河野大臣、『ツバメ号とアマゾン号』シリーズを失礼ながら読み間違えてます
河野大臣、『ツバメ号とアマゾン号』シリーズを失礼ながら読み間違えてます
※参考記事
https://mainichi.jp/articles/20180424/mog/00m/010/001000c
【蔵書拝見 河野太郎氏/下 うちと似ていた「ツバメ号」シリーズ】(毎日2018年4月24日)
上記記事のように、河野大臣が『ツバメ号とアマゾン号』シリーズを愛読されているのは嬉しいのですが、失礼ながら読み間違えてます。
記事引用『主人公の長男がその父親に電報で「子供だけで行ってもよいか」とたずねる。一緒に住んでいるお母さんは心配するけど、遠くにいる父親は信頼して「行ってもよいよ」と許可する』
と河野大臣はおっしゃいますが、そうではないのです。
「ツバメ号」のウォーカー兄弟の母親は、子供たちだけのキャンプを内心許可してるのですが、ウォーカー家は海軍士官の家庭なので、やはり父の許可が必要なのです。
河野大臣、『ツバメ号とアマゾン号』シリーズのアーサー・ランサム全集を、ぜひよく読み直してください。
ツバメ号の兄弟たちが、子供だけでキャンプする許可を海軍士官の父に得たことで、長男ジョンだけが信頼されたのではないのです。
父の電報の効果は、兄弟姉妹4人みんながそれぞれに探検メンバーの自覚を新たにするところにあったのです。
兄弟姉妹の母親も、かつて少女時代には、オーストラリア大陸で気ままなキャンプを楽しんだ経験があり、子供たちを信頼しています。
それでも、海軍士官の一家として、父の許可を得て探検に出発するという規律が保たれています。
それというのも、「ツバメ号」探検隊メンバーは、兄弟姉妹で子供といえども、それぞれに船員の職を決めて架空の雇用契約書を作ります。つまり、子供たちは全員がチームの一員として役割を決めて、まるで本物の探検隊のように行動します。
ランサムの描くウォーカー家の子供たちは、英国海軍の伝統を子供なりに消化して、遊びに活用しているのが実に良いのです。
これは、「ツバメ号」の子供たちだけでなく、「アマゾン海賊」の少女たちも、別の作品で登場するカラムの姉弟も、オオバンクラブの子供たちも、それぞれに流儀は違えど、チームとしての役割をきちんと決めて、冒険を実施しています。
さらに、この児童文学の中で、子供たちは大人の言いつけに従う存在ではありません。探検や海賊遊びの中で、様々に接触する大人たちを、基本的に批判的な目線で見ています。
そういう事情もあって、ランサム全集に描かれた大人たちは、子供たちの良い手本になることを忘れません。
そこで、河野大臣にお願いしたいのは、ランサム全集の愛読者だというのなら、子供たちの批判的な視線に耐えうる大人になってほしい、ということです。
日本の大臣としては当然、子供たちに良い手本を実践する義務があり、安倍首相のいうがまま海外に恥を晒すような外交はぜひ改めていただきたいのです。
私がランサム全集を今の子供たちに読んでほしいのは、探検精神や冒険の喜びとともに、批判精神を働かせて大人たちのやることを観察し自分の判断で的確な行動をする姿を、ぜひ見習ってほしいからです。
ランサムの描く子供たちは、みな大人たちのやり方を健全な批判精神で観察します。
大人たちに盲従するのではなく、子供たちにはぜひ、ランサムの子供たち、特にアマゾン海賊の独立精神を覚えてほしいと思います。
※筆者の撮影した『ツバメ号』シリーズの舞台・英国湖水地方
※私が子供に薦めたい本「アーサー・ランサム全集」
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12024941196.html




