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日経ビジネスの特集記事(33)
東京五輪 点火
駆け出した企業と個人
2013.11.25
ドーピングに科学の目が光る
オリンピックに限らず、自分の潜在能力を
最大限に引き出そうとして、クスリに頼ろうと
する選手が必ずいます。ドーピングですね。
ドーピングの手口は、年々巧妙になってきている
そうです。選手とクスリを飲ませるコーチや医師
対、ドーピングの有無を見分ける技術と技術者の
戦いに終わりはありません。
(P.38)五輪の大前提となる競技の公正さを
揺るがすドーピングへの対策は、五輪
開催を成功させる生命線だ。
2020年の東京五輪で、その機能を一身に
期待されている民間機関がある。
三菱化学メディエンスの「アンチドー
ピングラボラトリー」だ。
検査件数が増加するだけでなく、五輪では24時間
以内に検査結果を出す必要がある、という。
(P.38)三菱化学メディエンスでは、年間
6000~7000件の検査を実施する。だが、
五輪はまさにケタ違いの規模となる。
わずか2週間の開催期間中に、約1万件
の検体が殺到する見込みだ。しかも、
それらのすべてについて24時間以内に
検査結果を出す必要がある。
日本の技術力が試される機会となるのは間違い
ありません。
1億総参加 個人狙う企業
「プロボノ」と聞きなれない言葉が出てきました。
これは、「公共善のために」という意味のラテン語
の「pro bono publico」に由来するそうです。
具体的にどのようなものがあるのか見ていきましょう。
私も昔は、デジカメ一眼レフで、よくポートレートを
撮ったものです。十数回コンテストに入賞した経験は
ありますが、大したものではありません。
私と違って、セミプロのカメラマンは想像以上に存在
します。こうしたセミプロカメラマンを組織化し、
セミプロの目を通して撮影した写真を、ネット上で
販売するサービスを提供して会社があるそうです。
「はいチーズ!」というサービスを運営する千
(東京都渋谷区)という会社です。
(P.42)五輪開催前後には、市民が参加する
ような記念大会が増えると見込む。
こうした市民大会のほか、競技場
周辺や街の様子も含めて「東京五輪」
を撮影するカメラマンを揃えようと
している。
写真や動画は貴重な資料となることは、2年8カ月
前に起こった東日本大震災で実感されたと思います。
被災した人たちにとって、2度と撮ることができない、
大切な思い出、その場所に住んでいた証を示すもの
です。
写真がデジタル化されたため、ブログなどに公開する
こともできるようになりました。
今に息づく50年前の革新
1964年、東京オリンピックが開催された当時、
私は9歳でした。小学生でしたから、東京オリン
ピックの詳細は覚えていません。
しかし、今ではYouTubeなどの動画サイトで、
東京五輪の様子を垣間見ることはできます。
撮影機材の性能が今とは比べ物にならないくらい
劣っていましたが、それでも臨場感は伝わって
きます。
50年前の日本では、どんなものが発売されたり、
当時として、どんな「スゴイもの」があったのか
を見てみるのは、同時代を生きた私にとっても、
大いに期待感が高まるものでした。
一番印象に残っているのは、東海道新幹線のこと
でしょう。
亡父が国鉄(現・JR東日本)の技術者として勤務
していた関係で、開業前に新幹線に試乗する機会が
あったからです。
他にどんなことやモノがあったでしょう。
(P.45)今では日常生活で何気なく
溶け込んだ商品の中にも、64年生まれ
がある。その1つが電卓だ。
シャープは64年にトランジスタを
使った電卓を発売した。トランジスタ
を530個、ダイオードを2300個使い、
重さは25kg。1ケタごとに「0~9」の
入力キーがあったため、膨大な入力キー
が並んでいた。
当時の価格は53万5000円。一般的な
乗用車1台に相当する。それでも企業は
業務を効率化できる効果を期待して、
こぞって導入したという。
その後、数十年が経ち、コンピュータが発明され、
半導体の回路の集積化が急激に進んだのは、
周知の事実です。
この他では、ユニットバスやストップウォッチ、
お菓子の「ひよこ」、海外への衛星中継が始まっ
たことなどがあります。
どれも懐かしいものです。
東海道新幹線デビュー!! 1964
次回は、「開催国の覚悟と責任」と「『TOKYO』
未来への跳躍」についてお伝えします。
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