夜遅くなって家に帰ろうと思うのだが、電車がもうなくなっている。
社に戻って、乗り合いタクシーを利用してもいいのだが、何だか面倒くさい。
仕方がないから、中野の実家にいこう。
いつ電車に乗ったのか分からないけれど、気がつくと中野の駅前まできている。
南口にある交番を右手に過ぎて、線路に沿って一方通行の緩やかな上り坂になった夜道を歩いていく。
目の前に、鉄筋コンクリート造り4階建ての、古色蒼然とした集合棟が見えてくる。
実家がある2号棟は、この1号棟の奥、つまり南側に並んでいる。
真夜中の、月も星も見えない駅前団地の敷地内を静かに歩き、2号棟を眺める。
どの家の窓も、真っ暗だ。
と、気がつく。
実家に、人はもう住んでいなかった。
ひとり住まいをしていた母は、とっくの昔に、この世を去っている。
どうしてここにきてしまったのだろう。
母がいなければ、家には入れない。
でも、ポケットを探ると、鍵がある。
まちがいなく、2号棟の226号室の鍵だと分かる。
足を前に進めて、2号棟の狭い階段を上がり、いまはもうだれも住んでいない226号室のドアの前までたどり着く。
鍵を差し込んで右に回すと、快い音をたててドアが開く。
家の中は、底なしの真っ暗だ。
手探りして歩いても、どこに何があるか、まったく分からない。
と、遠くのほうに、小さな光が見えてくる。
光に向かって歩きながら、忘れていたことにまた気がつく。
団地はすでに丸ごと壊されて、いまは新しい高層ビルが建てられているところだった。
光がまぶしくて目がさめる。
撮影・村山彰