トランプ的世界の滑稽さと全体主義時代の芸術 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

トランプ的世界の滑稽さと全体主義時代の芸術

トランプ的世界の滑稽さと全体主義時代の芸術

 

ここしばらく、トランプ氏のツィッター発言に右往左往する世界の有り様をみていて、現代世界がかつての共産社会、全体主義に逆戻りした感がある。
世界最高の権力者となる人物は、どうみても漫画のキャラクターで、何もかも滑稽だが、表だっては誰も笑えない。
代わりに、これからはおそらく、屈折した笑いの感覚が芸術作品に込められるだろう。カフカや、ミラン・クンデラの小説みたいな作品が再び登場するのではなかろうか。あるいはショスタコーヴィチやプロコフィエフの楽曲のようなアイロニー。
とっくに廃れたかと思われた20世紀の全体主義下の屈折した笑いが、いまこそ求められるのかもしれない。そう考えると、あのシャルリエブド襲撃は、まさに象徴的だったといえる。
日本の社会も、他人事ではない。いまの権力者、マスコミの有り様は、いかにも漫画チックで滑稽だ。代表的なのが、産経新聞の首相動静欄。首相が駅でどんなジュースを買ったか、までが克明に書いてある。これは完全に漫画的だ。だがいまや誰もそれを表だって笑えない。日本では、これからは現実を描くとき、筒井康隆的な小説にするしかないのかもしれない。