司馬遼太郎好みの日本人像
司馬遼太郎好みの日本人像
※「出る杭打たれる」日本人像と司馬遼太郎
http://ameblo.jp/takashihara/entry-12280267351.html
前回のブログの続きで、さらに司馬遼太郎の描いた典型的な日本人像を考えてみる。
例えば、
加計学園疑惑で一躍、世間の注目を浴びた前川前文科次官の登場は、まさに司馬遼太郎の描く幕末の志士のようで、世間受けがいいのはうなずける。組織の悪を暴き、自身はあくまでヒューマニスト。ご自身がどこまで意識しているかわからないが、出会い系喫茶での女性云々の話さえ、司馬遼太郎の主人公っぽい。女性にあくまで優しいヒーロー像。
※参考記事
https://www.news-postseven.com/archives/20170602_560317.html
それに対して、
森友学園疑惑の籠池氏の場合は、元々悪役だが巨悪にいじめられてぶち切れた印象、これは司馬遼太郎よりも山田風太郎的な人物像を思い起こさせる。自身があくまでいかがわしいイメージなので、人気は上がらないのもうなづける。
だが、日本の政局に、司馬遼太郎と山田風太郎という、かつての二大忍豪の主人公みたいな人物が、期せずして登場するのは、庶民のお上への怒りが、集合的無意識に作用して具現化したように思える。「お上よ、民の怒りは爆発寸前だぞ!」という声が地響きのように伝わってくる。
もう一つ、
昨今の首相観ということも、司馬遼太郎で考えてみよう。
日本人は、織田信長みたいに自ら最前線に立つ指揮官が大好きなくせに、菅・元首相の原発事故視察を叩きまくった。
また、前川前文科次官の場合も、「出会い系」への現場調査を、キャリア官僚のやることではない、とディスる論調だが、それはなぜだろう?
元々、勧善懲悪の時代劇では、暴れん坊将軍に拍手喝采なのに。逆に、現場を知らずにトンチンカンな指揮をした徳川慶喜はいまでも愚将扱いなのに。
近現代の歴史上の人物を挙げてみても、前線に出ようとして戦死した山本五十六は、今でも敬愛されている。逆に、慎重派だった井上成美海軍大将は、臆病者として今もけなされる。
日本人の好みの指揮官像では、信長や義経のように最前線に突撃する武将を褒める。たとえそれがたたって討ち死にしたとしても、それを悲劇の武将として敬愛する。
対して、冷静に後方で机上の作戦で勝利を導くタイプの知将は、日本人の中で人気は低い。義経を結果的に政略で打ち負かした兄・頼朝は、圧倒的に不人気だ。
司馬遼太郎の描く戦国武将の中でも、知将タイプの魅力を語る小説よりも、猪突猛進の将軍を描くものの方が人気があるようだ。
織田信長、義経、そして『坂の上の雲』の秋山好古もそうだ。
その傾向で考えると、首相であっても、現場に出たがる菅・元首相があれほど人気を失ったのは、ちょっと奇妙に思える。逆に、安倍首相の人気がこれほど高いのも謎だ。安倍首相は、いざという時、決して現場に出ようとはしないタイプの人物だ。
日本人の好みが、昔と変わったのだろうか? それとも、司馬遼太郎が描いた日本人像が、時代に合わなくなってきたのだろうか?
だが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』に描かれた乃木将軍の愚将イメージは、今も忘れられていないはずだ。戦場から遠い後方で、なすところなく手をこまねいて、多くの兵を無駄死にさせた乃木将軍のイメージは、『坂の上の雲』で決定づけられた。
その一方、同じ作品中、自ら身体を張って無敵のコサック騎兵に立ち向かった秋山好古の勇ましいイメージが、無能な乃木将軍像に対比される。秋山好古の方を主人公に選んだ司馬遼太郎の愛読者が多い限り、日本人の好みは、やはり、前線に立つ勇敢な指揮官にあるのだと思いたい。
※土居豊の司馬遼太郎関連の著作
1)「『坂の上の雲』を読み解く!〜これで全部わかる 秋山兄弟と正岡子規」
土居豊 著 講談社 2009年
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062159654
2)
「司馬遼太郎の文学を読む~『坂の上の雲』と幕末・明治の大阪」
土居豊 著
Kindle版
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00W8NBHH2?*Version*=1&*entries*=0
3)
『真田幸村VS徳川家康 なぜ司馬遼太郎は幸村贔屓でアンチ家康だったのか?』
土居豊 著
Kindle版
https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B01N5SEKRM/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1485330255&sr=1-1
内容】真田幸村と十勇士の伝説を考察し、司馬遼太郎の描く幸村像・徳川家康像と山岡荘八『徳川家康』、池波正太郎『真田太平記』を比較
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