人のために貢献できたか
その言葉で指導者を志した
若生 正廣(わこう・まさひろ)氏
[九州国際大学付属高校野球部 前監督]
もう監督ができなくなるのか――。
7年前に「黄色靱帯骨化症」という難病を
発症した時のことです。手術の結果次第
では、歩けなくなる可能性もあると言われ、
絶望的な気持ちになりました。
幸いのことに手術は成功し、杖を使えば
歩ける状態でとどまった。リハビリに励み、
監督に復帰できました。
ただ、杖をついて歩く姿を人に見られるのは
最初、あまり良い気分ではありませんでしたね。
しかし、そうした考えはすぐに変わりました。
「球場やテレビで見た私の姿に励まされている」
などと、同じような不自由を抱える同世代の方
から声をかけられるようになったからです。
「自分は今まで他人に貢献したことはないな。
これからは人の役に立ちたい」と。
そして野球ばかりしてきた自分でも、野球の指導者
になり、野球好きの子供たちを教えれば、人の役に
立つことになるのではないかと思い立ちました。
野球で実際にプレーするのは選手たちです。
彼らが自ら考えて動かなければ、いいプレーは
できません。もっと選手たちの自主性を引き出さ
なければならない。
九州に来て9年。区切りをつけるため、今年夏の
甲子園出場を最後に監督を退きました。
来年3月までは顧問として残り、静養に努める
つもりです。その後はまだ体が許せば、別の
高校で監督を続けるかもしれません。
難しいようなら故郷の宮城に戻り、自分の経験を
野球関係者に伝えて、東北地方の野球強化に
貢献したいと考えています。
(2014.09.15号から)
若生さんは、
「自分は今まで他人に貢献したことはないな。
これからは人の役に立ちたい」
と志して、野球を通じて高校生を指導してきました。
ただ、その指導法は上から指示するのではなく、
「選手たちの自主性を引き出さなければならない」
ためにどうするかでした。
そこで行ったことはこのようなことでした。
逐一指示を出すのをやめ、代わりに
選手と対話を重ね、どういうことを考えて
いるのかを聞くようにした。そうすることで、
選手たちも自分でいろいろと考える習慣
がついていきます。
そうした地道な努力が結果を導き出しました。
選手たちへの接し方を変えてからですね。
甲子園でも勝ち進めるようになったのは。
ダルビッシュ有選手を擁した2003年の夏の
甲子園では準優勝。その後に移ってきた
九州国際大学付属高校でも、2011年の春の
甲子園で準優勝しました。
ここに至るまでには、かなりの試行錯誤をしてきた、
と想像できます。
ですが、時間をかけて身につけた指導方法は
若生さんのその後の人生に大きく立派なバラを
咲かせた、と思います。
若生さんが育てた選手たちが、プロ野球の世界
だけでなく、社会人になっても活躍することを
心から期待しています。
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