参考文献ハルヒ関連に、土居豊『ハルキとハルヒ』を「読んではいけない参考文献」と紹介しています。

読んではいけない、とはどういう意味でしょうか?

あえて言わせてもらいますと、このパワポ資料にある「ハルヒ関連」の他の参考文献のほとんどを私は読んでいます。客観的にみて、拙著よりかなりいいかげんな内容のものもある。

三浦先生が、拙著を「読んではいけない」と断言なさるのはどういう理由によるものでしょうか?

 

※参考

土居豊『ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』(大学教育出版)

https://www.kyoiku.co.jp/?d1=21&cmd=category_search&item_id=719&_page_no=2&fbclid=IwAR2pMHOvhTHJWE46q2vLROFFj7AKRykFvYzK6ROl9M3VLmfPnP4ddxePllU

 

 

普通、参考文献を挙げるなら、読むべき本を挙げるのであり、わざわざ「読んではいけない」と完全否定するからには、その理由と共に挙げてほしいものです。

ちなみに当方、三浦先生の「エンドレスエイト」本は買って読みましたが、一解釈として面白かったですよ。賛同はしませんが。

 

 

 

さて、

『ハルキとハルヒ』に文句がある人は多いようだが、一つ言っておきたいのは、2012年時点では私以外誰も、谷川流氏と作品舞台の関連を周辺取材して本を書いてなかった。

珈琲屋ドリームについても、誰もマスターにつっこんだ取材をしていなかった。その後、マスターが亡くなられたので、あれが最後の機会となってしまった。

今だからいうが、

『ハルキとハルヒ』は、角川サイドに谷川流氏の取材を打診したものの断られ、やむなく周辺取材で可能な限り調べて書いた。その取材は様々な幸運に恵まれ、関係各位のご協力をいただいてなんとか仕上げられた。

読者が本に文句をつけるのはもちろんいいが、研究者や執筆者として批判するなら別だ。今からでも、私と同じことをやってみたらいい。

あるいは、もし角川サイドが谷川流取材を受けてくれるのなら、改めてあの続きを書けることはいうまでもない。だが、不完全ながら、その時可能な範囲で調べられるだけ調べて書くのが、書き手というものだろう。

書けるなら、ぜひ書いてみたらいい。

ちなみに、

同じことは、村上春樹についてもいえる。

以前、村上春樹の取材や周辺取材は、今とは比べ物にならないほどガードが硬かった。私の春樹本は、当時可能な限りの取材をして、書ける範囲ギリギリで(訴えられない限度で)書いたものだ。

ご本人や周辺が取材協力してくれるなら、こんな楽な話はない。

 

※2012年5月、在りし日の故・細海氏(珈琲屋ドリームのマスター)をゲストに、トークイベントを開催

 

 

※「涼宮ハルヒ」の聖地・珈琲屋ドリームで配架された拙著『ハルキとハルヒ』

 

 

※当時の取材記事等

 

 

 

 

※「涼宮ハルヒ」の作者の地元・西宮市で開催されたハルヒ講座を土居豊が担当(ちなみに当時は、角川書店非公認でした)

 

 

※「涼宮ハルヒ」の作者の母校・関西学院大学でも拙著『ハルキとハルヒ』について特別講義を実施

 

 

 

※「ハルキとハルヒ」がきっかけで筒井康隆氏から感想をもらい、そのご縁で筒井氏の初めてのラノベ『ビアンカ・オーバースタディ』書評を執筆した。

 

 

※『ハルキとハルヒ』がきっかけで関西学院大学出版会に新刊を書くこととなり、上梓した拙著『沿線文学の聖地巡礼 川端康成から涼宮ハルヒまで』。この本についての話題で朝日放送「ビーバップ!ハイヒール」に出演。