福島原発事故の東電最終報告書記者会見を視聴した | 作家・土居豊の批評 その他の文章

福島原発事故の東電最終報告書記者会見を視聴した

福島原発事故の東電最終報告書記者会見を視聴した
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3.11で起こった東電福島原発事故について、当の東電自体が、社内で作製した事故調査の最終報告書について、記者会見していた。そのことを報じるマスコミの論調は、これまでになく厳しい。
しかし、その会見の模様を生中継したネット動画をみると、マスコミの報じ方が、これでもまだ生ぬるいものだということがわかる。
まずは、以下の、マスコミ報道と、記者会見の中継映像を参照してみてほしい。


初動対応に誤りなし…東電事故調が最終報告書(2012年6月20日21時54分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120620-OYT1T01099.htm

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東電 事故調査最終報告を公表(NHK6月20日 18時26分)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120620/k10015982111000.html

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東京電力福島第一原発事故調査​委員会(社内事故調)最終報告​書に関する記者会見
東京電力 山崎雅男 取締役副社長らによる、福島第一原発事故調査委員会(社内事故調)最終報告書に関する記者会見の模様を、終了まで生中継いたします。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv97409483?ref=top&zroute=index



上記の中継動画をみればわかるように、東電の会見は、徹頭徹尾、原発事故が「天災」であって、自社には責任がない、ということを、手をかえ、品をかえ、繰り返し説明しているだけだ。
会見が、当初の予定時間をはるかにオーバーして続行され、記者の側も、だんだん感情的になっていき、答える東電の側もいらだちの色を濃くしていくのが、ありありと伝わってくる。
記者たちの追求は、毎日行われている東電会見のときとはうってかわって、非常に厳しいものとなっていくのがわかる。
けれど、東電側は、どこまでも、のらりくらりと逃げの回答に終始して、決して自社に事故の責任があるという言質をとられないようにかわし続けた。
それどころか、むしろ、東電も被害者なのだ、といわんばかりの論調も目立った。
特に、「現場の作業員は立派に職務を果たした」という、自社の職員や作業員をかばう言葉が目立っていた。
それは、なんとなく聞いていると、現場の作業員のことをほめているように聞こえてしまうが、本当は、ほめているのではなく、そもそも、作業員に無用の放射能被曝を強いたのは自分たちであることを隠すための発言だとわかってくる。
本来、東電の幹部たちが、きちんと社会的責任を自覚して、原発事故に至らないように手をうっていれば、作業員も、職員も、放射能被曝する必要などなかったのだ。
周辺住民への放射能被曝だけでなく、自社の社員や作業員全てに、無用の被曝を強いた責任の全ては、東電の責任者であるはずの幹部連中が負わなければならないのだ。
他人に放射能被曝をさせておいて、あたかも自分たちも被害者だというような言い逃れは、決して許されない。
このままでは、東電福島原発事故の責任は、うやむやのまま、ただ、被災者たちや、社員、作業員たちが、いたずらに被曝させられただけで、終ってしまいかねない。
事故の原因究明とは別に、法でもって東電の幹部たちを裁くことができなければ、また次の原発事故が起こっても、同じことの繰り返しになる。
言い換えると、福島事故の責任者をきちんと法で裁かないかぎり、今後も、原発事故は何度でも起きるだろう、ということだ。
つまり、関電の大飯原発の場合も、再稼働したあげく、万が一、深刻な事故を起こしたとしても、今回の東電の前例がある以上、関電の幹部はだれ一人、責任をとらなくてもいい、ということになってしまうのだ。
もし、事故を起こしても、罪に問われず、責任をとらなくていい、ということなら、誰でも、無責任に、原発を気楽に動かしてしまうだろう。
次の原発事故を防ぐための第一歩は、東電幹部に、福島事故の責任をとらせ、法的に罰することから始まるのだといえよう。