映画「ALWAYS~三丁目の夕日'64」を観ました。3D版の方です。
既に2作品が2005年、2007年に放映されており5年を経過しています。

懐かしさを非常に感じる映画です。昭和30年代~昭和40年代前半というのはいろいろ問題もありますが非常に良い時代だと感じています。
山崎貴監督が描こうとしたことについては単に時代ということだけでなく、人間を「信じることができるんだ」という部分を描こうとしたのではないでしょうか。
それが懐古主義的なのですがみんなの夢を合わせたことでこの映画の温かさを受けられたのではないでしょうか。

僕自身は30年代は知らず、40年代をどうにか知る人間ですが、イメージ的なことだけはなんとなく記憶にあります。
油のにおいのするガード下と裸電球が照らす町並みの記憶は残っています。
この映画にはそのような匂いがします。

先の2作品が東京タワー建築時の昭和33年(1958年)頃の愛宕町界隈(新橋から虎ノ門に向かう途中の場所)が舞台でしたが、今回はそれから5~6年の月日を経過した東海道新幹線開業と東京オリンピックが開催された1964年10月からの物語になっています。
時代考証をどこまで正確に復元しているかはわかりませんが、それでも画面いっぱいに懐かしさが満載される映像になっています。

映画の冒頭はいつものとおり、ラジオ映像から入ります。
今回のカットも三谷幸喜監督ばりにワンカットで延々とカメラを回します。映像に動きがあり躍動感が伝わります。
なお、1作品目が紙飛行機にカメラを合わせて冒頭のタイトルロールが建設中の東京タワーを中心に都心風景を映し出し、第2作ではゴジラに焦点をもっていっていましたが、この3作目は第1作同様、紙飛行機が登場します。
ここのカットは、見る側に大変に期待させます。「出るぞ、出るぞ」的でコテコテ感はありますが安心して見ることができるカットです。

作品は、1作目、2作目に続けたことで批判的な見方があるかもしれませんが、「戦後第二世代の旅立ち」(昭和最後~平成初期のバブルを作りだす世代)に焦点があたっています。
鈴木オートでバリバリの修理工に成長した六(ろく)ちゃんと茶川家の淳之介がどうなっていくかを描いたものです。
堀北真希が演じる六子(むつこ)がとても垢ぬけたことが特筆されます。第1作で鈴木オートの社長とどなりあいになり茶川家の押し入れに逃げ込むお嬢さんが会社の中核としてバリバリの姿になりつつ、女性としても一歩前に踏み出していく心理がとても丁寧に描かれていたと思います。

淳之介演じる須賀健太については、前二作より、より物悲しく描かれています。優しい心は相変わらずなのですが、大学を前にした高校生としてはかなりひ弱な印象を受けます。
茶川に対し、最後まで恩義を持ち続ける姿は好感が持てますが、彼を一人の人間として見た時、成長がまるで感じられなかったことがこの映画の中で唯一残念な部分でした。

この映画三作品は茶川(吉岡秀隆)とヒロミ(小雪)の不安定でどこか切ない関係、すなわち高度成長の陰の部分と鈴木オートで展開される盤石な家族 、すなわち高度成長の陽の部分という二つの平行するらせんの中でそれにからみあうDNAのつながりのような物語が展開してきていました。
特に1作目で「物いい」がついた茶川とヒロミの関係が2作目の終わりで淳之介も含めた形で1つの家族として成立したわけですが、3作目になっても茶川の状況は相変わらず危なっかしい(不安定な)状況で展開します。

茶川の実家(長野県でしょうか?)がこの作品で出ており、茶川の将来の選択は若干広がった感があります。
2作目で茶川のもとに行く決心をしたヒロミが、内助の功として茶川に尽くす合理性を感じられないではないですが、観る側としては小雪にとても好印象を受ける作りになっています。
特に実家に帰ることをしぶるヒロミの一言は、ずっと柔和で物わかりの良い姿ばかりが目立った彼女としてはとても強さを感じるものでした。

1作、2作では泣けるシーンがありますが、この3作目は少し欠けています。前二作と比べるとどこか不足しているものがありました。

映画の最終で、また夕日を浴びる出演する各々の表情を映し出され、どこで都心を照らす東京の姿が映し出されるだろうと期待されます。
徐々に大きくなる東京がこの映画で映し出されます。
一作目では東京タワー、二作目では日本橋でした。三作目でもある東京の風景が映し出されます。
茶川の将来がどうしても浮かばない作品ですが、映画館に向かうことはためらいのない作品に仕上がっています。

再度いいますが堀北真希の美しさが際立った映画でした・・・