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 カラヤンの演奏活動は、後年度の活躍からはコンサート指揮者と思われがちでしたが、彼のキャリアの一番はじめはオペラ指揮者としてスタートしています。
 特に、来日時にカラヤンはオペラを持ってきたことがなく、少なくとも日本の聴衆で彼のオペラを観た人は非常に限られています。70年代以降に限るとカラヤンがオペラ活動したのはザルツブルグの『イースター音楽祭』、そして夏の『ザルツブルグ音楽祭』でしかオケピットに入って演奏していません。

 

 日本人でのカラヤン愛好者はカラヤンのオペラを観たことのない愛好者ばかりです。
 カラヤンはオペラとオーケストラ作品を演奏活動のためのクルマの両輪という風にたとえています。しかし多くの日本人はカラヤンの片輪走行しか観たことのない人ばかりです。直接海外に高いお金を出した人しかカラヤンの舞台にふれた人はいないはずです。何せザルツブルグのオペラはチケット代が高いの(日本でウィーンフィル公演と同じく平気で5~6万円します)も有名ですから。

 

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 但し録音の数は非常に多いです。モーツァルトからドビュッシーまで多岐に渡って録音しています。その中でも重要なのが、伝統的なドイツとイタリアのオペラです。クルマでたとえると前輪と後輪にあたります。つまり「クルマ・カラヤン」は『四輪駆動』でガンガン走っていることになります。かつてアウディ・クアトロや(日本の)スバル・レオーネ(水平対向の四輪駆動)が好きだったのもといったところでしょうか。ポルシェの959にも乗っていました(「時速100km/hになるまで3秒」とマエストロは喜んでいました写真は930ターボです)。

 

 ドイツオペラはともかくイタリアオペラは演奏初期から振っていたわけではありません。
イタリアとの関わりの中でレパートリーを広げていきました。当初はトリノRAI交響楽団を1940年代に演奏また録音していました。曲目はイタリアオペラの序曲や前奏曲、あるいはモーツァルトの交響曲第40番です。

 

 戦前、あるいは戦後にベルリン・フィルやウィーン・フィルを振らしてもらえない中でイタリア訪問していくうち、イタリアの歌劇場とも関わりを深めていったようです。
 特にユダヤ人の血をひくアニータと結婚していたことから、ナチの中に彼を良く思っていない人間もいて(彼の味方にゲーリングがいたわけですが)、逃避行のようにフィレンツェやローマで指揮していました。

 

 そして1938年(30歳の時。戦後は48年から)にはミラノスカラ座を初めて振っています。ドニゼッティ、マスカーニ、レオンカヴァルロからヴェルディ、プッチーニとイタリアの主要オペラは振るようになりました。1948年にはミラノスカラ座のドイツオペラ部門の監督に就任していて、60年代半ばまでこの歌劇場と関係を持っていき、イタリアにドイツオペラを広げるとともに、イタリアオペラを手中に収めていきます。

 

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 50年代のカラヤンは仕事面でも飛び抜けた状況になっていました。ウィーン交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、さらに1956年にはベルリンフィルも手に入れており、ミラノスカラ座の仕事まで含めると膨大な仕事が彼に含まれていきました。

 ただ、その中で、ウィーン国立歌劇場とミラノスカラ座の共同作品を多く実施し、運営を合理化しました。
 そして、このイタリア訪問からマリア・カラスと競演するようになりました。

 

 70年代以降、カラヤンのイタリアオペラの上演はほとんどありません。もちろん、オペラの上演自体がまるでないわけですが、レパートリーのわりには全くありません。
 まずカラヤンの主なレパートリーについてあげてみます。
 
モーツァルト
『コジファントゥッテ』『ドンジョヴァンニ』『フィガロの結婚』『魔笛』
グルック『オルフェオとエウリディーチェ』
ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』
マスカーニ『カヴァレリアルスティカーナ』
レオンカヴァルロ『道化師』
プッチーニ
『蝶々夫人』『ラボエーム』『トスカ』『トゥーランドット』
レハール『メリーウィドウ』
JシュトラウスⅡ世『こうもり』
Rシュトラウス
『エレクトラ』『サロメ』『ナクソス島のアリアドネ』『ばらの騎士』
ヴェルディ
『椿姫』『オテロ』『アイーダ』『仮面舞踏会』『トロヴァトーレ』『ドンカルロ』『ファルスタッフ』
ワーグナー
『ニーベルングの指環』『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ニュルンベルグのマイスタージンガー』『パルジファル』『ローエングリン』
ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』
ムソルグスキー『ボリスゴドノフ』
ベートーヴェン『フィデリオ』
フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』
ビゼー『カルメン』

 

 たとえば、このレパートリー数が多いか少ないかですが、フルトヴェングラーは常時振る作品は20本までです。ベームがRシュトラウス、モーツァルトの大部分を振るだけで30本にも及んでいますし、現代だとアバド、ムーティなどのイタリア指揮者がやはり30本以上は振れるといわれています。

 

 最もすごいのはジェームズ・レヴァインで「コンピュータブルトーザー」と言われるだけあって、常に50~60本のオペラの楽譜が彼の頭の中に入っていると言われています(レパートリーが50~60本でなく、いつでも振れる数ですから『化け物』ですね)。世界最高峰のメトロポリタン歌劇場で何十年と芸術監督についているだけのことはあります。彼は有史以来でも最もオペラレパートリーを持った指揮者であることは確かですが、彼を除けばカラヤンも素晴らしいレパートリーです。

 

 彼の特筆は、グランドオペラ(大がかりなオペラ)を振らせたときです。イタリアオペラのうち一連のヴェルディものはほとんどが70年代EMIで録音、またDGでプッチーニを録音しています。この多くが日本レコードアカデミー賞の大賞やオペラ部門の大賞に輝いています。特に『アイーダ』と『トゥーランドット』は屈指の名演として、今現在も最高の録音であることは間違いありません。彼ほど雄大に彼ほど優雅に、そして彼ほど完璧にこれらの演奏をした指揮者はいません。
 『アイーダ』については豪華キャストによるカラヤン絶頂期の名盤。1978年盤直前のザルツブルク公演のキャストのままウィーンのムジークフェラインで収録しました。


 

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ヴェルディ/歌劇「アイーダ」
ミレルラ・フレーニ
ホセ・カレーラス
アグネス・バルツァ
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルトフォンカラヤン
1978年ウィーンムジークフェラインザール録音

 

 1959年にも録音していますが、78年盤が抜群に素晴らしいです。
 このザルツブルグ音楽祭は映像にも残されているようですが、まだ映像は公開されていません。
 すでにレコード会社には遺族に打診があったようですが、エリエッテ(カラヤンの最後の妻)が首を縦に振ることはないそうです。他にも素晴らしいライブラリが残されています。

 

 音楽の素晴らしさはCDを聴けば誰でもわかりますが、カラヤンが舞台演出したオペラがどのような仕上がりになっているのか是非観てみたいものなのですけど。