『21世紀へ』(23) 言葉の迷宮(118) | 藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ

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『21世紀へ』(23)





盛田さんが、アメリカで大きな取引に面した時、
思い切った決断をしました。


OEM(相手先ブランド製造)の道を選びません
でした。


それはソニー・ブランドを捨てることになり、
ずっと下請けに甘んじることになるからです。


自社製品に自信があり、独力で販売することが
できるのであれば、長期的視点に立てば最終的に
大きな販売が見込めます。


相手の条件を飲めば、足元を見られ値下げ要求が
強まり、利益を確保することが難しくなります。


同様な話を京セラの創業者・稲盛和夫さんの本で
読みました。


京セラが創業間もない頃、自信作を国内の企業は
見向きもしなかったそうです。


それならばということで、稲盛さんはアメリカへ
渡り、GE(ゼネラル・エレクトリック)へ部品
を納入することができたそうです。


その後、国内企業は、アメリカの一流企業に納入
した京セラ製品を購入するようになったという
ことです。


その際、稲盛さんは決して安売りはしなかった
そうです。


きちんと利益を確保し、ブランドを維持する方針
を貫き通しました。その結果、現在の京セラが
あるのです。



安請け合いをしてはいけないという教訓です。






 最終的にはその国のローカル・マニュ

 ファクチュアに同化していくという

 のがソニーの進む方向と考え、また

 これまでもそのようにワールド・ビジ

 ネスを展開してきた。

 私がアメリカへ行き始めたのは、

 1954年ごろのことである。商社に

 頼らず、自分の力で輸出するんだと

 いう覚悟を決めて、アメリカ市場に

 足を踏み入れたのだった。  
 
                    (P.124)

         (067-1-0-000-355)



 


 先方のブランドにするという条件が

 ついていた。当時のソニーにとって、

 10万台は非常な魅力であった。

 ソニー・ブランドを捨てて10万台

 の契約をとるか、10万台に目を

 つぶってソニー・ブランドを通すか、

 二者択一の決定を迫られ、結局私は

 ソニー・ブランドを守ることにした

 のである。
 
 
                    (P.125) 

         (068-1-0-000-356)





 あのとき、もし私が目先の利益だけを

 考えていたら、10万台も売れるのだから

 喜んで契約にサインしていたと思う。

 しかし私は、トップマネジメントとして

 ニューヨークで陣頭指揮をとっていたので、

 ロングレンジの立場に立って、今年の注文は

 少ないかもしれないが、長期的に見てソニー

 のブランドを捨てるのは得策ではない、

 と判断したことを記憶している。

                    (P.125)

         (069-1-0-000-357)





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孫子の兵法前編2


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