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 「巨星」の死により、カラヤンは一挙に大きなものを手にしました。『~その11~』で最後に書いたベルリンフィルとウィーンフィルです。この両方のオーケストラを同時期に得られた指揮者は20世紀の中において2人しかいません。それはフルトヴェングラーとカラヤンだけです。

 

 非常に良好な関係を結んでいた指揮者を含めても数少ないです。ワルター、ベーム、マゼール、アバド、ムーティ、小澤征爾ぐらいではないでしょうか。彼らはどちらのオーケストラからか必ず勲章を手にしています。名前を見ただけでも20世紀の指揮者として将来もきちんと「音楽の教科書」に記載されるマエストロばかりです。

 

 さて、僕の好きなカラヤン音楽を少しあげておきたいと思います。
カラヤンの録音したものの中で最も好きなものについては、以下のとおり、昨年のこの企画ですでにあげました。どれも『20世紀の宝』と言って良いものばかりだと思います。僕の生涯においてこれだけの音楽に出会うことができただけでも十分に価値あるものだと思っています。

 

僕のアイドル『ヘルベルト』~その5「エピローグ~やはり偉大な音楽家」
http://blogs.yahoo.co.jp/takashidoing0826/46599105.html

 

 しかしながら、これらとは別に60年代に録音したものは非常に素晴らしい物が多いです。70年代より60年代が好きだというのは個人的な趣味で決して普遍性のあるものではないのですが、何よりもカラヤンが50代だったということが重要なのです。

 

 多くの演奏家の記録や録音物に共通しているのが50代の作品です。
 その例として古くはベーム、ワルターの音楽(もちろん貧弱な音ですが)、セルの一連の録音(鋼鉄のベートーヴェンです)。アバドのマーラーやメンデルスゾーン、レヴァインのモーツァルト、小澤さんのRシュトラウス、ムーティのヴェルディ。僕の愛する指揮者達の偉業は50代が1つの山になっています(残念ながら僕の神「トスカニーニ」は判読不可能です)。

 

 カラヤンも多くの録音をこの60年代に残してくれました。但し70年代、80年代にどれも録音され直していますから、評論家の皆さんはそちらを推しています。まあ、評論家はレコード会社と結託している部分もあって、なかなか言葉どおりのことを信じてよいものでなく、やはりそれは自分の耳を信じた方が良いと思っています。

 

 先にも書きましたがベートーヴェン全集は断然60年代の録音が優れています。彼はベルリンフィルとの最初の録音で明らかにフルトヴェングラーに負けない演奏を心がけていたと思います。これほど明快にそして上品に仕上がったベートーヴェンのシンフォニーはないと思います。80年代にアバドが演奏した演奏はこのベクトルにあると思いますが、最晩年にコロンビア交響楽団と録音したワルターや70年代に録音したベーム、またウィーンフィルと録音したバーンスタインのものとも音の方向性は異なっています。
 しかし、音をねじまげず音の美しさをベートーヴェンの旋律から引き出しています。とても格調の高い演奏です。

 

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 さらには59年録音(あえて60年代に含めました)のRシュトラウスの『英雄の生涯』です。70年代になってEMIと再録音していますが、やはりこの音楽の特質をよく表しています。74年のものは音が美しすぎるという難点?があります。リヒャルトをレパートリーの中心に据えていこうとしたカラヤンの意志を感じさせます。65年に録音した交響詩『ドン・キホーテ』もカラヤンならではの演奏です(75年にはロストロポーヴィッチと再録音していますね)。リヒャルトの録音といえば、ケンペの全集もありますが、ドレスデンのくすんだ音もたしかに魅力的なのですが、きらびやかに奏でられたカラヤンとベルリンフィルの音も非常に素晴らしいです。

 

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 そして民族楽派としてのシベリウスやバルトークもこの時期録音しています。
 特にシベリウスの4番、5番、6番、7番あたりは1,2番(1番は60年になぜかフィルハーモニアoと録音しています。2番、5番。6番も50年代にモノラルで録音)と違う色を出した名演です。この時期カラヤンは新しいレパートリーを求めていました。その中で積極的にドイツ作品や得意のチャイコフスキー以外の演奏もおこなっていました。バルトークもこの時期にまとめて録音しています。管弦楽のための協奏曲は後年にも再録音していますが、他のものはこの時期しか演奏していません。


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 60年代の金字塔としては67年にワーグナーの『ニーベルングの指環』の録音を行いました。スタジオ録音としては58年のショルティ以来の快挙です。歌手陣のすごさはさすがカラヤンといったとこでしょうか。さらにバックのオケはベルリンフィルです。67年は「ザルツブルグ復活祭」を企画し実現しました。バイロイトのワーグナーに負けない「カラヤンのカラヤンによるワーグナー」をここに実現した最良のワーグナーだったわけです。『~その23~』でも書きますが、1951年以降にバイロイトによるライブ録音をレッグとともに作り上げようとしていたのですが、「演出の問題」あるいは伝統的オーケストラの配置にかかる問題でヴィーラント・ワーグナーと全面衝突し、2年で去ることになったときからの悲願でもありました。ショルティに先んじられたことについては『~その23~』で書きます。

 

 60年代に絶対的に欠けていたものがあるとすれば、それはオペラ録音です(その内容です)。64年まではウィーン国立歌劇場の芸術監督をしていました。さらにミラノスカラ座とも断続的な演奏を続けていました。
 この間、舞台演奏に汲々としていたため、レコード録音まで至らなかったというのが事実のようです。

 

 ちなみに60年代録音したオペラは以下のとおりです。

 

JシュトラウスⅡ世『こうもり』
ウィーンフィル(60年)

ヴェルディ『オテロ』~デル・モナコが登場
ウィーンフィル(61年)

モーツァルト『魔笛』~ライブ録音、82年BPOと再録音
ウィーンフィル(62年)

プッチーニ『トスカ』~74年BPOと再録音
ウィーンフィル(62年)

ヴェルディ『トロヴァトーレ』~56年にはスカラ座で77年にはベルリンフィルで録音
ウィーンフィル(62年)

ビゼー『カルメン』~66年にVPOとライブ録音、82年はBPOと録音
ウィーンフィル(63年)

ヴェルディ『椿姫』~ライブ録音
ミラノスカラ座(64年)

プッチーニ『ラ・ボエーム』~ライブ録音、72年BPOと再録音
ミラノスカラ座(64年)

レオンカヴァルロ『道化師』
ミラノスカラ座(65年)

マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』~ライブ録音
ミラノスカラ座(68年)

モーツァルト『ドンジョヴァンニ』~85年BPOと再録音
ウィーンフィル(68年)

ワーグナー『ニーベルングの指環』
ベルリンフィル(66~69年)

 

 以上のとおりですが、なんとなくこの時期の録音は片寄っている気がしないでもないです。やや本流からそれた録音を行っていますし、スカラ座についてはライブ録音が非常に多いです。スカラ座の場合、1つの演目の演奏回数が多いので、つなぎ合わせると仕上がるのと、ラテン気質でスタジオ録音にそぐわないのかもしれません。

 

 この時期のオペラは僕自身あまり食指の伸びるものは残念ながらありませんでした。『オテロ』も音は美しいのですが、冒頭の風の部分が人工的だったりしてあまり好ましいものではなかったです。これについてはずっと再録音を希望していたのですが、とうとう実現しませんでした。あのカルロス・クライバーもレコード録音していないので、音楽的にはヴェルディの最高傑作にも関わらず、最良の録音に出会っていないのが事実です。これについてはカルロスの日本公演がNHKに保管されているので、これが放出されれば最高の代物になるのは間違いないです・・・

 

 話はそれてしまいましたが、60年代は権力から引きずりおろされた帝王が新たな時代をを待っている時期でもあったわけです。

 

 この時期ウォルター・レッグとも袂を分けています。56年にウィーン国立歌劇場のポストに就いたとき、レッグは次の一言をカラヤンに告げています。

 

「ヘルベルト。いかに君でも対処しきれないよ。」

 

 この言葉が現実になったわけですが、反面70年代にはベルリンに腰を落ち着け、生涯最良の仕事をやってのけることになったわけです。この時期、「権力のカラヤン」は「憂鬱のカラヤン」でもあったわけです。