映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』は、ここ数年に観た中で文句なくベスト1! (ネタバレあり | 作家・土居豊の批評 その他の文章

映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』は、ここ数年に観た中で文句なくベスト1! (ネタバレあり

映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』は、ここ数年に観た中で文句なくベスト1!

(ネタバレします)

 

※公式HPより

http://sayoasa.jp

(なお、このHPにもネタバレ要素が多数含まれます)

 

※梅田ブルク7にて

 

実のところ、この映画の予備知識は何もなしで観に行った。

あえて、白紙のままで観て、どういう印象になるか、試したかったのだ。

結果、何も知らずに観ても、この映画は、ここ数年の映画の中で間違いなくベスト1だと確信した。ハリウッド大作や人気アニメシリーズも含めた中で、掛け値なしのベスト1だ。

もちろん、異論はあるだろう。特に、10代の人がこの映画をみて、どう感じるかはわからない。けれど、ある程度の人生経験を経た大人が観たら、自身の生活を思い返してつい涙してしまう人が多いと思う。

だからと言って、この映画はいわゆる「泣ける映画」と言うような底の浅いセンチメンタル作品ではない。

特に子育て中の人には号泣必至だ。大人が観るべき映画であり、内容が濃くて、一度では消化しきれない。

アニメではあるが、あえてアニメ映画と言いたくない。この映画は、絵とキャラクターの動きと、声優の演技と音楽が織りなす、完璧に近い映像作品なのだ。

鑑賞後、もう一度観たくなる稀有な映画だ。場面が素晴らしく美しい。音楽が物語にぴたりと寄り添って耳に残る。

物語はネタバレ出来ないが、「いってらっしゃい」「ただいま」が言える人、言ってくれる相手がほしくなる。

特に、子育て体験者がツボッたところ、例えば、「モゾモゾ虫が来たぞー」のエピソード。子供が小さい時は、こういう他愛ないやりとりが本当に貴重だった。

この映画は、家族、相方、友達がいかに大切か、を涙とともに思い出させてくれる。

また、

子供たちの描写が、今のシリア内戦、東グータの戦災の子供たちに重なってみえる。「さよ朝」の中の戦災の描き方はオブラートに包んでいたが、それでも、母親が赤ん坊を抱いて死んでる場面もあった。兵士が、「女は連れて行け」と言う、ボコハラムみたいな描写もあった。

ファンタジー映画なのだが、現実世界を描いている作品だといえる。

 

さて、

どうしてもネタバレなしにこの映画について語ることは不可能なので、

以下は、

未視聴の方は、

どうかお読みにならないよう、ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この映画は、擬似家族が愛を育む物語だ。

家族の記憶はどこまでも不確かであり、血縁のつながりは人生を保証しない。だが、子を育てること、他人を愛すること、その記憶の継承こそが大切なのだ。

それに対して、伝説や歴史のいかがわしさ、王国の栄枯盛衰のはかなさがリアルに描き出される。いかに伝説の力を現実の国家の権威に利用しても、伝説はいずれ化けの皮を剥がされ、実際にも伝説の力は衰退して滅びていく。

だが、その滅びは新生への希望を芽生えさせ、新しい人々の営みが続いていくことも、結末で描かれる。

映画冒頭の、愛することを禁じた一族の伝統は潰えて、物語の流れを通じて、愛することを覚えた新しい人々の新しい力が生まれていく。血のつながりではなく、記憶のつながりこそが大切なのだ。

物語の主軸は、母と子のそれぞれの旅立ちであり、主人公マキアが成長する物語だ。息子であるエリアルと共に、母マキアも成長する。

けれど、この映画の秀逸さは、子が先に寿命が尽きて行く前提になっている点だ。

これは、子供が先に逝ってしまう物語の変形と言える。似た例として、映画『ベンジャミン・バトン』があった。

同時に、成長途上の思春期の息子が、美しい母に恋心を抱く物語でもある。これも、古来の物語の典型として、古い伝説・神話の上に成り立っている。

思春期になった息子エリアルがマキアに言う、「あなたを母と思ったことはない」というセリフが出てくるが、これは男子目線で考えると、屈折した愛の告白だと思える。

二人の関係性は、母マキアが外見上、美少女のままである設定ゆえ、思春期男子にとって通常の母子関係よりもその性的誘惑は大きいといえる。だが、この二人は、物語の展開の中で、最後まで母子であることを忘れない。

「いってらっしゃい」と声をかける人が母であり、「ただいま」といえる相手が母なのだということが、印象的に描かれる。

親子のつながりの象徴として、赤ん坊の匂い、「変な匂い、お日様の匂い」という重要なモチーフが出てくる。映画だから匂いは伝えらえないが(4DXなどはできるのだろうが)、人の記憶の大きな要素を匂いの記憶が担っている。たとえ血が繋がっていなくても、赤ん坊のころから育てた子の匂いを、母は決して忘れないだろう。

 

最後に、物語のその後が気になるのは、レイリアの子であるメドメル姫、あの娘はどうなったか? ということだ。

マキアの疑似家族は、うまく繋がったのだが、レイリアの方の血の繋がった家族は、その後、うまく記憶を継承できたのだろうか? 彼女自身が、忘れなさい、と叫んで別れたのだが、娘の方は、「美しい母」を決して忘れないだろう。

 

この映画は、最初に書いたように、アニメ映画の域を超えて、万人の心を動かす力を持った、大傑作だ。ファンタジーの形式をとりながら、現実をとことん深くえぐっている。家族とともにいる人も、家族と離れている人も、また孤独の中にいる人も、幸せの中にいる人も、多くの人に観られるべき作品だと断言する。

 

※梅田ブルク7にて、スタッフのサイン入りポスター

 

※作品データ

「さよならの朝に約束の花をかざろう」

【監督・脚本】:岡田麿里

【アニメーション制作】:P.A.WORKS

【製作】:バンダイビジュアル/博報堂DYミュージック&ピクチャーズ/ランティス/P.A.WORKS/Cygames

【配給】:ショウゲート

【主題歌】:rionos「ウィアートル」(ランティス)作詞:riya 作曲・編曲:rionos

【キャスト】

マキア/石見舞菜香 エリアル/入野自由 レイリア/茅野愛衣 クリム/梶裕貴

ラシーヌ/沢城みゆき ラング/細谷佳正 ミド/佐藤利奈 ディタ/日笠陽子 メドメル/久野美咲 イゾル/杉田智和 バロウ/平田広明

 

※参考

岡田麿里監督インタビューより引用

 

https://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20180302/E1519917643401.html

 

《あのシーンは最初の方から書きたかったですね。たぶんエリアルのマキアに対する気持ちは100パーセントが恋愛ではなかったと思うんです。いろんな感情が混ざっている中、思春期という年代で、周囲からの圧もあって、そこ(恋愛感情)がすごく見えてしまう時期だったのかなって。

若い頃って、そういうところがあるし、その思春期っぽさを出したいなとすごく思っていました。一人の人間に対して抱く感情って、絶対に一つじゃないので。「こう思っているけれど、実は……」というよりは、表も裏もなく複数の感情が並列することもありますよね。いろんな感情があって。たまたまこに来ちゃってるとか、この状況だからこそ、ここがクローズアップされてしまっているとか、そういうものだと思うんですよ。だから、(幼なじみの)ラングと再会したりしなければ、もしかしたら、二人はあのまま何もなく一緒に生きていけて、なおかつエリアルも自分の感情は親への愛情だったと思う日が来たかもしれない。

(中略)

ラストカットの1枚絵は未来のイオルフの里。生き残っていたイオルフたちも戻って来たのですが、外の世界とも繋がったことで(血が混ざり)、いろいろな髪のイオルフが暮らしている。長寿は続いていかないだろうけれど、より豊かな場所になっているんだろうなって。あの絵は、そういう思いを込めたものなんです。》

 

※同

 

https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1519369543

 

《岡田:マキアはただでさえ“別れの一族”なのに、親もいない。友達であるレイリア(CV:茅野愛衣)やクリム(CV:梶裕貴)と一緒に過ごしても、夕方になれば二人は家族のもとへ楽しそうに帰っていく。そんな日常のなかで、自分を一人ぼっちだと思い、誰かと強く結びつきたいと願うようになったのがマキアです。

(中略)

そんな彼女が「壊れない強い人間関係ってなんだろう?」と考えたなら、やっぱり自分に親がいないからこそ、親子関係に行き着くんじゃないかと思いました。人と人との関係って、どれも解消しようと思えばできますけど、親子にはそれができない強さがあると思います。》