「この世界の片隅に」をみた若い方々へ | 作家・土居豊の批評 その他の文章

「この世界の片隅に」をみた若い方々へ

「この世界の片隅に」をみた若い方々へ

 

この世界の片隅に、を観たり読んだりして感動した若い方々へ。まだ間に合ううちに、自分に祖父母がいるなら戦時中の話を聞いておいてほしいと思う。

うちのじじばばも小学生の孫に自身の疎開体験を繰り返し話して聞かせてる。特に都市在住だった庶民が空襲で焼け出された話、幼い子らが集団疎開した話。

 

日本という国は、時代が変わっても庶民を使い捨てにする本性は同じだ。

私は戦時中に子供時代を過ごし、空襲で焼け出された親と、一兵卒で戦争を体験した祖父の話を聞いて育ったので、戦争には絶対に反対する。いかなる戦争も、日本においては庶民を犠牲にする。一時の熱狂にだまされてはいけない。戦争を体験したといっても、焼け出された人々と無事だった人では全く違う。

日本は本土決戦しなかったというがそれは軍人の世迷言で、空襲で焼かれた庶民にとって、あれは本土決戦そのものだ。亡くなった総数も今だに不明だし、補償もなかった。

自分の祖父は軍人恩給があったが、空襲で全て奪われた祖母は何の補償も受けていなかった。軍人は命と引き換えに、また敗戦後も恩給があったが、庶民の一人一人は、空襲で死んでも補償を受けない。この理不尽さ。軍人より先に市民が本土決戦を戦って死んだ、ということにならないだろうか。

祖父が兵士だったので、戦争で戦った軍人に恨みはないが、同じぐらい犠牲になった市民の一人一人に、日本政府は本当なら今からでも補償を出すべきなのだ。

 

自分の親が、危うく空襲で死にかけたことを知ると、やはり運命を信じたくなる。紙一重で、自分はこの世にいなかったかもしれない。

今の若い方々が、祖父母の空襲体験や集団疎開、徴用体験を直に聞いておくことは、大げさではなく今後の日本の運命を左右すると思う。戦争が決して庶民を幸せにしない事実、一時の熱狂が人々の日常を根こそぎ破壊する現実を知っていてほしい。