静岡銀行で思い出すのは、バブルが弾けて、
都市銀行をはじめ、多くの銀行が莫大な不良債権を
抱えた時、静岡銀行は傷が浅かったことです。
それはなぜだったのか?
静岡銀行はなかなか融資しない銀行だったからです。
銀行は融資することが、商売の核です。
それなのに、静岡銀行は無茶な融資はしなかった
のです。
ムーディーズとスタンダード&プアーズによる、
当時の静岡銀行の格付けは、日本の金融機関の中で、
第1位でした。都市銀行より上だったのです。
その静岡銀行がヨーカ堂に融資したことは、
ヨーカ堂を高く評価していたことを物語るものです。
華やかな製造業のソニーと、地味な小売業の
ヨーカ堂はあらゆる点で対照的な会社ですが、
のれんの大切さに変わりはありません。
セブン-イレブンの親元であるアメリカの
サウスランドが経営危機に陥った時、私が
セブン-イレブンのブランドを守るために
買収を決意した背景に、誰よりもブランドを
大切にした盛田さんの影響があったのは
事実です。
(P.204)
(055-1-0-000-256)
自分が育てた、自分の分身のような会社が、
大きくなって自分の手の届かないところに
いってしまった寂しさを抱えながら、その
会社が間違いのないように発展していって
ほしいと願わずにおれないのが、創業者の
偽らざる気持ちであり、業(ごう)でも
あります。
(P.207)
(056-1-0-000-257)
油断すると危なっかしい商売になりがちな金融
の世界で堅実経営を貫いたのが静岡銀行で、
平野繁太郎さんは頭取、会長を歴任された
地方銀行家です。平野さんとは、昭和四十年代
のはじめに、ヨーカ堂が東京・大井に出店した
時、頭取の平野さんが開店祝いに来てくださって
以来のお付き合いです。
(P.210)
(057-1-0-000-258)
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