サンタバーバラ校教授の著書から(2)
「またかよ~」とうんざりしたのでしたら、
読んでいただかなくても構いません。
たったお一人でも、最後まで読んで
いただけたら本望です。
2冊の本の内容は、私にとってはとても
重要なことを確認するものでした。
前回と今回の本の内容は、自分の考えを
見直したり、そのままでもいい、と確信
させるものでもありました。
-------- ここから --------
昨夜(7日)は、3人(赤崎勇・
名城大学終身教授、
天野浩・名古屋大学大学院教授、
中村修二・米カリフォルニア大学
サンタバーバラ校教授)の日本人研究者が、
ノーベル物理学賞を同時受賞したことで、
今日まで日本中は、この話題で持ちきり
だったのではないでしょうか。
日本中に大きなパワーを与えた、
と考えています。
今日に至るまで、日本で世界に通用するものは、
アニメとコスプレなどのサブカルチャーと、
ゲーム機・ゲームソフトしかない、
と海外から揶揄(やゆ)されることが多く
ありました(今では「クール」と評価され、
ポップカルチャーとなりましたが)。
今後は、そのような侮蔑的評価は少なくなる、
と思っています。
といいますのは、3人の研究者が受賞したのは、
世界中に大きく貢献する発光ダイオード(LED)
の開発で、中心的役割を果たしたからです。
既に実用化という実績があります。
その上で、ノーベル物理学賞を受賞したからです。
前回の記事と一部重複しますが、光の三原色は
ご存じの通り、赤・緑・青(RGB)です。
赤と緑のLEDは既に開発されていましたが、
青は世界中の研究者や企業が開発にしのぎを
削っていたのにもかかわらず、開発できず、
「20世紀中には不可能」
と考えられていました。
ところが、20世紀末までに日本人研究者に
よって開発されていたのです。
この事実は、非常に重かったと思います。
LEDは今や、至るところで使用されています。
信号機や白色蛍光灯の代替品としての室内灯、
イルミネーション、電光掲示板など用途は拡大の
一途をたどっています。
ただし、懸念すべきこともあることを忘れては
ならないと思います。
山中伸弥・京都大学教授も語ってたことを、
もう一度、振り返ってみましょう。
(『日経ビジネス』(2011.10.10号)の編集長インタビュー から)
理系離れは深刻です。日本では研究者の地位
があまりに低い。若い人たちに研究者が魅力的
な仕事に見えていません。このままでは担い手
がいなくなってしまうと懸念しています。
私が読了した中村さんの著書3冊のうち、
2冊の著書の中から、中村さんの特に強い思いが
伝わってくる言葉をご紹介していきます。
次回には、12年前に自分のサイト
本当に役に立つビジネス書
に掲載した書評をご覧いただきます。
残りの1冊の書評です。
最後までお付き合いください。
これ以上一気に読むのは辛い、と感じられましたら、
二度、三度に分けて最後まで目を通していただき
たい、と願っています。
2冊を先に、ご紹介しておきましょう。
1.『負けてたまるか! 青色発光ダイオード
開発者の言い分』 中村修二 朝日新聞社
2004年3月25日 第1刷発行

2.『ごめん!』中村修二 ダイヤモンド社
2005年7月14日 第1刷発行

-------- ここまで(前回と同じ) --------
今回は、『ごめん!』から中村さんの考え方が、
よく分かる言葉をご紹介していきます。
『負けてたまるか!』と『ごめん!』を比べると、
『負けてたまるか!』は、生い立ちが中心になっ
ているのに対して、『ごめん!』は日亜化学工業
との特許を巡る裁判上の争いと、和解に至るまで
の経過を中心に書いています。
いずれにせよ、中村さんの本を読み返してみると、
学ぶことがたくさんある、と気付かされました。
「考え方が重要なのだ」、と確信しました。
(『ごめん!』PP.022-023)
一般的に発明対価の金額は、
超過利益×発明者の貢献度で算出されるん
です。超過利益というのは「職務発明が
生んだ通常の利益分を超えた企業の利益」
です。たとえば、業界では、売上高の5%
が通常の営業利益だとしましょう。
発明のおかげで会社は60%の営業利益を
出したとしましょう。その場合、売上高の
55%(即ち、55%=60%-5%)が
超過利益です。その他の例として、特許を
他社へライセンス供与した場合のライセンス
使用料などが超過利益に当たります。
一審では、日亜化学の超過利益が約1200
億円、私の「404特許」への貢献度が50%
とし、約604 億円(利息分204億円を
含めると808億円)になりました。
ところが、東京高裁の算定では、私が関わった
すべての職務発明による超過利益の合計が
120億円になってしまったんです。
なぜ、こんな金額になったのか、計算方法が
違うのでしょうが納得できません。
私の職務発明は、東京地裁の判決文にもある
とおり、非常にレアな珍しいケースだとされ
ました。
算定基準が異なれば、金額に大きな差が出るのは
当然のことです。
日本社会は、大金持ちになる人を心よく思わず、
強く嫉妬するのです。不正を行って億万長者に
なったのでは、と疑うのです。
たとえ、正当な報酬であってもです。
悲しいですね! そんなちまちました心がです。
(上掲書 P.027)
日本の司法は、その発明でいくら企業が
大儲けしても、職務発明の譲渡対価には
上限があるという見解を示しました。
つまり、企業は守るけれど、社員である
個人の権利はどうでもいいということ
です。
一般的に、日本では個人よりも組織を優先
します。米国では個人を重視します。
その差です。とても大きな差です。
(上掲書 P.029)
仕事の対価はお金だと思っています。
いい仕事をしたら、いい収入が得られる。
人より頑張って結果を出せば給料が上がる。
当たり前のことだと思いませんか。
お金は大切です。名誉だけでは食べていけません。
(上掲書 P.032)
私の大学、カリフォルニア大学サンタバーバラ
校(UCSB)の学生たちを眺めているとよく
わかりますが、彼らの大部分の目標は、
画期的な発明をして特許を取り、それを基礎に
してベンチャーを起業し、株を公開して金持ち
になることです。
つまり、いい仕事をすれば、それが適正に評価
されることを知っている。
日本の学生と米国の学生との大きな違いと言えます。
いや、学生の違いというよりも、社会全体がどの
ようなものに価値を認めるのか、という評価基準の
差と言うべきでしょう。
(上掲書 P.052)
私にとって、頭を使って考えることが最も大切な
ことです。現場から離れれば、思い切り頭を
使って考えることなどできなくなってしまいます。
私にとって、それは死んだも同然の状態でした。
現場から離れ、研究者や技術者が管理職になると
部下の管理に追われ、考えることができなく
なってしまう、という指摘はその通りです。
マネジメントに向いている人と、研究に没頭
したいと考える人とは、異なるタイプです。
(上掲書 PP.056-057)
好きなこと、おもしろいものに興味を覚えると、
どんどんそのことについて知りたくなり、
自分の中へ蓄え始めるんです。人間の好奇心
というのは、大きなエネルギーになります。
もしも好奇心がなかったら、人類はこれほど
まで文明を発達させることはできなかったと
思います。
全く同感です。人間が他の動物と異なるものの
一つは、好奇心だと思います。もっと知りたい
という強い欲求です。
(上掲書 P.059)
日本で画期的な発明や発見がなされた場合、
多くは失敗や勘違いの結果、生まれたもの
が目立つんです。
私の発明も含め、日本の発明や発見は
「宝くじ発明」なんです
つまり、努力だけではどうにもならないところが
あるということですね。運も大切な要素なのですね。
(上掲書 P.074)
人間、一度や二度くらい失敗して、ようやく
本質が見えてくるものです。
失敗したり落ちこぼれたショックが、
洗脳から解き放ってくれる。アウトローに
なるという、自分へのショック療法によって、
社会や世界の本当の姿を見ることができるん
です。
失敗するということは、実際にチャレンジした結果
です。チャレンジしなければ、失敗もありませんが
成功もありません。
(上掲書 P.085)
米国では、理工系の大学教授のほとんどが、
企業とコンサルティング契約を結んでいます。
教授の中には数社とコンサルティングをして
いる人も珍しくありません。
コンサルティング料は、そのすべてが個人の
収入となります。大学へ支払う義務はあり
ません。コンサルティング料は様々ですが、
だいたい年間1社100万~500万円と
しても5社で500万~2500万円になり
ます。
米国の理工系大学では、稼ぐことのできる
教授が優秀な教授と考えられています。
なぜなら、本当に価値のある技術や知識が
なければ、個人収入がコンサルティングで
簡単に集まるはずがないからです。
米国の投資家は非常にシビアですから、
可能性の少ないものに金を出すはずがあり
ません。
日米の違いを如実に物語るエピソードですね。
米国の投資家は技術に明るい人が多いので、
目利きがあるのでしょう。
事実、米国の投資家の中には、大学や企業の
元研究者が少なくなく、技術が理解できる
ことが、技術への投資の前提になっている、
と考えられます。
10件に1~2件でも大化けすれば、
莫大なお金を手にできるのです。
失敗するリスクを負っているのです。
(上掲書 PP.192-193)
第一審の東京地裁判決で、私は808億円
という金額を勝ち取ることができたんですが、
判決直後から政財界から批判のコメントが
それこそ山のように出ました。
東京高裁の和解勧告というのは、こうした
政財界からの批判が影響していたと想像して
も不思議ではないでしょう。
たとえば、経団連のトップの一人は「常識を
超え、非常識をも超える」と感想を語り、
経済同友会のトップも「異常で非常に問題が
ある判決」と批判し、ある経営コンサルタント
は「発明者が報酬に値するだけのリスクを
とっていたか違和感がある」と言っています。
日本の政財界のコメントのほとんどは、
東京地裁判決に対して批判的でした。
(上掲書 P.295)
メディアの役割は、興味本位でなく、物事の
正しい本質をわかりやすく読者や視聴者へ
伝えることです。日本の司法制度の問題も
含め、メディアがこうしたことを正しく報道
してくれなかったことが今でも残念でなり
ません。
この事実は、当時の新聞紙面等で調べれば、
どなたが該当するかは判明します。
ですが、そうするつもりはありません。
今回の中村さんのノーベル物理学賞受賞に対し、
テレビ各局は政財界に感想を求めたでしょうか?
私は、めったにテレビを視ませんので、それを
確認することはできませんが、ネットで検索した
範囲では、匿名の一般人が批判的なコメントを
ブログや2ちゃんねるで述べているだけでした。
安倍晋三首相は、赤崎勇・名城大学終身教授に
だけ祝福の電話を入れています。
中村さんは確かに過激な発言が多いかもしれ
ませんが、日亜化学工業の中村さんへの冷たい
仕打ち、過去のメディアや政財界の個人の価値
や権利を認めない取り扱いが、それ以上に酷い
ものであったことに、中村さんは「怒り」を爆発
させたのです。
日本社会は、正当な主張をする人間に対して、
寄ってたかって、人格をも否定するような、
めちゃくちゃな扱いをすることが多い、
と感じています。
冤罪についても同様です。
自白と物的証拠に基づいて被疑者を起訴
するのですが、実際には、自白を強要し、
起訴に持ち込み、検察側と弁護側の
丁々発止のやりとりはありますが、
実質的には裁判官は起訴状に基づき、
判決の方向付けをします。
被告人尋問での「心証」によって、
刑罰が確定すると言っても過言ではあり
ません。
裁判員制度が導入されましたが、裁判員が
判決を下すわけではありません。
あくまでも裁判長(官)です。
その点で、米国の陪審員制度とは大きく
異なります。
米国では陪審員全員の考えが一致しなければ、
評決が下されません。裁判官が決めるのでは
ありません。
刑事事件を例にとってお話しましたが、
中村さんの特許に関連する訴訟などの、
民事事件の場合は、原告と被告の書面を比較し、
裁定が下されます。
科学技術に対して、専門知識のない裁判官が
書面を読んだだけで理解できるとは思えません。
今回の受賞に限らないことですが、テレビ
キャスターは、受賞者の著作物に目を通し
てほしい、と思います。
いえ、何も「学術論文を読みなさい」と
言っているわけではありません。
私だって読みませんし、読んでも理解でき
ないでしょう。
学術論文ではなく、一般読者向けに書かれた
本があれば読んだ上でコメントしてもらいたい、
と思うわけです。
テレビ局のスタッフが用意した資料だけで
コメントするのは、あまりに無責任ですし、
視聴者をバカにしている、と思います。
視聴者は「どうせ中学生レベルの頭しかない
から、これで十分だ」と考えているとしたら
思い上がりも甚だしい、と言わざるを得ません。
私がテレビを視なくなった理由は、こうした
提供する側の論理だけで番組が作られている
ことに耐えられなくなったからです。
CMスポンサーの顔色をうかがい、視聴率だけ
を評価基準にしている限り、この状況は変わら
ないでしょう。
(上掲書 P.201)
米国では、「正義」「悪」「真実」を
求めて徹底的に調査するんです。
しかし、日本の裁判にはこのような
「正義」や「悪」、あるいは「真実」を
追求するような姿勢は微塵もありません
でした。
これだけは書いておきたいんですが、
東京地裁の三村量一裁判長は「正義」と
「悪」のもとに、200億円の判決
(実際は808億円の判決)を出した
ことを付け加えておきます。
米国は全て良くて、日本が全てダメと言って
いるのではありません。
日米で価値観が異なるので、一概にどちらが
いいとは言えません。
米国は「自由と正義」を標榜しているので、
国益を守るための「正義」と、個人を尊重する
国なので、個人を守るための「正義」は重要
なのです。時に莫大な賠償金が支払われること
があるのはそのためです。
(上掲書 PP.298-299)
米国の大学で学生たちを教え始めたころの
ことです。ある実験が終わったとき、
日米の学生で大きな違いのあることに
気づきました。米国の学生たちは、実験
ノートに記録をビッシリ書いて、最後に
私のサインをもらおうとするんです。
日本の学生は、実験ノートなど作ろうと
しませんし、考えたりしません。
どうして彼らがサインを欲しがったんで
しょうか。それにはわけがありました。
日米では特許法に大きな違いがあるんです。
日本で特許の権利が生じるのは、特許庁に
出願したときで、これを先願主義といいます。
欧州各国などほとんどの国の特許法は日本と
同じ先願主義です。
米国では出願の前後ではなく、先に発明
されていたことを重視します。これを
先発明主義といいます。
彼らはどんなささいなことでも、発見や発明
したことが証明できれば、それが特許として
認められることを知っているんですね。
ここには、2つのポイントがあります。
1つは、実験ノートに記録しているか、
していないかということです。
もう1つは、先願主義と先発明主義について
です。
もうほとんど話題にも上がらなくなりましたが、
理化学研究所の小保方晴子さんがSTAP細胞
の作製に成功したという論文を英国に「ネイ
チャー」に発表しましたが、後に取り下げた
ことがありましたね。
小保方さんは実験ノートを書いていなかった
のです。この点をまさに中村さんは日米の学生
の差だと指摘していました。
先願主義と先発明主義についてですが、
その後、米国は先発明主義から先願主義に変更
しました。
さらには、知的財産高等裁判所設置法
(平成十六年六月十八日法律第百十九号)
が平成17年4月1日に施行されました。
これは偶然の一致だと思いますが、『ごめん!』
が出版されたのは、2005年7月14日で、
平成17年のことでした。
『医師、看護師、薬剤師の秘密』(23)
医療の限界とは何か?(2)
の後半で、中村さんや知的財産高等裁判所
について書いています。
お時間がございましたら、ご一読ください。
私はどうしても中村さんについて、
ここまで書いておきたい、と思いました。
メディアの報道だけを見聞きし、鵜呑みにしていると、
本質が見えてこないからです。
できるだけ一次情報に接する努力が必要です。
そんなに難しく考えることはありません。
本人が書いた本があれば、読んでみる。
たったそれだけでも、メディア側による偏向された
情報と別の視点を持つことができます。
メディア、特にテレビに洗脳されないように、
注意深く接することが大切です。
「メラビアンの法則」をご存じですか?
7:38:55の法則とか、3Vの法則とも言われて
いるそうです。
人間は、言葉によるもの、聴覚によるもの、視覚に
よるものの3つの方法でコミュニケーションをとって
いると言うのです。
その割合を、メラビアンは7:38:55と考えた
ました。
つまり、言葉以外のコミュニケーションは93%
だということです。
本や新聞、雑誌は言葉(文字)だけです。
ラジオは音声(聴覚)だけです。
では、テレビはどうでしょう。
音声(聴覚)と映像(視覚)の両方で情報を伝達
しています。つまり、9割以上のコミュニケーション
手段を使っているということを意味します。
視覚と聴覚に訴える偏向した情報を与え続けると、
視聴者はいつの間にかマインドコントロールされ
ます。本人にマインドコントロールされている
自覚はまったくありません。
そこが怖いのです。
この見方は私の独善ではなく、精神科医として
著名な和田秀樹さんが『テレビに破壊される脳』
(徳間書店 第1刷 2012年5月31日)
の中で、テレビの「洗脳方法」について詳細に
書いています。
私は、基本的にテレビを視ませんので(正確には
視なくなったと言うべきでしょう)、テレビによる
マインドコントロールから逃れています。
「自調自考自動(自分で調べ、自分で考え、
自ら行動する)」が大切だと考えています。
最後に、12年前に「本当に役に立つビジネス書」
という私のサイトに掲載した、中村さんの著書
『考える力、やり抜く力 私の方法』の書評の
リンクを掲載します。
考える力、やり抜く力 私の方法
12年前のことですので、一部記述に間違いが
あるかもしれませんが、訂正せずそのままに
しています。
内容が内容なので、肩こりを起こしたかも
しれません(笑)。
最後まで読んでいただき、本当にありがとう
ございました。
藤巻隆
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