大阪から逃げ出そうかな…「橋下大阪市長、教員の「懲戒権」のガイドラインを示すよう指示」 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

大阪から逃げ出そうかな…「橋下大阪市長、教員の「懲戒権」のガイドラインを示すよう指示」

大阪から逃げ出そうかな…
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この人が市長でいる大阪、実質、この人の支配する維新の会が仕切っている大阪、この地で子育てする気が、ますます失せてきた。
この発言、もし実現されてしまうなら、自分の子どもを大阪の公教育に委ねる気にはとてもなれません。


※下記記事より
「橋下市長は「僕は、『もみあげをつまんで引き上げる』くらいまではいいんじゃないかと思うんですけどね。怒る、立たす、廊下に放り出す そんなの当り前ですよ。そんなの懲戒権ですよと。腹をつつかれた時の痛さがわかれば、相手方に対しての歯止めになる」と語った。」


では、自分の子どもが先生に、「もみあげをつまんで引き上げ」られるところを想像してみてください。
「腹をつつかれる」ところは、どうでしょう?
いったい、どこから、そういう発想が出てくるんでしょう?
そもそも、私の子ども時代には、まだ体罰禁止などということは世間に浸透していなかったが、さすがに「もみあげをつまんでひきあげ」たり、「腹をつつかれ」たりはされなかったです。
教師に怒られるとき、例えば、
「お尻を定規でひっぱたかれる」とか
「げんこつで頭を叩かれる」とか、
もちろん「正座させられる」「廊下に立たされる」は当然でした。
しかし、髪の毛を引っ張られることは、なかったし、
おなかを突かれた、こともありません。
髪の毛は、引っ張られると、想像以上に痛いし、
おなかは、たとえ軽く突いたと思っても、タイミングと場所が悪ければ、内臓を痛めることがあります。
なんだって、この市長は、髪の毛とか、おなかを、懲戒の例に挙げるのでしょう?
おそらく、この人は、弁護士であるにも関わらず、根本的に、体罰の危険がわかっていないのでは?
体罰による懲戒が、なぜだめかというと、
ガイドラインを決めたりすると、その行為が、必ずエスカレートするからです。
そして、教室で行われた暴力は、それが生徒の暴力であれ、教師の暴力であれ、必ず隠蔽されるからです。
一度、ガイドラインを定めると、そこまでなら許される、というお墨付きができます。
すると、たとえ、その教師が「髪の毛を引っ張る」力が、ちょっと強すぎて、生徒に強い苦痛を与えたとしても、ガイドライン通りだった、ということにされてしまうに決まっています。
教師が生徒のおなかを突く力が、ちょっと強すぎて、その生徒にけがを負わせたとしても、ガイドライン通りだった、ということになるでしょう。
ガイドラインというものは、かならず、言い訳のために、正統化のために使われます。
学校という教育の場で、たとえ懲戒の目的でも、「暴力のガイドライン」など、絶対に決めてはいけません。
ほんとにもう、こんなことがまかりとおるのなら、大阪から逃げ出すしかないのかも?


※参考記事
橋下大阪市長、教員の「懲戒権」のガイドラインを示すよう指示
(FNNニュース10/03 19:31)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00232800.html