高村薫の「冷血」
大学時代に読んだものだけれども、最近もう一度読みたくなり最近始めたオーディブルでの朗読も合わせて聴きながら再読。
やはり傑作でした。
被害者のどこにでもあるいつもの日常、生活を描き、そして並行するように対照的な犯罪者二人の冷血までの犯行に至る経緯を語っていく。そして、犯罪者の人間の奥底にあるなにかを理解したいと寄り添う刑事の心情が著者の圧倒的な文章によって余すことなく表現されて引き込まれて行きます。
四人一家殺害、そして後悔はあっても反省の気持ちは分からないという被告の心情にまさに冷血を感じるわけなのですが、そうした被告を生んだ幼い頃の環境を考慮しても許されることのない犯罪をもってしても、非情ということだけでは割り切れない「何か」を感じさせる。人間の生と死の意味を問う作品。
被告人の一人が刑事に宛てた手紙の一節
「子どもを二人も殺した私ですが、生きよ、生きよという声が聞こえるのです」
ここだけ抜き出すとなんて都合の良いということになりますが、この小説全体の中で発せられたこのセリフはそれが深い問いかけのようにも私には感じられます。
この本では生と死がどんなに不条理に満ちていても、生も死も淡々とそこにはあるということに対する哀しさのようなものが支配していきます。
もう一人の被告人が刑場の中から刑事に送ってくる至極まっとうな手紙。そこに読み差し掛かったとき、そのあまりにも静かな哀しさに、私の頭にはシューベルトの未完成交響曲の第二楽章が響き続けました。大学生だった私はなぜか涙を流しながら通読していたのを思い出します。
シューベルトの全ての未完成交響曲の演奏の中で1番好きなムラヴィンスキーの演奏。そこには冒頭から全編優しさを超えた寂しさがあり、全てを包み込む不条理がこの高村薫の冷血にマッチしたのかもしれません。
この演奏を冷たいと評する人がいます。私には鋭利な刃物を突きつけられているような、冬風吹き荒ぶ何もない風景が思い浮かびますが、その根底には暖かい優しさと哀しさを小さな芽として持っているという気がしてならないのです。
