ゲンロンカフェ《筒井康隆×東浩紀「パラフィクションとしての筒井康隆」》に参加した | 作家・土居豊の批評 その他の文章

ゲンロンカフェ《筒井康隆×東浩紀「パラフィクションとしての筒井康隆」》に参加した

ゲンロンカフェイベント2015年11月29日《筒井康隆×東浩紀「パラフィクションとしての筒井康隆 文学の未来、批評の未来」》に参加した

先月末、東京五反田のゲンロンカフェに初めて行った。筒井康隆さんと東浩紀さんの対談をみるためである。

※イベント詳細
ゲンロンカフェ@Vimeo動画毎週追加 ‏@genroncafe 11月30日
『虚人たち』から『モナドの領域』まで!筒井康隆に迫る!再放送中です!【緊急再放送!!!】【2015/11/29収録】筒井康隆×東浩紀「パラフィクションとしての筒井康隆——文学の未来、批評の未来」http://nico.ms/lv243789262




筒井康隆さんは、80歳を越してますますお元気そうだ。イベント当日、ステージ上ではいささか気だるげにみえたが、以下のように意気軒昂としていらっしゃった。



※イベントについての筒井さん(管理人)のツィート
筒井康隆 ‏@TsutsuiYasutaka 11月30日
話題は多岐に及び、時には際どくもなった。「聖痕」のこと、戦後史への評価、「虚人たち」から「モナドの領域」までのメタフィクション、パラフィクションへの系譜、「老い」と文学的実験の関係、文学の未来と批評の未来など。…
http://shokenro.jp/00001286
#偽文士日碌


さて、感想だが、
細かい内容は上記のニコ生放送を視聴していただくとして、いくつかポイントを挙げておきたい。

1)超虚構、メタフィクションの主人公は幽霊的、郵便的
筒井作品の「超虚構」性は、メタフィクションという用語が定着する以前から先取りしていた。その主人公たちは、幽霊に喩えられるが、筒井氏が述べたのは、東浩紀の「郵便的」という概念に近い、とのこと。

2)『モナドの領域』創作秘話
『モナドの領域』は作者自ら「最後の長編」と銘打っている。そのアイディアは「片腕のパン」というイメージが最初に浮かんだという。そこに映画『34丁目の奇跡』のリチャード・アッテンボロー演じるサンタクロースのイメージが合わさって、GODのキャラクターが生まれた。
ちなみに、筒井作品で最初に「神」を描いたのは『エディプスの恋人』だった、とも。
筒井氏いわく、ライプニッツのモナドが唯一、神として信じられる、と。

※参考
http://movie.walkerplus.com/mv10643/

3)物議をかもした作品の裏話
『大いなる助走』『文学部唯野教授』はいずれもその業界に物議を醸した。けれど、筒井氏いわく、どちらも創作動機は業界への怒りなどではなく、「さぞ驚くだろう、笑うだろう」と狙って考えた、と。

4)批評の未来は東浩紀にまかせた
筒井氏いわく、『クォンタム・ファミリーズ』を三島賞に推したのは自分である、と。


対談の内容は、これ以外にも、筒井作品の創作秘話、現代の文学状況、さかのぼって筒井さんが辿ってきた日本SF文学の草創期についての知られざる話、など、筒井ファンならずとも興味津々のトークだった。
筒井さんの意向もあって質疑応答はほとんどなかったのだが、もし時間があればぜひ質問してみたかったことがある。
「『聖痕』は筒井版新約聖書、キリスト伝、白痴であり、『モナドの領域』は筒井版旧約聖書、ではないでしょうか?」
しかし、この質問の答えは、トークの中でかなり明らかにされているので、あえて尋ねなくてもよかったと思う。
あと、本当に訊きたかったことは、筒井さんの生み出したキャラクターたちの中で、最も愛するのは誰か? 男女とも一人ずつ、という質問だ。
だが、これも愚問には違いない。

さて、
東浩紀さんへも、質問したかったことがある。
「トークの中で、キャラクターたちを幽霊に喩えたが、このことは、最近東氏が『ゲンロン観光通信メルマガ』などでしきりに書いている「慰霊」の問題とどう関係するのでしょうか?」
という質問だ。
キャラクターは、今の日本ならびに世界で大いにもてはやされているが、キャラクター愛と幽霊、慰霊について、どう考えるといいのか、さらに掘り下げられたらよかったと思うのだ。
メルマガや「ゲンロン」誌で、このテーマを引き続き書いてくれたらうれしいと思う。
最後に、東浩紀さんのゲンロンカフェは、現在の東さんの仕事の全てが集約されている空間だ。いつもニコ生で視聴している舞台上だけでなく、カフェの雰囲気そのものが、東浩紀の存在をありありと感じさせる。
一つには、あの規模の店でライブを毎日切り盛りする大変さを想像するに、一人の人間が全てをコントロールしていることはほとんど奇跡のように思える。筆者自身もイベントや読書会を切り盛りしているので、あの広い空間で多数の客を入れて、なおかつ毎日のように東さん自らトークをやっていることには驚嘆するほかない。
反面、今回のイベントでは、あまりに観客が多すぎて、運営の余裕のなさを感じたのも事実だ。実際、もし毎日、あの人数が入るのなら、もっとスタッフが必要だろうと思える。
あと、当日会場でさっそく買った批評誌「ゲンロン1」だが、創刊の辞で東氏自ら「時代錯誤」と語る雑誌が、いまなぜ必要なのか? 日々、まるで狙ったかのように世界中で起こりつつある21世紀の大事件の数々を考えるとき、この雑誌以上に参考になる本はなかなかない、というのがその理由だ。
ぜひとも多くの読者に一読を薦めたい。
「ゲンロン1」についての筆者の感想を少し書くと、まずは東浩紀の創刊の辞「日本は硬直した国だ。境界だらけの国だ。ぼくたちには脱構築こそが足りていない」。この宣言に大いに喝采したい。
筆者は大阪の人間だが、速水健朗「独立国家論」を楽しんで読んだ。特に「大阪は日本から独立できるか?」という提起は、刺激的だ。もっとも、この問いの答えは、すでに大阪W選挙で、否応なしに独立不可の結末がついてしまった気がする。橋下氏の「おおさか維新」は、自民安倍政権の補完となったからだ。
もう一つ。パリのテロで21世紀は確実に変わった、といえるが、その意味を考えるために、亀山×東×上田「ドストエフスキーとテロの文学」鼎談をぜひ薦めたい。ちなみに、筒井康隆氏は今回のゲンロンカフェのトークで、亀山郁夫氏のことに触れ、『悪霊』は未読だからこれから読む、と言ったのだ。
21世紀のテロの問題を考えるとき、ドストエフスキーの『悪霊』や『カラマーゾフ』は、その手がかりとなるだろう。同じく、「ゲンロン1」所収のボリス・グロイス氏インタビューも、大いに興味をそそられる。

※ゲンロン1
https://genron-tomonokai.com/genron/

※『モナドの領域』筒井康隆
http://www.amazon.co.jp/dp/4103145323/ref=cm_sw_r_tw_dp_BPTxwb1HDNMPB


以下は蛇足だが、
筒井康隆さんが『エディプスの恋人』で描いた神(女神)、これを大胆に一人の少女キャラにしてしまったのが、谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』だと、筆者は考えている。論考を以下の拙著に書いた。この本は、筒井康隆さんが『創作の極意と掟』で言及してくださっている。

※『創作の極意と掟』筒井康隆
http://www.amazon.co.jp/dp/406218804X/ref=cm_sw_r_tw_dp_pSTxwb1SJN7JP

※参考
『ハルキとハルヒ―村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』土居豊
http://www.amazon.co.jp/dp/4864291276/ref=cm_sw_r_tw_dp_OTTxwb1GJ4TN6


※昨年の朝日放送「ビーパップ!ハイヒール」で筆者がかしこブレーンとして出演した際、筒井康隆さんと番組でご一緒させていただきました。