追悼・吉田真梨さんシリーズ、真梨さんのアイドル時代を振り返っていますが、今回は「イメージチェンジ編」です。

前曲の「恋人がいても」では髪をバッサリ切って見た目のイメチェンをされましたが、5枚目のシングル「陽炎の向うから」ではそれまでのアイドル路線から曲調がガラッと変わり、バラード調で落ち着いた雰囲気になりました。

まだ19歳だった真梨さんには正直、歌詞も雰囲気もちょっと合わない感じです。

ちなみに、なぜか冒頭の歌詞が「思い出されます」から「思い出しました」に変わっています。
個人的には元の歌詞の方が良いと思いますが、発売から4か月、セールスが伸び悩んでいたせいもあるのかな。そして、タイトルも違っています。

作詞が島武実先生、作曲が宇崎竜童先生、編曲は馬飼野康二先生。3先生共、真梨さんにとっては初めての先生です。この3先生と言えば、高田みづえさんの「硝子坂」と全く同じです。

その「硝子坂」を自分の持ち歌のように真梨さんが歌っています。

やっぱり、真梨さんには「硝子坂」の方が合うなぁ…と思います。

この路線変更、デビューから真梨さんを担当されていて名付け親でもある若松宗雄さんが代わられたことも影響しているかもしれません。若松さんは後に松田聖子さんをプロデュースされています。

この曲のあと、1年近く新曲のリリースがありませんでした。

「れば、たら」は言っても仕方ないですが、もし、若松さんが担当を続けられていたら、違った真梨さんになっていたかもしれません。

ちなみに、私は「陽炎の向うから」「硝子坂」共、レコードを買いました。


次回は「ひまわりの彩」「不安定」の「ラストシングル編」です。