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カラヤンが没した年は1989年です。この年日本ではバブル真っ盛りの年でした。7月16日にザルツブルグの自宅で永眠しています。写真でカラヤン邸を見たことあるが、とてもシンプルな部屋です。クリームっぽい壁にベージュの家具類やソファー。非常に趣味のよい物です。

 

イメージ 2彼の死はもちろんショッキングなニュースとしてマスコミに語られましたが、反面彼が亡くなっても、まだ多くの巨匠が楽壇に残っていました。バーンスタイン、ショルティ、ジュリーニ、クライバー(?)がひかえていて、クラシック界においてローマ法王が逝去するほどの話にはなっていませんでした。

 

それはひとつにマエストロの晩年における活動状況によるものと思われます。'''すでにベルリンの終身指揮者の契約をカラヤン側から破棄し、ウィーンとのつながりを深めたことと、新たに録音する音楽はどれも今までに録音した焼き直しばかりだったかがです。晩年のカラヤンが新たな録音として期待されていたのはオペラ音楽でした。
彼の原点はオペラでした。1929年にウルム、1934年にはアーヘン歌劇場の指揮でオペラ指揮者からキャリアを積み、1956年6月にはウィーン国立歌劇場のポストにつきます。ところが64年にはそのポストから降ります。

 

彼はその後もオペラというレパートリーを大事にしながらも常任指揮者という形は取りませんでした。しかしながら『世界一』のコンサートオーケストラ(もちろんベルリンフィルのことです)を活用するために、ザルツブルグで演奏するときに限りオケピットに入れる奇策をやってのけました。
通常のオーケストラがオペラをやる時は「コンサート形式」のオペラ演奏をしますが、カラヤンは舞台にこだわりました。80年代にプッチーニの『トスカ』をやったときに「コンサート形式」でやる以外は舞台でのオペラをやっていました。

 

1989年という年はターニングポイントでした。マエストロの死が起きると同時に巨匠が立て続けにこの世を去っています。90年にバーンスタインが亡くなるとショルティ(97)やジュリーニ(05年~引退はもっと早かったです。奥さんが亡くなって引きこもりでした)もこの世から去っていきました(クーベリックは96年でしたね)。
この世代の指揮者がなくなると一挙にマゼール世代まで「スター指揮者」はいませんでした。
この大いなる「スター」はライバルが存在してこそ育つものです。

 

最近の指揮者で『大家』と呼べる人はいても『巨匠』と呼べる指揮者はいません。もちろん21世紀寸前までいたヴァントやチェリビダッケは『巨匠』という名に値したかもしれませんが、彼らが指揮してきたオーケストラやコンサートは所詮ローカルオーケストラでしかなかったわけです。

 

メジャーレコード会社の録音の中心となりザルツブルグ音楽祭やバイロイト音楽祭に頻繁に顔を出し、1年に10回程度しかないウィーンフィルの定期演奏会に顔が現れるかどうかを常に話題にされる指揮者がスター指揮者または巨匠ですが、カラヤン世代後はこれら全てをクリアする指揮者はいなくなってしまいました。
この問題の大きな要因としては、クラシックファンのレコード離れによるもので、セールスが減少する結果として『録音』そのものがなくなってしまったことです。
1989年という年はドイツという国そのものが大きな変化を遂げた年でもありました。世界のパラダイムが「東西冷戦という基軸から東西融合」という状況に変わったことです。これは単に現象ではなく、社会、文化まで変革が起きていきました。

 

ドイツでいえば、ドレスデン国立歌劇場やベルリン国立歌劇場といった名門の歌劇場が「西側の音楽体制」の中に順次組み込まれた年でもあります。
世界は『巨匠』の時代からオールマイティ指揮者の時代になりました。均一された音は、オーケストラの個性も奪うこととなりました。皆がベルリンフィルの音を求めていきました。

 

演奏が高機能に均一化されていく中、指揮者、オーケストラの個性がなくなり、どの演奏を聴いても大きな変化がないことでクラシックファンの「録音もの離れ」が明確化していきました。

 

「どの演奏も、結構上手だけど特別な演奏ではないなあ」

 

ということでマイナーレーベルだけでなくメジャーレーベルのレコードもどんどん統合されていきました。反面ピノックやアーノンクールのような特異な演奏に目を向けるファンも出来たのは確かなのですが、カラヤン後に指揮者の名前だけでお客を呼べるコンサートはほとんどなくなってしまいました。

 

実は、カラヤンが倒れたときある人と懇談中だったと報道されています。
誰あろう、当時のSONY社長大賀さんだったと言われています。SONYは1990年からクラシカル・ソニーがカラヤンとの録音をすることになっていました(映像も含めて)。音楽としての記録ももちろん映像としての記録もカラヤンと企画していくということだったようです。
81歳という歳は決して早死にというわけではないです。(将来を期待されていた)ケルテスみたいに40そこそこで亡くなったわけではないです。

 

ベルリンのシェフについた1956年は48歳の時です。決して早い年齢ではなかったわけですが、その後世界一のオーケストラに磨きをかけていったことはやはり奇跡に値します。
『奇跡のカラヤン』という言葉をカラヤンファンなら皆知っています。彼の歩んだ道は常に「奇跡」という言葉がついて回ります。

 

カラヤンは1938年~1989年の51年間に420もの膨大な録音を行っています。年間8作をコンスタントに録音してきた勘定です。1989年に生まれた人は今年19歳です。仮に18歳でオーケストラ作品を聴き始めると考えると37歳以下の人がカラヤンを聴き始めるきっかけがない限り、彼の偉業(本質)を知らないままにクラシックファンであり続けるということです。

 

僕はかつてチャイコフスキー第6番のことをこのブログ上で書いたことがあります。あの有名な71年録音のEMI盤のことです。カラヤンファンなら皆さんが

 

「あ~、あれのことね」

 

という代物です。

 

カラヤンの神髄~71年盤「悲愴交響曲」
http://blogs.yahoo.co.jp/takashidoing0826/38569943.html

 

「カラヤンの音楽には『精神構造の骨格がない』」という指摘が一部の評論家からあります。これは日本の評論家だけでなくアメリカそしてドイツの評論家さえも出てきます。
これに対して僕のようなものがどうこういうつもりはありませんが、音符に精神構造なるものがあるとは僕には理解が出来ないことです。
もちろん楽譜から何を読むかということはどの音楽にも言えることですが、指揮者が勝手な解釈で伸ばしたり、つぎはぎだらけにするものではないと思います。

 

「精神性」より『美の構造の構築』がカラヤンの世界ではないでしょうか。彼の音楽には『非連続性』というものがありません。音楽の本質には必ず『連続性』の展開が存在し、「美」という原点で創造されています。これを「大衆迎合」とか「稚拙」という言葉でかたずけるべきものではないと思います。
音楽は何よりも聴衆に理解させることが重要な事柄ですから、「芸術性の高さ」というスケールは最優先されるべきものではないです。
このように書くとまた『商業性の追求』という言葉で反駁(はんばく)してこられる「へそ曲がり」の方がいらっしゃるんですけどね。

 

僕はそれよりも多くの人に美しい旋律を理解させる機会を与えてくれるカラヤンをとてもいとおしく思う一人なのです・・・