安定のシリーズもの〜夏の映画から、バットマンとポケモン
安定のシリーズもの~夏の映画から、バットマンとポケモン
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※ダークナイト・ライジング
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19464/index.html
※ポケモン映画
http://www.pokemon-movie.jp
この夏の映画で、安定のシリーズものとして、両極端の二作品について語りたいと思います。
まずは、超話題のノーラン監督バットマン三部作のフィナーレを飾る『ダークナイト・ライジング』です。
さすがに、この映画、シリーズものといいながら、ノーラン監督独自の美学に貫かれて、ストーリーや娯楽性より、善悪や正義を問うメッセージ性、思想性に力点が置かれていました。
そのせいで、3時間近い上映時間でありながら、物語の後半はほとんどカットされたような印象を受け、肝心のバットマン対悪人のアクションが消化不良に終った感じです。
それほどに、この映画には、たくさんのテーマやエピソードやバックボーンが詰め込まれていて、どの部分をとっても、分厚い物語世界が感じとれます。
とまあ、そういうあれこれよりも、私が気になったのは、この映画が、思想的な、いわば哲学映画といってもいい内容なのに、それでも、シリーズものゆえに、律儀に、シリーズもののお約束を守っている点です。
まるでとってつけたように、バットマンは、人気キャラのキャットウーマンと出会い、次回作の可能性として、相棒のロビンの誕生を匂わせます。
バットマンの秘密武器の数々も、ほとんどこの映画のストーリーには不要なのに、ちゃんと登場し、活躍の場を与えられます。
実際、この映画は、主人公がバットマンである必要すらなく、マスクのヒーローでさえあれば、ゾロでも、仮面ライダーでも、誰でも構わないような物語です。
それでも、バットマンのシリーズゆえに、観客は、安心して観ることができるのです。
つまり、この映画の物語は、ものすごく深刻なテーマで、ヒーローが敗北する場面をとことんみせつけているのに、きっと最後はハッピーエンドになる、という安心感があります。
その期待は裏切られず、ネタバレはさけますが、あれほどの悲劇的な展開のあとで、いわば、いけしゃあしゃあとしたバットマン的な明るいフィナーレがくる、というのは、いかにも、シリーズものでしか許されない展開だと思います。
逆に、あれがバットマンシリーズでなければ、あんなご都合主義の結末は許されないでしょう。
さて、話はポケモンにとびますが、
ポケモン映画は、15周年を迎えました。今年のポケモン映画は、主役のサトシとピカチューよりも、聖剣士という4匹のポケモンの物語がメインで、その中でも、若い聖剣士見習いのポケモンが成長して、立派に聖剣士になる、というお話です。
これは、あきらかに、世界名作の『三銃士』を下敷きにした、ヒーローの誕生物語です。
ポケモン映画は、基本的に、ポケモンのバトルさえあれば、どんな物語のパターンも使うことのできる、便利な作品です。その許容量の広さこそ、ポケモン物語が世代を超えて愛される魅力となっているのです。
だから、今回の『三銃士』的な展開も、ごく自然にポケモン映画の一つのあり方として、うまくおさまっています。シリーズもののお約束として、主役のサトシはいつまでも少年のままですし、敵役のロケット団も、まぬけな三枚目のままです。残念ながら、この映画では、ロケット団は背景にちらっと顔をみせるだけですが。
大切なのは、この映画をみることで、子どもたちは、まだ読んだことのない『三銃士』のお話を、ポケモンの物語として体験する、ということです。
このパターンでいくと、子どもたちが味わうべき、世界の名作の数々は、ポケモン映画の中にうまくリミックスされて、いつのまにか享受されることになります。
このようなアニメのあり方は、かつての名作アニメの場合よりも、もっと自然に、子どもたちに、よき物語を体験させるものだといえます。
それだけでなく、大人たちも、このアニメを通じて、懐かしい名作のテイストを、追体験できます。
このように、定番シリーズものというのは、相互にリミックスし合って、いわばメタ名作もの、というべき作品となることも可能です。そうして、いつまでも子どもたちに愛され続けます。
ところで、ポケモン映画は、次回作もすでに予告されていますが、バットマンはどうなるのでしょうね?
一応、ロビンの登場がほのめかされていますが、このまま、ノーラン監督が続けるということは、ないでしょうね?
深刻路線のバットマンは、もうそろそろいいのでは? 個人的には、ティム・バートンのバットマンが懐かしいです。
※ダークナイト・ライジング
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19464/index.html
※ポケモン映画
http://www.pokemon-movie.jp
この夏の映画で、安定のシリーズものとして、両極端の二作品について語りたいと思います。
まずは、超話題のノーラン監督バットマン三部作のフィナーレを飾る『ダークナイト・ライジング』です。
さすがに、この映画、シリーズものといいながら、ノーラン監督独自の美学に貫かれて、ストーリーや娯楽性より、善悪や正義を問うメッセージ性、思想性に力点が置かれていました。
そのせいで、3時間近い上映時間でありながら、物語の後半はほとんどカットされたような印象を受け、肝心のバットマン対悪人のアクションが消化不良に終った感じです。
それほどに、この映画には、たくさんのテーマやエピソードやバックボーンが詰め込まれていて、どの部分をとっても、分厚い物語世界が感じとれます。
とまあ、そういうあれこれよりも、私が気になったのは、この映画が、思想的な、いわば哲学映画といってもいい内容なのに、それでも、シリーズものゆえに、律儀に、シリーズもののお約束を守っている点です。
まるでとってつけたように、バットマンは、人気キャラのキャットウーマンと出会い、次回作の可能性として、相棒のロビンの誕生を匂わせます。
バットマンの秘密武器の数々も、ほとんどこの映画のストーリーには不要なのに、ちゃんと登場し、活躍の場を与えられます。
実際、この映画は、主人公がバットマンである必要すらなく、マスクのヒーローでさえあれば、ゾロでも、仮面ライダーでも、誰でも構わないような物語です。
それでも、バットマンのシリーズゆえに、観客は、安心して観ることができるのです。
つまり、この映画の物語は、ものすごく深刻なテーマで、ヒーローが敗北する場面をとことんみせつけているのに、きっと最後はハッピーエンドになる、という安心感があります。
その期待は裏切られず、ネタバレはさけますが、あれほどの悲劇的な展開のあとで、いわば、いけしゃあしゃあとしたバットマン的な明るいフィナーレがくる、というのは、いかにも、シリーズものでしか許されない展開だと思います。
逆に、あれがバットマンシリーズでなければ、あんなご都合主義の結末は許されないでしょう。
さて、話はポケモンにとびますが、
ポケモン映画は、15周年を迎えました。今年のポケモン映画は、主役のサトシとピカチューよりも、聖剣士という4匹のポケモンの物語がメインで、その中でも、若い聖剣士見習いのポケモンが成長して、立派に聖剣士になる、というお話です。
これは、あきらかに、世界名作の『三銃士』を下敷きにした、ヒーローの誕生物語です。
ポケモン映画は、基本的に、ポケモンのバトルさえあれば、どんな物語のパターンも使うことのできる、便利な作品です。その許容量の広さこそ、ポケモン物語が世代を超えて愛される魅力となっているのです。
だから、今回の『三銃士』的な展開も、ごく自然にポケモン映画の一つのあり方として、うまくおさまっています。シリーズもののお約束として、主役のサトシはいつまでも少年のままですし、敵役のロケット団も、まぬけな三枚目のままです。残念ながら、この映画では、ロケット団は背景にちらっと顔をみせるだけですが。
大切なのは、この映画をみることで、子どもたちは、まだ読んだことのない『三銃士』のお話を、ポケモンの物語として体験する、ということです。
このパターンでいくと、子どもたちが味わうべき、世界の名作の数々は、ポケモン映画の中にうまくリミックスされて、いつのまにか享受されることになります。
このようなアニメのあり方は、かつての名作アニメの場合よりも、もっと自然に、子どもたちに、よき物語を体験させるものだといえます。
それだけでなく、大人たちも、このアニメを通じて、懐かしい名作のテイストを、追体験できます。
このように、定番シリーズものというのは、相互にリミックスし合って、いわばメタ名作もの、というべき作品となることも可能です。そうして、いつまでも子どもたちに愛され続けます。
ところで、ポケモン映画は、次回作もすでに予告されていますが、バットマンはどうなるのでしょうね?
一応、ロビンの登場がほのめかされていますが、このまま、ノーラン監督が続けるということは、ないでしょうね?
深刻路線のバットマンは、もうそろそろいいのでは? 個人的には、ティム・バートンのバットマンが懐かしいです。