スポーツマンシップって何?(暴論ご容赦) | 作家・土居豊の批評 その他の文章

スポーツマンシップって何?(暴論ご容赦)

スポーツマンシップって何?(暴論ご容赦)

甲子園の高校野球で、ある高校の部員が強盗容疑で逮捕され、試合をどうするか、協議中だという。
そんなの、当然、出場辞退だろう?
と反射的に思ったが、
なぜかというと、甲子園出場校が不祥事を起こしたら、それが喫煙とか、ささいなことでも出場辞退していた昔を覚えているからだ。
協議中、ということは、昨今は、不祥事への許容度が増したのかしら?
それにしても、
もし本当に、スポーツマンシップとやらがあるのなら、
当然、自発的に出場辞退してしかるべきだと思う。
なぜなら、高校野球というのは、単なる高校の運動部の試合ではない。
国民的イベントとして、オリンピックと人気を二分する?ぐらい、社会的影響が大きい一大イベントなのだ。
そのようにしてしまった社会の責任は、また別に論じる必要があるが、それはさておき、
すでに国民的イベントになっていて、その出場校は、全国の子どもたちに夢と希望を与える存在であることになってしまっているのだ。
だから、万が一にも、高校球児たるもの、不祥事を起こすことなど許されない。
それは、国民的フィクションとしての高校球児、という役割を担った以上、当然、背負うべき責務だ。
だから、ささいな不祥事でも、連帯責任で、チームごと出場辞退するべきだ。
なぜ、その選手個人の処分だけではだめなのか?
それは、日本的な特殊な集団主義が、いまでも世間を支配しているからだ。
欧米的なスポーツマンシップに基づくなら、その選手だけ、処分すればいいと思う。
しかし、日本では、スポーツマンシップは、日本的集団主義の理想に変質して、いわゆる体育会系の文化が育まれてきた。
体育会系の集団は、いまでも日本の社会で、大きな影響力を持っていて、進学から就職、冠婚葬祭にいたるまで、社会的に有利な位置を確保している。
高校野球も、体育会系の一部だと考えると、当然、集団主義の道徳に従い、いさぎよく、出場辞退するべきではあるまいか?

もっとも、以上の暴論は、私個人の、体育会系への積年の恨みつらみから出てきた、個人的感想である。幼少時からずっと、体育会系のノリを心底憎んでいるので、日本のスポーツから、悪しき集団主義が払拭されて、体育会系のノリが一掃され、個人主義のメンタリティが支配的になることを切望している。
だから、今回の高校野球の不祥事をきっかけに、悪しき集団主義を変えていく第一歩として、強盗容疑の生徒だけを処分とし、チームはおとがめなし、となることを、本当は、望んでいる。
結論。
もうそろそろ、連帯責任とか、やめませんか? 連帯責任や、集団主義を信奉している限り、学校からも、社会からも、いじめ事件は決してなくなりません。


※参考記事
作新学院の野球部員が逮捕される
8月18日 9時43分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120818/k10014365841000.html