身内が病院で亡くなった後の流れ | 夕菜の宝箱

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~がん(私)でも発達障害(息子)でも上手くつきあって幸せに暮らすことを目標にする毎日~

講問ありがとうございます。

 

今年もあと残りわずか。

入院もしないでいい年で終わりそう~な予感しかなかったのですが

まさかの令和元年の最後を迎えています。

文字に書くことで自分自身の気持ちの整理もついてきているのかも。

 

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あっという間の出来事だったな。

日曜の朝に運ばれて、大丈夫そうだ~って思ったのに

火曜のお昼に亡くなるという。

 

病院の先生もこのまま大動脈解離で診断書も書けますがもっと原因を追究されたいようなら病理解剖もできると言われた。

 

想定外だったのは間違いない

最初に撮ったCTでかなり広範囲に裂けてしまっていたのに、緊急手術をしなくてもいいタイプだと診断されたのは

もしかすると主治医の判断ミスだったのかもしれない。

 

緊急手術が必要となると転院すると言っていたから、火曜の検査で悪化していたら転院になるのかなと思っていた。

 

でも、もし最初から違う病院で違う見立てで即手術になったとしたらどうなんだろう?大きく開腹をして大きな手術をした上に

片方の腎臓は完全に壊死しそうだったから、様子を見て透析をしていくとも聞いていたし、今までのように体力は回復しないでしょう。

 

好きなだけ食べて好きなだけ飲んで、

昔の仲間とゴルフして~でめいいっぱい楽しんでいた父。

 

手術してなんとか命を取り留めたとしても、QOLがた落ち必須で何年か寿命が延びたとしても喜ばなかったんじゃないかな。

 

だから、急だけど運命だったって受け止めることにして、

病院には文句を言ったりしないことにした。

 

倒れる前日はゴルフ仲間たちと初めてカラオケ行ったらしく

飲んで歌って楽しんだと聞いた。

本人が一番びっくりしてるんやろうね。

 

私に、わしより先に逝くなよ~って言ってたよね。

 

そんな無茶なこと言わんといて!

どっこも悪くないやん?私、がんやで??覚悟はしといてもらわな。

 

ってよく笑いながら言ってたんだけど、

もし見送ることができたらすっごい親孝行だろうなぁ~

ってぼんやり思っていたから、

なんだか少し親孝行ができてほっとする気持ちに持っていく。

 

ホント優しい、泣き虫で弱い父だから、

私や母を見送る姿は想像するとなんとも気の毒だもんね。

 

順番的には一番がよかったんだよねって、

私も母も病院では案外平気な顔で気丈。

 

もう80やん順番やん。

母の親友たちもご主人が先に亡くなって、

寂しいけれどあの人が先でよかった!ってみんな言っていて、

ホントそうだわ~って何度も聞いていたからね。

 

なんで?急すぎん?って考えだすとやりきれないから、

考えないようにして父の望んだようなお葬式にしてあげることとか手続き関係とかそんなことばかり考えて気丈にふるまって過ごした。

 

なんか流されて変なことにならないようにしないと

それで終活して決めておけば遺族が楽だって色々始めてる時代だもんね。

 

うちは終活ノートは書いていなかったけれど、思いは母がしっかり聞いていた。

自分にお金はかけたくない!って常々言っていた思いを無駄にしないようにしたいからね。

 

テレビドラマで見たことがあるのは病院の安置室に移動になって、遅れて来た人はそこで対面していたけど、実際のところどうなのかな?

 

そこで、今後の流れはどうなるんでしょう?

ナースさんに聞いてみた。

 

すると、葬儀屋さんに連絡をいれてお迎えの時間がいつになるかを聞くらしい。どこに連絡するのか決まっていない方のためにパンフレットは用意されていた。

 

うちは葬儀屋さんは決まっていたので、これを決めなくてもいいことはとても楽だったな。

 

妹とおばの到着を待ち、もうすぐ来られるとわかった時点で連絡を入れて、17時から18時の間にお迎えにあがると言われたことを病院に伝える。

 

翌日ちょっと大事な仕事があるんだよなぁ~

16時半から18時までだけなんだけど。

 

行ったらいいよ!!お父さんはそういう人だから!

 

母にそう言われるも、なんか心が追いついていかない気もする。

今のテンションのまま今すぐなら行けそうなんだけど。

 

ま、ひとまず電話してくるわと廊下に出て報告しているうちにやっぱり今週は無理な気がしてきて今週中はお休みをもらうことに。

 

絶対正解だった。頭が回っていなかったけれど、湯灌、納骨、お通夜と私が抜けられる余裕ななかったからね。

 

 

 

 

 

 

妹とおばが到着したときには、管は抜かれていてもう息はなかったけれど、ICUの病室でまだ温かいときに会ってもらい、またひとしきりみんなで泣いて、それから気持ちを落ち着かせた。

 

落ち着いたころ合いを見て病院の方が請求書をお持ちしてもいいですか?と。

後日来てもらってもいいと言われたけれど、もう一回で済ませたくて

支払いをしに窓口へ降りたのが17時前だった。

 

控室に戻るとすぐ斎場の方がお迎えにきてくれていて、みんなで車までついていき一礼。

 

主治医やナースさんたちも見送ってくれた。

 

斎場の車には母も同上。他の人は別の車であとから合流する形。


ここまでが病院での出来事です。