東京交響楽団のサントリー定期は通常土曜日の18時から開催されますが、たまに日曜日の14時に開催されます。
日曜日は極力コンサートに行くことを避けていますが、東京フィルもオーチャードホール実施分の定期会員であり、気が向く公演にはホールに向かいます。チョンミョンフンの指揮の時は行きますが、プレトニョフの時は行きません。東京交響楽団の場合は、ノットさんの指揮なら向かいますが、そのほかの指揮者の場合は欠席します。
今回は委嘱作品もあったことから珍しく聴きに行くことにしました。
2月19日(日)14時 サントリーホール第707回定期公演
小田実結子/Kaleidoscope of Tokyo(東京交響楽団委嘱作品/世界初演)
グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調op.16
菅野祐悟/交響曲第2番“Alles ist Architektur"-すべては建築である
ピアノ:アレクサンダー・ガヴリリュク
指揮:原田慶太楼
演奏:東京交響楽団
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原田さんの指揮も実演で聞くのがこれで3回目になります。東京交響楽団の正指揮者なのだそうですが、常任指揮者、(首席)客演指揮者だの傍(はた)にはわからないことです。
定期的に指揮をしてくれるんだなというのはわかりますが、客にとってはそういうことはどうでも良いことです。小田さんのことは全然知りませんが、菅野はNHKの大河ドラマのテーマ曲も作られており、そういった方が交響曲という分野をどのような処理で作り上げるか興味があり、足を運びました。
日本の作曲家の傾向として委嘱された作品は単に名前だけのものが多いです。今回の小田さんもそうで、たとえば、交響詩とか幻想曲、組曲、などという曲名をとりません。
武満徹さんなんかは「鳥は星形の庭へ降りる」「カトレーン」「ア・ストリング・アラウンド・オータム」「遠い呼び声の彼方へ!」「ノヴェンバー・ステップス」など曲の性格すらわかりません。
ノヴェンバー・ステップスは「尺八と琵琶のための協奏曲」ぐらいにして副題にノヴェンバー・ステップスを付けてくれたらと思います。僕は現代曲で吉松隆さんが好きで特に『朱鷺によせる哀歌』を好んで聞きます。
これもたとえば曲の性格を考えると幻想曲「朱鷺によせる哀歌」としても良いと思いますが、作曲者は曲のイメージがちゃっちくなると考えるのでしょうかね。
今回、21世紀になって堂々と交響曲と名付けた菅野祐悟さんは「交響曲」というカテゴリーをどのように考えているのかということも意識して聞いてみました。
小田実結子さんと菅野祐悟さんの間に原田慶太楼がグリーグのピアノ協奏曲を挟み込んだのもどんな意図なんだろうとも思いました。シェーンベルクやR・シュトラウスの「ブルレスケ」あたりが入らないのかなとも思いましたが、19世紀半ばの曲が入ってきたのはなぜだろうと考えました。
案外、ガヴリリュクが「あちきはグリーグを弾きたい」と言ったのかもしれませんが。
二曲とも難解でない、お客にとても優しい演目でした。ともに打楽器等が引っ張るリズムを大事にした美しい旋律の音楽でした。
小田実結子の「Kaleidoscope of Tokyo」がプログラムでの曲の説明書きに「TOKYO」をテーマに作るということでした。東京生まれで東京の好きな音楽に携わる人が多くいます。幼少の頃ある雑誌で「異邦人」という曲が有名な久保田早紀(現:久米小百合)さんがやはり「東京大好き」ということで曲作りをしていた記憶があります。彼女も北多摩(国立)出身で小田さんも多摩丘陵を中心に過ごされたようで、東京西部の人には「東京愛」っていうのがあるのかなと思っています。
浅草に住まれている「東京下町愛」とはまた違うのかなとも思いますが。
無粋なぼくにはこの曲のイメージから東京を感じられませんでしたが、木琴やビブラフォン、シロフォンも登場し、曲の主題にもからむ素敵な曲だと思いました。
終了後、ご自身が舞台に登壇されました。小田さんの第一印象は貫地谷しほりさんと濱田岳さんを足して2で割ったような外観でした(目一杯褒めているつもりです)。
そして菅野祐悟氏の交響曲第2番。第1番は聞いたことがありません。
交響曲の定義は「原則として4つ程度の楽章によって構成され、そのうちの少なくとも1つの楽章がソナタ形式であることが定義であるが、特に近現代においては例外も多いとされています。
僕のイメージですが、交響曲と言うより、連作交響詩というイメージでした。スメタナの「わが祖国」の日本版で、4楽章のどの楽章も一定のリズムが支配し、曲が変化(へんげ)していっていました。曲の連なりは「句読点」がなく曲に終わりがないような感覚がとらわれました。曲の構成は全く違うのですがブルックナーを聴いているようでした。もちろんブルックナーのような楽器音量を上げて大団円に向かうものでなく、「変容」を続けながら音楽が続いていきます。もし途中でブルックナー休止があったらどうしようとも思いましたがそのような不自然な構成ではありませんでした。
北欧の音楽家ラウタヴァーラの流れにも感じました。
2楽章の木琴、鉄琴の拍子に合わせ、音楽が動くことに新鮮さを感じました。4楽章の終盤でもこれが復元し、オーケストラ右奥に⑶名のうら若きこれらの女性たちがオーケストラを引っ張っていたことに感銘すら受けました。
3楽章ではフランスを表現したとなっていますが、僕は旋律にイタリアの巨匠エンニオ・モリコーネの旋律を見いだしました。
この日原田さんがこの曲を振りましたが、大友(直人)さんや尾高(忠明)さんのような器用な指揮者になっていくのでしょうか。今まで聴いてきた感想は健康的な音楽作りをされる指揮者ですね。