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藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ

私のテーマは6つあります。
(1)ビジネス書の紹介(2)医療問題 (3)自分ブランド力
(4)名言 (5)ランキング (6)ICT(情報通信技術)
このブログでは、主に(1)~(4)を扱っています。
(5)と(6)はそれぞれ別のタイトルで運営しています。

🔷「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」の「四日目(五月五日 日曜日) ゴールドコースト)の後半を掲載します。🔷

 

『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第27回)✍

 

「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」の「四日目(五月五日 日曜日) ゴールドコースト)の後半を掲載します。

 

新婚時代(5)

 

 オーストラリア東海岸への旅Ⅰ

 

 四日目(五月五日 日曜日) ゴールドコーストの後半

  さて、ヒデミさんの説明は続きます。オーストラリア通貨は、ご存じのように、オーストラリアドル(豪ドルは約一一〇円)ですが、硬貨にはそれぞれオーストラリアに生息する動物のデザインが施されています。十セント硬貨の裏には、カンガルー(先住民アボリジニの言葉で「分からない」という意味)と、エミュー(飛べない最大の鳥)の絵が描かれています。

 

 なぜ、この二つの動物が選ばれたかと言いますと、どちらも前進はできても、後退はできないことと、オーストラリアは一九八八年にバイセンテニアル(建国二〇〇年)を迎えたばかりの「若い国」で、前進あるのみであることに掛けて、決まったそうです。

 

 オプショナルツアー終了後、いったんシェラトン・ミラージュ・ゴールドコーストへ戻り、かの有名なサーファーズ・パラダイスへ出かけました。

 

 サーファーズ・パラダイスでの目的は、日本でも有名なケン・ドーン(オーストラリアのデザイナーで、雑誌『HANAKO』の表紙のデザインで有名)の専門店で買い物をすることです。

 

 予定通り、ケン・ドーンのトレーナー、ポロシャツ、Tシャツを買い求めましたが、店員は愛想がなく、計算もいい加減なのには腹が立ちました。来店するのは私たち日本人だけなので、馬鹿にしているのかどうか分かりませんが、困ったことです。

 

 夕食は、その名も「ザ・コーヒー・ショップ」というレストランにルームサービスを頼み、例によってボリュームたっぷりの料理に舌鼓を打って平らげました。二人分でしめてA$39(約四三〇〇円)でした。

(PP.71-72)

 

 

➳ 編集後記

 

第27回は「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」の「四日目(五月五日 日曜日) ゴールドコースト)の後半を書きました。

 

オーストラリア旅行が4日目になると、さすがに慣れてきていました。海外に行くと日本の良さが分かるとよく言われますが、確かに国内にいると気づかない良いことが、海外に行って外から日本を見ると気づくことが多かったですね。

 

もちろん、外国は外国の良さがあるのは言うまでもありません。

 

 

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🔷「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」の「四日目(五月五日 日曜日) ゴールドコースト)の前半を掲載します。🔷

 

『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第26回)✍

 

「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」の「四日目(五月五日 日曜日) ゴールドコースト)の前半を掲載します。

 

新婚時代(4)

 

 オーストラリア東海岸への旅Ⅰ

 

 四日目(五月五日 日曜日) ゴールドコーストの前半

 昨日、I’LLラウンジで予約したオプショナルツアーは、つとに有名なシーワールドとカルンビン野鳥園の見学に、ランチクルーズをセットしたもので、快晴の空の下ですっかり日焼けしてしまいました。マイクロバスに乗り、最初の目的地、カルンビン野鳥園へ向かいました。ガイドさんはタレントの川上麻衣子さん似の日系のヒデミさんで、小柄で可愛らしい女性(ひと)でした。

 

 カルンビン野鳥園では、羽が緑・赤・黄・青等の色鮮やかな、オウムの一種のロリキートの餌付けが体験でき、また放し飼いになっているカンガルーによく似た、ワラビーの頭や背中を撫でることができ、楽しいひと時を過ごしました。その後、カンガルーとワラビーはまったく別種の動物であることを知りました。

 

 シーワールドは、去年の社内旅行(洋販<既出>に在籍当時)の目的地の一つだった、鴨川シーワールドで見た、クジラやアザラシの曲芸のほかに、鴨川シーワールドでは見られなかった、水上スキーの妙技(冒険活劇風? にアレンジされたもの)を間近で堪能することができ、これを見るだけでも満足できる出来栄えでした。

 

 シーワールドを出て、隣接した桟橋からクルーザーに乗り、ランチクルーズの始まりです。なにぶんにも快晴なので気分よく、川風が快くほほを撫でていきます。川の両岸を見ると、南国特有の木々が生い茂り、木々の間から白亜の邸宅がいくつも見えました。この付近は最近地価が高騰し、地元の人はなかなか手が出せないそうです。

 

 こうした場所に住居を構えられる人は、いったいどんな人なのか興味が湧き、ガイドさんに尋ねてみると、案の定、日本の不動産会社社長が多いそうです。

 

 ランチクルーズでの食事は、例のごとく、ビュッフェスタイルで取り立てて印象に残る料理は出てきませんでした。

 

 話は前後しますが、マイクロバスでカルンビン野鳥園へ向かう途中、小高い丘の頂上付近に城が見えました。この付近一帯は、「マジックマウンテン」と呼ばれ、しばらく前までは、地元に親しまれたアミューズメントパークだったそうですが、今は潰れ、売りに出されていました。

 

潰れた理由には二つの説があり、一つ目は、土曜日と日曜日に従業員を働かせるとダブルペイと言い、給料を二倍払わなければならないそうですが、ここの経営者は二倍も支払いたくないので、土日を休館日にしてしまったため、客が来なくなってしまい、経営難に陥ってしまったという説。

 

二つ目は、ここのマジックは単純で子供たちにもすぐにネタが割れてしまい、つまらなくて、客が集まらなくなったため、潰れてしまったという説。

 

 私は、この話を聞き、二つの説のどちらかではなく、両方の説が相まって、経営難に陥ってしまったと思いました。

(PP.69-71)

 

 

➳ 編集後記

 

第26回は「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」の「四日目(五月五日 日曜日) ゴールドコースト)の前半を書きました。

 

改めて書き直してみますと、オーストラリア旅行での出来事がにわかに蘇ってきました。あんなこともあったな、こんなこともあったなと思い出されてきました。

 

楽しい思い出だったために、かえっていっそう悲しみが深まります。涙を拭っています。

 

 

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🔷「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」の「一日目(五月二日 木曜日) ポートダグラス)を掲載します。🔷

 

『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第25回)✍

 

「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」の「一日目(五月二日 木曜日) ポートダグラス)を掲載します。

 

 

新婚時代

 

 オーストラリア東海岸への旅Ⅰ

 

 一日目(五月二日 木曜日) ポートダグラス

 成田ビューホテルからホテルのバスに乗り、成田空港へ。午前十一時、JL060便でケアンズへ向け、成田を発ちました。私にとって、海外旅行は一九八二年(昭和五十七年)九月にハワイ(オアフ島)へ行って以来ですから、実に九年ぶり、二度目のことです。

 

 由美子にとっては、今回の旅行はハワイ、バリに続き、三度目で、慣れたものです。というのも、平成元年、二年、そして今回の三年と三年連続ですからね!

 

 成田からシドニーへは、日本航空とカンタス航空との共同運航便を使用するため、それぞれの航空会社のスチュワードやスチュワーデスが搭乗していました。

 

 今回の旅は、期待と不安が入り交じった、複雑な気持ちを抱いての旅でした。前回の旅行は男性だけの旅行でしたが、今回はハネムーンですから、多少緊張感が伴いました(?)。

 

 ケアンズ国際空港への到着は、現地時間で午後七時十分(日本時間では午後六時十分)でした。途中、何事もなく快適な飛行でした。ケアンズ国際空港から、マイクロバスに乗り、最初の宿泊先であるシェラトン・ミラージュ・ポートダグラスへ向かいました。

 

 このバスに乗り合わせたのは、同じツアーI’LLの三組(私たちを含め)で、いずれも新婚カップルでした。もっとも、私たちよりかなり若いカップルでした。一組は相模原市にお住まいのKさんご夫妻で、もう一組は大阪にお住まいのGさんご夫妻です。

 

 信号がないため、マイクロバスはほとんど時速八十キロで走行し、停車したのはたったの一度で、それも工事中のためで、工事中でなければノンストップでホテルへ到着するところでした。途中、対向車が六台と追越し車の一台があっただけでした。いかに車の数がすくないことか!

 

 オーストラリアは、日本と同様、右ハンドルで車輌は左側通行ですし、道路標識はメートル表示のため、日本人には運転しやすいと思います。違うのは道幅で、日本の車道の約一・五倍あります(メートル法の採用)。夜空は美しく、あちこちに星が瞬いていました。満天の星とはこのことをいうのでしょう。結局、サザンクロス(南十字星)は見つけられませんでしたが、ロマンチックな一夜でした。

(PP.66-68)

 

 

➳ 編集後記

 

第25回は「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」の「一日目(五月二日 木曜日) ポートダグラス)を書きました。

 

ハネムーンの当初は期待と不安が入り交じったものでした。日が経つにつれ、自信と確信に変わっていきました(?!)。

 

 

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🔷「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」<2>を掲載します。🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第24回)✍

 

「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」<2

>を掲載します。

 

 

新婚時代

 

 新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から<2>

 

 

 ⑤ マクドナルドが多くあるところは、都市であること。

最初の目的地で、シェラトン・ミラージュ・ポートダグラスしかないと言ってもよい、ポートダグラスという片田舎には、マクドナルドは一軒も見当たりませんでしたし、次の「サーファーズ・パラダイス」で有名なリゾート、ゴールドコーストには、ちらほら見られましたが、高層ビルディングが立ち並ぶシドニーには、あちこちに店がありました。

 

⑥ 閉店時間が早いこと。

だいたい午後五時~午後五時三十分には、ほとんどの店が閉まってしまい、うっかりすると大事なものを買い忘れてしまうことがあります。

 

 コンビニエンスストアが少ないため、ちょっとした物でも買いそびれてしまうと困ります。

 

⑦ オーストラリアは旅行者にとっては、とても居心地がいいところですが、ここに永住すると、日本の便利さや知的(痴的?)刺激の充実さに比べ、物足りなく、飽きてしまいそうに思えました。

(PP.64-66)

 

 

➳ 編集後記

 

第24回は「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」<2>を書きました。

 

2回にわたって「旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』」の概要をご説明しました。

次回からは、旅行記に掲載した8泊9日のうちの4日間をお伝えします。当時と現在では大きな変化が起きているかもしれません。

 

なにぶんにも31年前の1991年のことですから。ただ、最初の目的地ポートダグラスはあまり変わっていないような気がします。

 

 この回想録は20回を超えました。そこで、オリジナルにある目次に沿って投稿した記事をリンクさせようと考えています。近日中に投稿します。

 

 

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🔷「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」<1>を掲載します。🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第23回)✍

 

「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」<1>を掲載します。

 

 

新婚時代

 

 新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から<1>

 

 新婚旅行は、二人でオーストラリアに決めていました。ただ、移動するばかりでは疲れるので、訪問先は三カ所程度で、くつろげることを第一条件にしました。

 

 旅行代理店に行き、いろいろ検討した結果、ポートダグラス、ゴールドコースト、シドニーの三カ所を訪問するツアーに申し込みました。このツアーに申し込んだのは、私たちを含め、新婚カップル三組だけでした。その事実を知ったのは、旅行当日のことでした。

 

 一生に一度の新婚旅行と考えていましたので、二度と泊まれそうにない超高級ホテルを希望していました。すると、どれも凄いホテルであることが分かりました。シェラトン・ミラージュ・ポートダグラス、シェラトン・ミラージュ・ゴールドコースト、そして新婚旅行の何年後かに閉鎖されたリッツ・カールトン・シドニーでした。

 

 平成三年(一九九一年)五月二日、まさにゴールデンウェーク真っ只中の出発でした。このシーズンでしたから、旅費は相当高かったですね。思いっきり奮発しました。

 

 先述しましたように、平成三年六月三十日付で、『AUSTRALIA オーストラリア東海岸への旅 Ⅰ』という旅行記を残していました。この中から一部を掲載します。なにぶんにも二十四年前のことですので、文章は下手ですし、誤字脱字もあるかもしれませんが、ご容赦ください。一部、加筆訂正した個所があります。

 

 

 時の流れは早く、時代を感じさせる表現がいくつか見受けられます。例えば、スチュワーデスです。現在ではキャビンアテンダント(CA)ですね。

 

 初めてのオーストラリア旅行を通じて、感じたことがいくつかあります。

① 東海岸だけの旅行でしたが、オーストラリアは国土が日本の約二十二倍というだけ  あって、広大な島国いや大陸であることが実感できました。なにしろ、グレート・バリア・リーフの海岸の長さだけで、日本列島の北から南までに相当するとのことです。如何に大きな大陸であるかが分かろうというものです。

 

このように広大な大陸ですから、標準時間は一つでは足りず、三つあります。東海岸は日本時間よりも一時間進んでいて、内陸部は日本時間と同じで、西海岸は日本時間より一時間遅れています。

 

② カルンビン野鳥園やタロンガ動物園等では、ワラビー、カンガルー、コアラ等の野生動物を放し飼いにし、野生動物と人間との係わりを大切にしている国であることを実感しました。カルンビン野鳥園では、おとなしいワラビーの頭や背中を撫でることができました。

 

③ 道端の「ごみばこ」に書かれた「DO THE RIGHT THING(正しいことをしなさい)」 というスローガンを通じて、ごみはごみ箱へ捨てるということを実践することによって、環境保護や美化に国民が皆で取り組んでいること–––––草の根運動(Grassroots Movement)の浸透––––を知りました。

 

④ 町のいたるところに「NO SMOKING(ノースモーキング)」の表示があり、その表示に続いて、その場で喫煙するとA$200(約二万二〇〇〇円 当時のレートで)のペナルティ(罰金)が課せられると朱色で明記されていました。

 

 エレベーター、いやリフト(オーストラリアは旧英国領だったため、イギリス英語が使われている)の中も例外ではなく、罰金の表示が目につく所に書かれていました。これは、喫煙者の健康だけでなく、非喫煙者の健康にも配慮がなされているためと思われます。

 

 また、歩きながらたばこを吸っている人は、見当たりませんでしたし、どこの道にもたばこの吸殻は落ちていませんでした。

(PP.61-64)

<続く>

 

➳ 編集後記

 

第23回は「新婚時代」の中の「新婚旅行 旅行記『オーストラリア東海岸への旅Ⅰ』から」<1>を書きました。

8泊9日のオーストラリア旅行でした。あっという間に過ぎた8泊9日でした。旅行ならではのハプニングが発生しました。その件については次回以降でご紹介します。

 

 この回想録は20回を超えました。そこで、オリジナルにある目次に沿って投稿した記事をリンクさせようと考えています。近日中に投稿します。

 

 

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