11月13日(日)16:00サントリーホール
マーラー/交響曲第6番 イ短調
指揮:アンドリス・ネルソンス
演奏:ボストン交響楽団
本日のニュースで国際クルーズ船も運航を再開するニュースが飛び込んできました。新型コロナ感染症も一般の感染症扱いに近づいてきています。
東京でも観光客の姿が目に付くようになりましたが、彼らは平然とマスクなしで行動しており、海外オーケストラも通常の日本公演に向けた往来になり出した感じです。音楽ファンとしては大変にうれしい状況ですが、第8波の情報など一喜一憂の状況が続きそうです。
今回のボストン交響楽団の来日はビックリでした。米国のビッグ5に数えられるオーケストラは「機能的だけでいえば」明らかに欧米の主要オーケストラを凌駕しており、ベルリン・フィルやコンセルトヘボウを除けば無敵状態だと思われます。
かつて、小澤征爾さんの「ほどほどの追っかけ」をやっていた僕なのですが、その理由としてCD以外で音源を確保することが困難でライブを聴くしかないです。
小澤さんの指揮するライブとして米国のボストンシンフォニーホールでボストン交響楽団のマーラーの9番を聴くチャンスに恵まれましたが、マエストロによる9番をそれ以後もどこかのオーケストラで聴けると信じていましたが、とうとうその機会は訪れることがなかったです。
ネルソンスの因縁は小澤さんがウィーンフィルと来日公演を行う予定だった直前に食道がんが発覚し、マーラーの9番とブルックナーの9番のチケットを確保したにも関わらず、代役をネルソンスがつとめ、ドヴォルジャークの9番を「聴かせられる羽目」にあった過去があります。当時のネルソンスはウィーン・フィルに引きずられる演奏を展開し、僕の生涯で最もお高くついた「ドヴォ9」を経験することとなりました。本当につまらない演奏でしたが2010年のことでした。
31歳でウィーン・フィルを演奏するのは針のむしろだったでしょうね。
バーミンガム市立交響楽団の音楽監督以後飛躍的に伸び、今やボストンとライプツィヒのシェフまでつとめることとなっています。当時は、か細かった体も現在はかっぶくの良すぎる腹の出方になってしまいました。デュトワ並みのお腹は美食の結果でしょうけど、これは健康のためになんとかした方が良いのではないでしょうか。ブロムシュテット
さて、長い前置きでしたが、この日の演奏は久しぶりの米国オーケストラの力量を測る気持ちに意識が高騰しました。
2014年に来日した際、当初マゼールの指揮をおおいに期待したのですが、残念ながらキャンセル(その後お亡くなりになられました)となりマーラーの5番をセクハラ・デュトワで聴くこととなりました。
それでも演奏はすごかったのですけどね。
今回6番を聴いていますので、ボストンシンフォニーのマーラー演奏は2番、3番、5番、6番、9番を聴けたことになります。
ネルソンスの音楽は演奏速度が遅いというのが定番ですが、今回も予想通りの展開でした。
最初の刻みからかなり低速度で音が流れていきます。音の刻みが遅くなると、どうしても楽器間のバラツキが耳についてしまうものです。チェリビダッケの演奏がまさにそうで、ミュンヘンフィルの来日公演の時もやはり有機的な音のつながりがぎくしゃくしていたことを幼少の耳に感じていました。その後、ティーレマンを聴いたときは、非常にうまく処理をしていましたが、この日の曲の前半は、やはり楽器間の有機的なつながりが希薄でそれぞれの音の独立性が顕著でした。しかしながら、オーケストラの力量がすごく、その独立感が必然性のあるものに感じました。
とにかく、毎度のことですが、ボストンのトランペットをはじめ金管群は異次元の演奏を展開しました。演奏前の音だしでも4楽章の重要部分の旋律をさらりと演奏していましたが、本番の凄さは半端ないものでした。
近年の日本のオーケストラの力量が上がったと思っていましたが、米国の超一流のオーケストラとの技術的の差はやはり高校野球とプロ野球の差はありました。
但し、この日の演奏の解釈は人により賛否があるのも確かです。
ネルソンスの音楽展開は異質なもので、従来聴いていた音楽と大きく異なる部分もありました。音のアクセントだけでなく旋律までも従来聴いていたものと異なる部分が多数ありました。
オーケストラの巧みさは尋常なものでなく、アクロバティックな音まで出していました。
木管、金管の音出しは凄まじく、特に首席オーボエの音の表現は新たなマーラー解釈とも感じる程でした。
ネルソンスの要求は相当高く、このマエストロの創造性も相当なものでした。
そのためかこのスーパー軍団の金管も3楽章、4楽章でミスを出すところまで追い込まれていました。それでも彼らは自己のプライドをかけて果敢にアタックしていき、我々観客に口を挟ます隙を与えないものでした。
このようなスリリングな演奏はなかなか聴けないものです。
ここ最近で、NHK交響楽団がルイージを迎えたヴェルディの「レクイエム」の演奏やブロムシュテットのマーラーの9番も凄い演奏でしたが、それでもこの日の演奏と比較すると演奏者側が追い込まれていないことがわかりました。
ボストン交響楽団の演奏は明らかにオーバーヒートしており、オーケストラが崩壊寸前まで音を奏でていました。
ネルソンスもそこまで追い込まなくてはならない意味も理解できなかったのですが、3楽章アンダンテ・モデラートの最後半部でマエストロが2度も涙をぬぐうシーンに出くわしました。
指揮者が涙をぬぐうのは東北大震災の1年後に尾高さんがエルガーのエニグマ変奏曲第9変奏のニムロッドをアンコールで演奏したとき以来の出来事です。
第4楽章では3発目のハンマーを打ち下ろさせ、この音楽の心情をネルソンス流に展開しました。通常この楽章は30分程度ですが、この日の僕の手元の時計では34分を要しており、テンシュテットやクレンペラーよりも遅い演奏で全体でも94分を超えました。通常は82~86分ぐらいで全楽章を終える音楽ですから如何に遅い演奏だったかということです。しかし、演奏そのものが緩いと感覚は全くなく、密度も充実度も非常に高いものでした。
異質のマーラーの6番を聴いたわけですが、肯定的な気持ちで満たされた自分は大きな詐欺にあったのかもしれません。
演奏後、最初に立たせた奏者はフルート奏者だったのは驚きでした。オーボエかホルンのトップを立たせるのかと思っていたので意外でした。
この日の経験は新たな思い出として深く僕の記憶に刻まれることとなりました。
演奏後、43歳のマエストロはアンコールはしない(できない)旨を語り、観客への感謝、なぜか宿泊しているホテルの素晴らしさへの感謝を朗々と述べていました。その間の時間はハイドンのシンフォニーの1楽章分はありました。
仕事の関係上他のプログラムのコンサートには行けませんでしたが、この組み合わせでマーラーの7番と先にCD全集録音をしたショスタコービチの7番は是非聴いてみたいと思いました。
さらに聴いてみたいのは、マエストロのもう一つの手兵であるライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団にの演奏によるマーラーの交響曲第6番を聴いてみたいと思いました。多分同じ音は出せないのではないかと思います。
さらに、このあと長野に移り、サイトウキネンオーケストラによるマーラーの9番を演奏することになっています。
東京での演奏なら間違いなく行ったのですが、この時期に松本市や長野市まで行く根性が自分にはありませんでした。しかし、この日の演奏を聴いて、かなりダメージを受けてしまいました。無理してもいくべきだったのではないという後悔でいっぱいです。