アルモデル 森ブタタイプのDLが工場の専用線で働くEB級凸型電気機関車に変身しました。
アルモデルの真鍮板キットの改造の大まかなところは、前回の報告にある通りです。
ハンダ付けが終わった後、必要なパーツを接着剤で貼り付け、塗装、仕上げまで完了しました。
安定した走行を支えるため絶対になくてはならないのが軸受です。
軸受はエコーのホワイトメタルのパーツから、EL用よりも存在感を出せると思い、あえてDL用を選択しました。
軸受は、このモデルの場合ダミーで
軸重は全てパワトラ本体に掛かるため、プラ素材の花園製パワトラよりも金属素材のものの方が長期安定した走行を期待できると踏んで、エンドウのトラクションモーターを選択ですが、実際の効果はよくわかりません。
できれば、花園のパワトラの音質の方が好みなのですが…。
砂箱、これもエコー製です。
軸受、砂箱、どちらも、アロンアルファで接着しました。
ボンネットには、上部に点検用の小さな蓋を2つ付けました。(小さすぎますが。)
これはゴム系ボンドで付けた後、補強のため表面から少量の瞬間接着剤を垂らしておきました。
キャブについては、前後妻板の3枚窓とサイドの窓の窓枠がありますが、塗装後、ともに白く塗装してからゴム系ボンドで貼り付けました。
はじめから半田付け留めして、ボディーと同色にすれば迷わなかったのですが、色調というよりも、サッシの材質のことでチェックをいれてからでないと色は決められないという思いに至りました。
サッシには木製、鋼板製、アルミ製の3種類があります。
アルミサッシに更新したと仮定し、スッキリした白銀色に塗り分けてもいいのですが、妻板の3枚窓にアルミサッシはどうしても似つかわしくありません。
それで、鋼板製として、白ペンキで塗装した姿を表現することにしました。
ちなみに、ネットから得た情報になりますが、鉄道車両の窓のアルミサッシ化は、1960年代に入ってからになります。
「各社の参入と一貫生産体勢の確立
1959年に昭和鋼機がアルミサッシの生産を開始した。また1960年には近畿車輛が生産開始し、翌年に近畿工業を設立した。」
Window Research Institute
1-1 Kanda Izumi-cho, Chiyoda-ku,
Tokyo 101-0024, Japan
真鍋恒博/Tsunehiro Manabe
よりの転載です。
このEB凸電のモデルは、日本セメント 上磯鉄道 5号機
1923年東洋電機・汽車会社製造
及び三池鉄道11号機
1916年三菱造船製の20t B形電気機関車。運行終了時(2020年5月)まで稼働です。
北と南の遠く離れた地で、一方はセメント、もう片方は石炭の運送に従事していた働く機関車です。
どちらも、当初からアルミサッシ窓でないことはわかります。
車両本体の塗装については、当初三池鉄道のエンジ(赤2号)か、上磯のクリーム(黄色5号)かどちらかにしようと考えていましたが、あることがきっかけで、どちらでもないグリーンマックスのブルーC(伊豆急100系等に使われている色)に塗ってしまいました。
この色は、近江鉄道の電気機関車のようでもあり、気にいっています。
ただ、保線や資材運搬用の事業用車によく見られる塗色ですが、ちゃんと社籍のある本線を貨物車を引っ張っているようには、なかなか見てもらえそうにありません。
ナンバープレートは、エコーのものからNo.16を選び、ベースに赤2号に塗って4ヶ所に貼りました。
16は、車重16tからそうなっていると、そういう鉄道会社も実際にあるそうです。
最後にパンタグラフですが、少し古いカツミのPS16です。以前に三池鉄道用にと、エメラルドグリーンに塗装したものがあったので、それを使いました。
櫓の代わりに、碍子台を少し高いものにしようと、知恵を絞って、エンドウの7段碍子とタミヤの2×2の角パイプを組み合わせて、それらしく作りました。
当初作ったものよりも高さは半分程度に抑えて、7段碍子を付けた場合と同程度の高さにしました。
高すぎると見た目に不安定で、パンタの取り付けも難しくなります。
森ブタの電機化は以前にやったことがあります。
その際は、単に屋根上にパンタグラフを乗せただけでしたが、今回、少しいろいろと考えながら作ってみると、愛着はひとしおです。
近江鉄道では、かつて、セメントの他、ビールも輸送していました。
欧州のようなビール樽や、サイドに
ロゴの入った貨車のような楽しさはありませんが、これから夏に向かって、ん真っ黒い有蓋車の積荷はビールなんだと、想像するのも良さそうです。