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 カラヤンとリヒャルト(1864~1949)との出会いは『~その10~』ではしりを書きましたが、カラヤンがベルリン州立歌劇場で『エレクトラ』を振ったのをリヒャルトが観てからです。これは1940年のことですがカラヤンにとって大きな年になります。76歳の作曲翁と32歳の指揮者の初めての対面です。

 

 このときの演奏はカラヤンにとって満足いく演奏ではなかったようです。1938年に『トリスタンとイゾルデ』(他に『フィデリオ』『魔笛』を立て続けに振っています)を演奏して、後期ロマン派のオペラの才能を見いだされたカラヤンですが、リヒャルトシュトラウスの音楽についてはまだ十分に開花出来ていない時期でした。この時期はリヒャルトといえば、カール・ベームの独壇場みたいなもので、どれも演奏するものは賞賛されました。特にドレスデンのシェフをしていたベームは積極的にこの音楽を取り上げていました。リヒャルトの最高傑作と言われる『ばらの騎士』も『サロメ』も初演はドレスデン歌劇場がおこなっていて、その後も非常に重要なレパートリーとなっていました。

 

 しかしながら、ナチが支配される中で、リヒャルトの音楽はなかなかプロパガンダに利用できるオペラではなかったので、その上演機会を失うようになっていきました。ワーグナーの一連の曲やベートーヴェンの『フィデリオ』あるいはウェーバーの『魔弾の射手』などドイツ文化に立脚していくものの上演機会が主なものとなっていきました。

 

 戦前においてカラヤンはなかなかRシュトラウスの指揮をする機会は与えられませんでした。本格的にこの音楽を振れるようになったのは戦後のことです。
 戦後、このリヒャルトシュトラウスを積極的に振っていたのは、ベームとカラヤンです。
 他の指揮者が振るものとしては、『ティルオイレンシュピゲールの愉快ないたずら』『ドンファン』『死と変容』ぐらいでした。

 

 戦後のカラヤンで最も素晴らしいものは『四つの最後の歌』です。シュワルツコップとの協演はカラヤンにとって貴重なものだったでしょう。シュワルツコップは本来はベームファミリーでしたが、その夫はあのウォルターレッグだったこともあり、フィルハーモニアoとの録音が可能になりました。このつながりでカラヤンはばらの騎士も録音しています。

 

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 先般4月5日にシュワルツコップとの演奏がNHK-hiでやっていました。最高のメンバーでの演奏でした。カラー収録されていたのは何よりでした。非常に優雅で気品のあるオペラでした。82年録音によるアンナ・トモワ=シントウの元帥夫人もとても素晴らしいものですが、最初の録音並びに先の『四つの最後の歌』も大変に素晴らしいものでした。惜しむらくは『四つの歌』の録音がモノラルだったことです。
 さてこれはクナッパーツブッシュの『ばらの騎士』です(1955年11月16日ウィーン国立歌劇場再建記念)。この時期Rシュトラウスは百花繚乱のように名作品が出ていました。非常にこれも気品のある素晴らしい演奏です。第2幕でゆったりとしたテンポに落としています。クナといえば、ワーグナー~ブルックナー指揮者として名が上がっていますが、さにあらず、リヒャルトを振らせても素晴らしいです。


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 そしてカラヤンによる『ツァラツストラはかく語りき』です。ちなみにこれは72年盤です。キューブリック監督による『2001年宇宙の旅』では1959年のウィーンフィルとのロンドン(デッカ)録音を使用していますが録音幅でやや個人的には物足りなさを感じます。リヒャルトの死亡以降カラヤンは常にこの作曲者の曲を彼のレパートリーの中心に据えています。僕も多くのリヒャルトの録音を聴いてきましたが、やはり体系的にカラヤンは録音しています。但し、60年代においてDGはRシュトラウスのオペラ録音をベームに任せていたこともあり、カラヤンの録音はまるでありません。
 さらに結局レパートリー開拓もされず、大部分の録音もされないままに89年を迎えてしまいました。60年代後半から70年代前半にワーグナーを録音した後、リヒャルトの録音をもっとしてもらいたかったです。リヒャルトの大ファンの僕としては非常に残念です。

 

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 60年代半ばには『ドン・キホーテ』も録音しています。フルニエのチェロはいかにも素晴らしいです。カラヤンはドヴォコンとこの曲はともにフルニエとスラヴァ(ロストロポーヴィチ)での録音をしています。とても贅沢ですね。どれも大変に素晴らしいものです。
 この曲は演奏機会が非常に少ないのですが、カラヤンはよく扱っています。ベルリンフィルの定期でも何度か取り扱っていました。交響的幻想曲『イタリアから』などは一度も録音していないし、さらにいくつかの管弦楽曲は演奏すらしていないにも関わらずです。

 

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 同じ時期カラヤンが尊敬するジョージセルが晩年のシュワルツコップと『四つの最後の歌』を録音しています。カラヤンとの録音から約10年経過していて、彼女も晩年の声ですが、声量はなくとも非常に抑制された美しい声と一段と増した表現力で答えています。カラヤンも68年にヤノヴィッツ再録音し、トモワシントウでもう一度録音しています。この曲の素晴らしさは若くても十分に理解できるところがいいです。メタモルフォーゼンとこの曲はリヒャルトシュトラウスの「別れの歌」としてなんともいえないものです。カラヤンがもし最晩年に録音したとしたらきっとセルのような演奏になったのではないかと僕は思っています。

 

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 ちなみにもう一つ名演を。カラヤンの後任指名のひとりに上がったテンシュテットです。ルチアポップと録音しています。彼女も若いときはとても澄んだ声をしていましたが、この録音では非常に深みがあります。オーケストラにもう一つ渋みがあれば最高の演奏になったと思いますが、セルやカラヤン以外では最も優れた演奏です。

 

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 カラヤンによる管弦楽曲の晩年かつデジタル録音での素晴らしい演奏といえば、まず、この「アルプス交響曲」でした。この録音は群を抜いて素晴らしいです。とにかくベルリンフィルに限界があることをさとしてくれた1枚であり、オーケストラを限界まで絞り出しています。アルバムでベルリンフィルが悲鳴を上げているのは、僕のライブラリーの中でもこの演奏しかありません。80年代にし、カラヤンの初録音が存在したのも驚きです。この演奏とマーラーの交響曲第9番がカラヤンにとって最も最新の初録音だったわけですが、どちらも「歴史的名演」として残されたことは偶然ではなかったのだと思います。メータ、ショルティといったアメリカオケのもの、またケンペのドレスデンのもの、小澤、プレヴィンといったウィーンフィルの秀演もありますが、カラヤンのこの「白眉の演奏」にはかなわないと思います。

 

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 次に『ツァラツストラはかく語りき』の3度目の演奏。ちょうどザビーネマイヤー問題でガタガタしはじめた頃の演奏です。この頃からカラヤンは演奏スタイルが変わっています。非常に室内楽的な音作りを意識的にしています。先の2回の演奏も後半部分は透明感のあるものでしたが、これほど室内楽的な表現には至らなかったです。アルバムが出て、この演奏を聴き、メタモルフォーゼンを聴いたとき、僕自身カラヤンはもう余命いくばくもないことを悟りました。非常に枯れた音を出し始めたということをしっかり聴き取りました。それまでの常に艶のある音ではなく、影のある音です。これは先にも書いたセルとシュワルツコップの『最後の四つの歌』にも通じます。結局セルは録音してしばらく1970年にこの世を去りました。そういう何かを感じさせてくれた録音です。

 

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 そして『英雄の生涯』。これに『ばらの騎士』を加えたカラヤンの「80年代4部作」はどれもカラヤンの晩年の演奏スタイルをしっかり出しています。そのあたりの詳細は『~その30~』(最終)でしっかり書きたいと思っていますが、70年代の演奏で押しまくっていたカラヤンとは少々異なる自然体に近い演奏が目立ちました。この曲自体リヒャルトの早い時期の遺書のような曲なのですが非常に攻撃的であるこの曲からも「追想」部分を含めカラヤンの「生」に対する形、あるいは「死」に対する意義のようなものを表現されているように感じます。この録音に前後して彼はこれを日本公演に持ってくるはずでしたがキャンセルになり小澤征爾さんがサントリーホールのこけら落としで振ることになりました。そういった追想の意味でも僕はこの曲を特別なものとして聴いています。このとき実演の小澤さんの演奏を聴いていたのですが、これが本来の小澤さんのものなのかあるいはカラヤンのものなのかは今もわかりません。

 

 将来小澤さんが再度ベルリンフィルを連れてきてこの『英雄の生涯』を振ってくれるようだと本当のところがわかるかもしれません。この時の演奏は今でも僕の耳に残っています。

 

そしてRシュトラウスの管弦楽曲「決定盤」1~ケンペ~
http://blogs.yahoo.co.jp/takashidoing0826/47487431.html
さらにRシュトラウスの管弦楽曲「決定盤」2~メータ~
http://blogs.yahoo.co.jp/takashidoing0826/47541296.html
Rシュトラウスの管弦楽曲「決定盤」3~Rシュトラウス~
http://blogs.yahoo.co.jp/takashidoing0826/47555309.html