ビンラディン殺害は何だったのか? | 作家・土居豊の批評 その他の文章

ビンラディン殺害は何だったのか?

ビンラディン殺害は何だったのか?

【米同時多発テロ:きょう10年 対テロ戦、各国で泥沼(毎日新聞 2011年9月11日)
http://mainichi.jp/select/world/news/20110911ddm007030183000c.html
 米国の「対テロ戦争」の主戦場となったアフガニスタンとイラク。「軍事力による体制変更」はかえって、両国をテロの温床と化し、米国も長引く戦闘の泥沼化に足を取られることになった。対テロ戦線がパキスタンにも波及する中、地域諸国の治安改善や政情安定化の道筋は立っていない。(以下略)】


 間違いなく、10年前の対テロ戦開始時には、10年後、このように泥沼化した戦線が継続中だとは想像していなかっただろう。
 なにしろ、タリバン攻撃の結果、アフガンには新政権ができたし、イラクのフセインも倒したし、おまけに9.11テロの首謀者であるはずのビンラディンも殺したのだ。
 それなのに、いまもなお、アルカイダは健在だし、アフガンはもとよりパキスタンまで政情不安定化し、イラクをはじめ中東はいままた一触即発状態。しかも、リビアの反体制派はカダフィを取り逃がして、まだこれから一波乱ありそうな雲行きだ。
 9.11の後、世界は不安定化した、ということだけは間違いないだろう。
 その不安定化に拍車をかけるように、わが日本も震災と原発事故後の復興をなかなか進めることができず、政権はがたがたの有様で、アメリカとの同盟関係にはすきま風が吹いている。図らずも東アジアの情勢を不安定化させることに一役買ってしまっている。
 すくなくとも、9.11後の10年で、世界はますますやっかいな時代に突き進んだということはいえる。政治も経済も混迷の度合いを深めるばかりで、だれもこの世紀がどうなっていくのか、確かな見通しはたてられない。
 そういう、先のみえない不安感の中で、それでも一人一人は、それぞれの人生の日常を日々暮らしていくしかないのだ、と半ば諦めの心境でいる。
 ちなみに、10年前、自分がどう思ったか、恥をしのんで、古い原稿を取り出してみた。よくもまあ、こんなにのぼせあがっていたものだ、と赤面のいたりである。


※以下は2001年当時、ネット誌「タルジア」増刊号に寄稿した原稿である

【『祈ることを忘れた日本人』浦澄彬(※当時のペンネームです)
 9月11日の夜、NHKのニュース10を見ていて、あの事件を知った。テレビにかじりついてリアルタイムでその経過をながめていた。WTCに2機目の旅客機が突入した時には、まだ何が起こっているのか、よくわからなかった。しかし、ペンタゴンに3機目が突っ込んだことを知り、はっきりと「戦争」という認識を持った。今でも、あの時感じた寒気を思い出せる。あれは、底知れない不安感とでもいうべき感覚だった。あの時点では、まだまだ攻撃はエスカレートしそうな雰囲気だった。翌朝の新聞では、ハイジャックされた旅客機は全部で11機で、その行方は不明ということになっていたのだ(後日、誤報とわかった)。11日の夜、ニュースを見ていて、日本にも攻撃があるかもしれない、と思った人は、しかし、どのくらいいたのだろうか。
 それというのも、翌日の報道をみても、街の様子をみても、緊張感がさっぱり感じられなかったからだ。緊張感というよりも、そこには、妙にはしゃいだ雰囲気があった。すごい事件が起こって、その話題で持ち切りといった感じなのだ。実際、テロの犠牲になった日本人の数もまだわかってはいなかった(今でもはっきりしないが)のに、アメリカの事件と割り切って、興味津々といった口調だった。なんて冷たいのか、と思ってしまった。
 おそらく、みんな、自分とは関係ない話だと思っているのだ。アメリカを同盟国だとは思っていないのだ。犠牲になった日本人のことを、同胞だとは思っていないのだ。この感受性の貧困さは、一体どうしたことなのか。
 百歩譲って、全く自分とは関係のない遠い国の事件だったとしよう。それでも、一度に数千人もの人がテロで死んだのだ。その死者を悼もうという気にならないというのは、どこかおかしくはないだろうか。ましてや、犠牲者には日本人も含まれているのだ。
 最も不思議だったのは、事件の後、世界各国が様々な形で犠牲者に祈りを捧げていたのに、日本では、その動きがほとんどみられなかったことである。日本政府は国民に黙祷を呼びかけることをしなかった。
 なぜ、この未曾有の惨事に対して、日本人は祈りを捧げることが出来なかったのか。自衛隊の派遣だとか、小泉内閣の対応とか、そんなことよりも、膨大な数の死者に対して祈ることの出来なかった日本人のメンタリティの方がずっと深刻な問題なのではなかろうか。

 9月11日以降、自分自身はどうしたか。とりあえず、事件についての報道を追って情報を集めた。  
 それから、イスラムとアラブについての本をいくつか読んだ。事件についての雑感をHPのエッセイに続けて書いた。気がついてみると、自分も犠牲者のために祈るということをしていなかった。私も祈りを忘れた日本人の一人だったのである。
 知人や友人に事件の感想を聞いてまわった。
 営業マンの友人は、こう言った。「暗い話はやめよう」
 官僚の友人は、パキスタンへの日本のODAについて教えてくれた。すでにアフガニスタンには経済制裁が以前から行われていたこと、タリバン政権を日本は認めていないため、国交がないこと、色々興味深かった。
 画家の友人は、こう言った。「今やるべきことは、こつこつ制作すること。それが祈りにつながる」
 祈り、という言葉を聞いて、私は心動かされた。
 小説家の友人は、次のように語った。「自分はリベラル左派だから、反戦・民権・日本の軍事行動反対である。アメリカはこれまでにもパレスチナでのテロに本気で対応しなかった。パレスチナ人の命を軽くみていたわけだ」
 この友人の語る言葉が、あまりにステレオタイプなのが気になった。
 友人が教えてくれたサイトから、数人の言論人の意見を読んだ。
 坂本龍一氏は、朝日新聞に寄稿してこう語っている。「報復しないのが真の勇気。もし日本の首相が憲法に基づいて戦争反対を表明し、平和的解決のための何らかの仲介的役割を引き受ければ、世界に対して大きなメッセージを発し、日本の存在を大きく示すことができたはずだ」
 これは朝日新聞の9月22日に載った。テロから11日後である。坂本氏は自分自身ニューヨーク在住で、事件の直後にカメラを持って燃えるWTCを見に行ったという。まさしく事件の当事者である。事件からまだ日が浅く、犠牲者の数すらはっきりしていない段階で、はたして言うべき言葉だろうか。テロに対して、どんな平和的解決が可能だというのか、それを教えてもらいたい。
 浅田彰氏は、「批評空間」のサイトで、こう発言している。「しかし、アメリカをバックにしたイスラエル軍が最近パレスチナでやってきたのは、それに近いことだったのではないか。パレスチナの政治指導者を暗殺する、しかもオフィスをミサイル攻撃するといったダイレクトな形で。そのような蛮行が暴力の応酬の引き金を引いたとしても何の不思議もない」
 9月12日の発言である。テロ事件の翌日に、その犠牲者はアメリカ自身の自業自得で死んだのだ、と言わんばかりのこの言葉は、一体どういう感性によるものなのだろうか。日常生活の中で突然殺された何千人もの人への、なんという傲慢な言葉であろうか。
 柄谷行人氏は、同じく「批評空間」でこう発言している。「アメリカ人の多くはすでに発狂している。日本人の多くもそうなるだろう。しかし、皆さん、絶望しないでもらいたい。三、四年後に、人は後悔するに決まっている。あるいは、あの時はだまされた、というに決まっているのだ」
 ここで、柄谷氏は、この戦争の戦後に備えるべく、自身のNAM活動に注目して欲しい、と語っている。なるほど、確かに、誰かが「戦後」のことを考えておかなければならないだろう。しかし、その前に、「戦時」のことを語るべきではないのか。私には、柄谷氏が現実から目をそむけて、自分だけ安全な高みに避難しているように思える。
 その姿勢は、朝日新聞の次のような社説と共通する。
 「突然の悲劇に見舞われた米国の怒りは、よくわかる。だが、武力による報復は新たな報復を生むだけだ。(中略)報復の無益さを諄々と米国に説く。つらいことだが、それこそ友人の務めではないか」
 9月14日の社説である。この文章には仰天してしまった。テロからまだ3日しかたっていない時点で、よくもこんなそらぞらしい偽善的なことが言えたものである。日本を代表すると自負する新聞の発言である。これを読んだアメリカ人は、日本を決して許さないだろう。
 そもそも、この発言には、日本もテロ事件の当事者であるという認識が全く抜け落ちている。その点が、柄谷氏の言葉にも共通している。柄谷氏も、朝日新聞も、テロの犠牲になった20数人(外資系につとめる人を含めると80数名ともいう)の日本人のことを悼む気持ちが全くない。自分だけ安全な高みにいて、局外者のようにふるまっている。
 その姿勢は、おそらく、祈りを忘れたメンタリティから生まれるのである。

 ようやく、日本人の中から祈りの声が聞こえてきたのは、テロから一週間以上たってからだった。19日のニュースで、18日夜に西宮の米国総領事公邸に在日外国人や日本人10数人がキャンドルを手に集り、祈りを捧げたとの報道があった。
 イギリスやEU諸国、ロシアまでもが国家としてテロの犠牲者に祈りを捧げたというのに、日本人は自国民の被害者の安否と、経済の混乱にしか関心を示さなかった。このことで、日本は世界に恥をさらしたと思う。
 そんな中で、指揮者の小沢征爾氏は、早くも13日の段階で、コンサートの時にテロの犠牲者に哀悼の意を表して、バッハのアリアを演奏している。これは、松本で行われたサイトウキネン・フェスティバルでのことだ。このフェスティバルは、世界の音楽ファンが注目しているものだから、きっと少しは日本人の祈る姿が伝わったのではないかと思う。
 小沢氏のそういう祈りの姿勢は、つとに知られている。私自身、昨年、小沢指揮のウィーン・フィルのコンサートに行って、同じような追悼の場面に居合わせた。ちょうど、そのコンサートの前に、オーストリアのアルプスで登山列車の火災事故があり、多くの人が亡くなった。その犠牲者の冥福を、同じくバッハのアリアを演奏することで祈ったのである。そこにいて、共に祈ったことは、私にとって非常に感慨深い経験だった。
 一体、いつから日本人は、祈ることを忘れてしまったのだろうか。
 無宗教の人であっても、お正月には神社で手を合わせる。お盆には仏壇に手を合わせる。それなのに、死者の魂のために祈ることはしようとしない。テロに対する恐怖や、被害者への同情の気持ちはあっても、死者を悼む心情がないのだろうか。
 いや、そんなことはあるまい。ただ、祈りという表しかたを忘れてしまっているだけなのだ。この事件をきっかけに、すこしでも、日本人のメンタリティが変化したことを望みたい。政治家も、言論人も、その主張や立場の違いはさておき、死者に対して祈るという姿勢を示してほしいものである。個人としての祈りはすでに数多く行われているのだから。
 
 これを書いている時点で、すでにアメリカ・イギリス軍によるタリバン攻撃は始まっている。空爆のニュースが日々報じられる中で、たった1ヶ月前のことなのに、ニューヨークのテロの被害については、急速に忘れられつつあるように思える。まだ、被害の全貌は明らかになっていないというのに、その鎮魂の祈りはそそくさと済まされて、今度はアフガニスタンの人々の血が流されている。
 タリバンに対する軍事行動の是非は、今は論じたくない。というより、事態があまりに早く進行していて、私の認識が追いついていかないのだ。ここ数日、アメリカで次々と炭そ菌の被害が起きている。暴力の連鎖はとどまる見込みがない。
 日本は、そして日本人は、どう考え、行動すべきなのか。
 信仰を失った者にとって、この事態をどう受け止めるのかが問われているのである。(了)】