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 すでに『~その26~』でマーラーについて記載しています。カラヤンのマーラー録音は結局『第5番』→『大地の歌』→『第6番』→『第4番』→『第9番』→『第9番(ライブ)』といった順番に延べ6回5曲の録音がされています。すでに80年代の前半にカラヤンはマーラー全集を断念しています。
 彼の中でマーラー音楽の創造力が掻き立てられなかったことと、70歳を超えてから楽譜の勉強をするのは相当なエネルギーを要してしまうからでしょう。

 

 せめて、声楽のない音楽だけはということで、『第9番』録音後、『第7番』の演奏に踏み出そうとし、再度バーンスタインをベルリンフィルに招聘しようとしましたが、『第9番』事件でそれも実現することはなかったです。カラヤンが最後に『第9番』を演奏したのは1982年9月です。実に74歳の時です。『~その26~』でも書きますが、この80年代はカラヤンにとって他にしなくてはならない時でした。ここのやり取りカラヤンの言葉で語られますが『~番外編14~』に書きます。

 

 晩年という認識はカラヤン自身もあったわけで、最も良い録音、すなわちデジタル録音でどれだけ自分の演奏が残せるかに没頭する時期で、新たな作品の開拓にはいたらなかったということです。
 カラヤンは後世を意識していましたが、逆にこのマーラーを残せなかったことは彼のキャリアとして大変に惜しいものとなっています。『第3番』、『第8番』はともかくとしても声楽付の『第2番』は是が非でも残しておくべきだったでしょうし、彼の演奏スタイルにあったものだと思います。

 

 非常に残念なことだと思います。1930年代以降に生まれたベルリンフィル常連指揮者はハイティンクを筆頭に皆このレパートリーを録音しています。
 すでに現在のマーラーはかつてのベートーヴェンやブラームス並みにコンサートプログラムとしても重要な位置をしめしています。先見性のあるカラヤンもこれには気づいていたに違いありませんが、それを気づいたときはあまりに遅すぎたということです。


 

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マーラー/交響曲第5番ハ短調
録音時期:1973年ステレオ録音。
『アダージョ・カラヤン』に使用され、有名になりました。これ以前に「マーラーブーム」は訪れ出していましたが、カラヤンのマーラーはやはりセールス上でメリットがあったということでしょうか。
とにかく耽美的なマーラーです。カラヤンが演奏するとデコボコがなくなります。
2楽章から4楽章も一気ですね。特に4楽章の甘ったるさは『カラヤン・アダージョ』とでも表現するような音楽です。マスネの耽美的な音楽とどこが違うんだろうと思えるほどです。

「マーラーらしさ」という概念があるとしたら、大方のマーラーファンからは支持されない「作り」かもしれませんが、初心者が聴くには非常にいいかもしれません。バーンスタインの情熱で音を動かすものとは180°異なります。ユダヤ系の指揮者が演奏するマーラーとはまったく違う次元の音楽です。これとは別に同じ73年のライブ盤もあるにはあります。よく鳴っていますよ。
 
 
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マーラー/交響曲『大地の歌』
クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)ルネ・コロ(T)
録音時期:1973年12月、74年10月ステレオ録音。
 晩年のルートヴィヒが歌っています。そして、当時バイロイトの常連であるルネ・コロが歌っています。
 カラヤンとしては早く録音しすぎたのかもしれません。マーラーの全体像を明確に理解していない中での録音かもしれません。 しかし、ルートビッヒを使いたかったのでしょう。彼女の深みのある歌声はこの曲にうってつけです。
 シュワルツコップの晩年を髣髴させるような歌声です。この時期、テノールではこの歌を歌える歌手がたくさんいましたが、ソプラノでこの表現力を備えた歌手がいなかったのでしょうね。名演です!!

 
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マーラー/交響曲第6番イ短調『悲劇的』、亡き子を偲ぶ歌、リュッケルト歌曲集
ルートヴィヒ(Ms)
録音時期:1975&77年ステレオ録音、「亡き児を偲ぶ歌」(1974年)「リュッケルトの詩による5つの歌曲」(1974年)
 ゴージャスで美麗極まるマーラー演奏です。第6番は『悲劇的』という名称を付していますが、別に『悲劇性』を出す必要はない音楽です。たまにここのところを履き違えている人がいます。カラヤンのマーラーは『第5番』の延長上にこの『第6番』が存在します。純粋音楽として聴くと非常に美しいものです。しかし、一方で第6番で出てくる、不協和音などの処理をさらりと流しています。この曲はマーラーの交響曲の中では最も一貫性のない曲で、分裂性と一貫性の狭間の中で音楽が向かっていきます。カラヤンは一貫性の流れを重要視し、断続的な事柄を逆に断ち切っています。このあたりが優美的というか黄昏的マーラーとなり、 『ねちっこい』たとえばバーンスタインやベルティーニのようなユダヤ的音楽構成を好む人々に受け入れられないものになっています。
 これを精緻さでやり抜いたセルと方向性は似ているのですが、彼ほどは突き詰めた表現でなく、ぐっと優しく表現しています。
 
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マーラー:交響曲第4番ト長調
録音時期:1979年1月22~24日、2月22~24日ステレオ録音。
エディット・マティス(S)
ミシェル・シュヴァルベ(Vn)
録音場所:ベルリン、フィルハーモニー

 壮麗な美しさをこれも志向しています。柔和な表現です。この表現は多分この曲には合っていると思います。カラヤンはこれで中期の音楽を完結させます。第6番では新たな方向性を見出そうとしていますが、この4番では初期のマーラーの牧歌的な表現が多く出ています。これはリュケットにもつながるもので構成もうまくいっています。ちょうどこの頃頻繁に彼のオペラに出始めたマティスを起用しているのも好結果です。彼女のソプラノはルチアポップのようなずば抜けた透明感はないにしても、非常に清潔で、音ににごりがないようにしています。
 
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マーラー/交響曲第9番ニ長調
クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
録音時期:1979年ステレオ録音、「亡き児を偲ぶ歌」(1974年ステレオ録音)「リュッケルトの詩による5つの歌曲」(1974年ステレオ録音)
 第1回目の録音です。内容は『~その26~』に書いています。

 
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マーラー/交響曲第9番ニ長調
1982年9月のデジタル・ライヴ録音。
 先のベルリン・フィルからは考えられない色彩豊かなサウンドが特色の美しい演奏。いよいよ「カラヤンのレガート」の登場です。バーンスタインの色を払拭し、完全にカラヤンサウンドに仕上がっています。約2年かかっていますが、このカラヤンのこだわりには敬服します。カラヤンの「美意識」をこの録音はきちんと示しています。ライブ録音の完成度としてはずば抜けています。このやり取りについては別に記事にしていますから参照してください。
 カラヤンの執念がこの曲には宿っています。これだけの「虚無感」を表現しつくしたカラヤンはやはり偉大です。

 

 以上がカラヤンのマーラー演奏の全てです。多くのファンが、というより少なくとも僕はここでカラヤンのマーラーが終わってしまったことが残念でなりません。彼が残した80年代の音楽をある1曲を除いては、マーラー録音に全力を傾けてもらってもよかったのにと深く思います。そしてある1曲は『~その30~』(最終回)で登場します・・・