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8 「起きなさい、主は、私の死後に隠されることを望まれたことについてあなたに書き留めてもらいたいと願われています。それは重要なことなので書き取ってください、私には言うべきことがたくさんあります」

9 教皇閣下は私にラテン語でお語りになり、私はそれを完璧なスペイン語で理解しました。少し前に、ある聖人が私にフランス語で語られましたが、私は彼の言うことをスペイン語で理解しました。どうやるのでしょう。私には分かりません。私に分かることはと言えば、彼らが語ることを私が理解するということだけです。それで私は難儀して椅子に座り、書き留めるための紙とペンを用意しました。

10 話は長く、私が語ることは、土台から教会を揺るがすハリケーンを生じさせるでしょう、特に中央政府であるヴァチカン聖庁を。私の敵たちはその成功によって勝利したと思っているでしょうが、彼らの喜びは長くは続きません。彼らは仲間内で言います―ついに我々は彼を黙らせた。彼の投票が我々の利益を損ねた。ほっとした!しかし彼らは神の御旨を考慮していない。彼らは私が語るなどと思ってもいなかった、その可能性を考えもしなかった、死者に口無しと思った、しかし彼らは神が正しく、時折、私の場合のように死者に語らせることがあるということを忘れている。それは永遠からの語り掛けであっても、それはキリストの真理を証しするものです。私は神と共にいて、永遠に生きます。主は、曲がった線の上にまっすぐ書く方法をご存じです、そして、死後の生命があり、いかに彼らが私を沈黙させようとしようとも、死後であってさえ真実は明るみされるのだということを証しするために、主は死後私に様々な人々に私自身について語ることをお許しになられたのです。

11 私の偉大なる友、ヨハネ・パウロⅡ世の葬儀ミサで、私は心に大きな動揺を覚えました。ヨハネ・パウロⅡ世は、口封じだけのために首の手術を受けたのでした、それで彼の健康は悪化しました、それは中央政府の中で高位を占める教会フリーメイスンと矛盾する決定を彼にさせないためでした、つまり当時のメディアが報じたようなものではなかったのです。

12 教皇ヨハネ・パウロⅡ世にはもう一つの管理計画が念頭にありました、それは必要がなければ変更を規定しないというものでした。当初彼は、ヴァチカン聖庁内での調査に懐疑的でした、教会の安定を脅かすゆえに即座の変更を求める非常に重要かつ機密の情報を含むレポートがありました、その情報は前任者の教皇ヨハネ・パウロⅠ世によって詳しく知られていました、彼は暗殺されました、それはこの情報を知っていたからだけではなく、彼が中央政府とヴァチカン銀行内のいくつかの変更を取り消しし始めたからでした、それは彼を排除するに十分な理由でした。暗殺が実行された後に初めて偉大なるヨハネ・パウロⅡ世は考えを変えました。彼はこの情報を私と分かち合い、私たちは仕事に着手しました。当時私は教理省の長官でした。不幸にも物事は計画通りにはいきませんでした。被った痛手は回復不可能でした、また多くの教会ヒエラルキーの高位を解任することは非常に複雑なことでした。

13 そして、いくつかの措置がすでに取られていたことも事実です。
フリーメイスン、それは枢機卿団といくつかの聖庁で優位を占めていて、ヴァチカン内のみならず、ヴァチカンの外との同盟を通じてその触手を伸ばしていました。私たちは、望むことではなく、ただできることをやりました。私がしたように、敵対的な(ヴァチカン)政府と一緒に働くことは困難なことです、そして味方もほとんどいない中で、その影響を受けた相対主義と現代主義を掲げる多数派を相手にするとは。私たちはすぐに、教皇に対する反抗と不従順の風潮があることに気づきました、そしてそのすべてのことが教会の大分裂に繫がる恐れがありました。私の人生において、とりわけ教皇職にある間に、私はひどい苦しみの瞬間を経験しました。その中のいくつかは神だけがご存じです。悪が最高レベルまで達しうるとは決して考えられませんでした。そして今サタンは、強力ですべてを支配していると感じています。

14 ヴァチカンのメースン枢機卿には、オカルト的興趣を追求する非常に危険なマフィアが存在することを私は知っていました。彼らは教会に対する裏切り者であり、非常に重要な地位に就き、仲間を増やし、内部から教会とカトリック信仰を破壊するのです、彼らは神をも恐れず、冷血に、良心の呵責もなしに霊魂を破滅させ、それはみな権力と富への執着から来るものであり、主イエズス・キリストによって私たちに与えられた真のミッションから遠く、遠く離れていくことになるので す。偉大なるヨハネ・パウロⅡ世の亡骸(なきがら)を見たとき、私はそのことを考えました。その瞬間、私は心の底から、教皇とともに生き、本を書くことに身を捧げる決心をしたのです。私は、私の使命は終わったと感じていました。私は私の使命にすべてを捧げ、最善を尽くしてきました。さらに言えば、私の健康状態は良くありませんでした。私は、もっと穏やかでリラックスした立場で、自分自身が裏方に徹する形で教会に寄与することを望んでいました。教皇の逝去した後、私は私の仕事は終わったと確信していました。しかし、神の計画は私たちの計画ではありません、そして神はすでに私に関してはお決めになられていたのです。コンクラーベで、投票の間に選択はこの哀れな人間の上に下されたことを恐怖とともに知った私は、諦めとともに心の底から神に言いましたー「神よ、私に対してこのようなことはなさらないでください」その後そのフレーズはメーソンの枢機卿たちに操られてすべてを歪められてメディアに取り上げられ、私の死の時まで私に対する破壊的で虚偽のイメージが作り上げられたのでした。



16 そのために、私は「キリストの軍団(the Legionaries of Christ )内で大いに必要とされていた浄化を開始し、その創立者であるマーシャル・マーシェル( Marcial Maciel)をすべての公の職務から解任しました。そのことだけで、教会内だけではなく、教会の外でも、私には多くの敵が生まれました。

17 私を粛正する大いなる動きがあることを私は知っていました。私はヴァチカンの教皇庁と、そこで渦巻くあらゆる陰謀について知っていました。私は、私がペテロの椅子に座る最有力候補でないことを知っていました、それは私が資質を欠いていたからというだけではなく、私がメーソンのゴールに寄与しないからでした。その間、彼らは彼らの利益に合致する理想的な候補者を準備し、権力と一致するその候補者を選ぶ間に誰かを教皇にする必要があり、その、その場しのぎが私だったのです。

18 (ここで教皇ベネディクトⅩⅥ世は深くため息を吐きました、その視線は果てしのない海の平和のようでした。)
私は、私の前任者がそうであったように、命を失う可能性が高いことを自覚していました。しかし私は、何人かの信仰の人たちの助けのもとに、より困難な道を行くことに決めたのでした。

19 しかし神は、ご自分の教会に対する無限の憐みによって、優しくも不義の大いなる謎を少し伸ばされたのです。この謎が私の死後に明らかになることを神はご存じだったからです。神はその忠実な仲間の助力のもとに完全に自由に御業を行われます。大いなる教会の破壊者はすでに立ち上がっていました。彼の名はすでにヴァチカン内で、また秘密の会合で聞かれていました。しかし彼は準備が整うまで、また時が到来するまで待たねばなりませんでした。時、神がその善においていて、聖人たちと教会の神秘体の義人たちー単純で、穏やかで、揺るぎのない信仰を持つ寡黙な人たち、イエズス・キリストのためには命をも捧げ、悪の所在を弁え、悪に屈することのない人たちの祈りのおかげで延ばされてきたその時です。これらの人たちは、主に愛され、多数存在し、粛々と叙階され、神の御母に手を取られて歩む強力な軍隊を形成する人たちです。 

20 その時、教皇ベネディクトのお顔に天使のような笑みが浮かび、教皇は続けられました。

21 私がふさわしくない道具であるということを、神がご存じでないわけはなく、神は私にご自分の力、神ご自身がそうされたように愛をもって十字架に耐えるための力を与えてくださいます。このことは、すでに枢機卿団の大多数からの、そして市井の権威筋からの拒絶を感じ、戦いはまだ始まったばかりだと知る私の心の慰めとなりました。教皇としての私の苦しみは選ばれたその日に始まりました。バルコニーに進み、人の海が轟きとなって叫ぶ様を見て私は自分の運命を理解しました。私は神の支配下にあったのです。ペテロの後継者として身支度を整えたとき、震えが走りました。体全体が、まるで屠殺場に引かれてゆくあしなえの子羊のように感じました。私は人生の中で、主の道が楽なものではなく、それはバラとあざみの散らばる道であることを悟るに至りました。

22 人がどんな道でも選べる、すべての道が真理に通じると考えることは危険です。これは現在、教会を「導いている」者にとって大きな誤りです。私はフランシスコのことを言っています。彼はこの種の体制と内部分裂を促進できる。ある意味で、これは私が数えきれないほど非難してきた相対主義との交わり、また世俗の権力を無理やり押し付けることを求める革命的イデオロギーとの交わりを受け入れることを意味します。冒瀆されたぺテロの座から教会によって広められる大きな誤りは霊魂を自殺に追いやります。地獄のような暴力的行為によって、悪がすでに行われ、元に戻すことはできません、神だけがご自分の教会が深淵に落ちてゆくのを救うことができます、私は第二ヴァチカン公会議中に、すでにこの悪を明確に見てきました。そこで私は、公会議の誤った解釈と、潜入してきた大勢の紫の狼(司教たちー訳注)によって、その瞬間に擡(もた)げてきた誤りの未来を予測しました、(それらの司教たちは)ヨハネⅡⅩⅢ世の教皇職の間の教会の分裂に乗じて確実に潜入して来たのでした。

23 生涯にわたって私は相対主義と戦ってきました、私は多くの著書で、神に背くこのような革命的理論を非難しました。少数を除いて、いかにほとんどの枢機卿たちががこのイデオロギーを受け入れるかを見て、私は個人的に悲しみました。それこそがまさに彼らが教会の改革を熱心に求めた理由であり、私の排除も含めた改革を求めた理由なのです。私は彼らにとって大きな障害だったのです。
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24 私は彼らの限りない憎悪を感じました、いつも私とともにいてくださる神の憐みがもし無かったなら私はこれらの攻撃に屈していたでしょう。彼らは何度も私を殺そうとしました、しかし神は私を護ってくださいました、私が排除されるその日まで、私の時はまだ来ていなかったからです。私の死によって羊が散るということを私は知っていました、しかし、神なる牧者がご自分の群れに羊をお集めになられることを私は確信していたのです。神の救済の計画において私は道具以上のものではなく、まもなく大いなる浄化が訪れると思っていました。ご自分の教会に真に責任を持たれるのは主イエズス・キリストです。私が死んだあと、大きな混乱が生じました。キリストの真の弟子であると主張する者たちの心の中の邪悪さをどういうわけか神はお許しになられ、また事実としてこの時代のユダとなった者たちが、教会にさらなる混乱と分裂をもたらすのをお許しになられました。








マリアディバインマーシーさんの大警告のサイトより


*以前紹介したマリアディバインマーシーさんのサイトからの教皇フランシスコの正体について、名誉教皇ベネディクト16世死後、とある人物に出現された時の話しの詳細です!