現在 長男坊は19歳になっています。
以下の文章を綴ったのはかれこれ10年ほど前になります。
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この春 長男は10歳の誕生日を迎えた。
つまり私も母親10周年。
なんだか年数だけは重ねてきたけれど、私は母親としてどれだけ成長したんだろう。
君はとっても成長しているのにねえ。
10年になるんだね・・・君とこの地上で出逢えた日から・・・。
今、当時の日記を久しぶりに読み返してみたよ。
あの日、君も生まれてくるのにとっても大変な思いをしたんだよ。覚えているかい?
母さんは忘れられないよ、神様からの贈り物が届けられたあの日のことを・・・。
夜中の3時過ぎに吉村医院に入院して、迫り来る陣痛と戦いながら、一睡もしないまま朝までは病室にいた。
朝食が医院から配膳されたけれど、とても食べられるような状況ではない。
子宮口が全開大になり、いよいよ分娩ということで 畳敷きの和室へ午前10時過ぎに移動。
この日の担当医師がとても順調、安産だよ・・・と言ってくださり、安心して臨んでいた。
敷かれた布団の上で 自分の一番取りたい姿勢になる。
立ったり、しゃがんだり色々してみて私は四つんばいになって、腰をさすってもらうのが楽だった。
生まれて初めての出産。
どんな痛みなのだろうかと不安におののいていたけれど、痛いというより、しんどいというのが私の印象。
休み無くやってくる陣痛に、「お願い!!ちょっと休憩させて~!!」って言いたかった。
お産は体力勝負、毎日しっかり歩け、動けと吉村先生に言われてきた言葉が身にしみる。
連絡を受けて私の母が電車を乗り継いで、医院にやってきた。
主人は母と交代して昼食を摂りに行く。
母が腰(と言うか子宮口のすぐそば)をさすってくれると、ものすごく楽になった。
さすが経験者!!
かゆいところに手が届く・・・じゃなくて、痛いところに手を届けてもらって凄く助かった。
どうやら相当頭の大きい赤ちゃんのようで、
全開大になっているのになっかなか出てこない。
この日、お休みのはずだった医院長の吉村正先生がわざわざ見に来てくださった。
先生も看護婦さんもとっても落ち着いてみえて、ザワザワとした感じはまるで無い。
本当は結構大変な状況で、心配して見に来てくださっていたのに、私はそんなこととは感じずにいられた。
大好きな吉村先生に会えてヤッター!!ぐらいに思っていた私だった。
相当体力的にきつくなってきたので、主人に後ろから抱きかかえられながら、仰向けで布団に横たわっていきむようになってきた。
主人は私の体の上から覗き込むようにして、赤ちゃんが出てくる様子を実況中継してくれる。
「髪の毛が見えているよ」
主人の声、震えていたと思う。
途中から酸素マスクが口につけられた。
なかなか赤ちゃん出てこないから、お腹を押してみてもいいか尋ねられた。
このままでは 危機的状況になる寸前まできていたのだろう。
もう、早く何とかしたい一心で、お願いします、やっちゃってください!!って感じだった。
助産婦さんがぐ~っとお腹を押してくださったと思う。
「あ~ 出てきた 出てきた・・・」
吉村先生が生まれ出てくる命をいとおしんで下さるような声を発しながら、取り上げてくださった。
午後3時58分男の子誕生。
吉村先生が、何度も何度も何度も何度も・・・
「あなたは本当によく頑張った。忍耐強いねえ」
と言ってくださった。
わがままで利己心の強い私は 忍耐強いなんて言われたことが今まで一度も無かった。
でも、どうしても我が子を自然に産んでみたい一心で頑張れた。
吉村先生にお褒めの言葉を出産直後に掛けていただいたことは 新米の母親としてとっても嬉しいことだった。
我が子を胸に抱きながら記念撮影をして、しばらく一緒にそのまま和室で過ごした。
しかし、どうも、羊水を飲んでしまったらしく、心音が安定していないのでしばらく保育器に入って 要観察となってしまった。
後産も終えて身体が少し落ち着いたところで 和室から自分の病室に戻って我が子を待った。
母乳だけで育てたい、母子同室でずっと過ごしたいと願っていただけに、その日の夜に、異常なしとわかって自分の手元に息子が戻ってきた時には本当に嬉しかった。
どうやら私は難産だったらしいと気が着いたのはだいぶ後になってからだった。
お産の最中は初めてのことで、苦しくて当たり前と思っていたので 自分が難産とは気が着かなかった。それは医院側がそうとは産婦に感じさせないものを持っていたから。
吉村先生はきっと最後の最後まで医師としての、究極の選択に迫られていたと思う。
さっさと会陰切開して、吸引分娩したり、帝王切開してしまえば、楽なものを、産婦の生む力と、胎児の生まれでようとする力をギリギリまで信じて待つだけの度量の大きさと、判断力が要求される産科医として最高の仕事をしてくださったと思う。
あれだけ難産だったにも関わらず、私は「お産ってなんて感動的で、素敵なものなんだろう」と心から思った。
出産して3日目の日記にこのように記されている。
「吉村先生と記念撮影をしてきました。先生と少しお話をすることが出来ました。
『あなたの嬉しい顔を見ていると、またまた調子にのっちゃうなあ。でも自然のお産をさせるのは大変なんだよね』
と、しみじみおっしゃいました。先生も体力的にきつそうでした。でも先生頑張って!!私達妊婦の希望の星なんだから」
私は人生のここぞと言う時に 出遭うべき人と出遭っていけるという強運を持っている。
吉村正先生との出遭いは、間違いなくそのひとつだ。
先生、本当に本当に本当に本当に本当に・・・・有難う!!!
吉村正先生の最新著書がお勧めです。是非お読みいただきたいです!!
「幸せなお産が日本を変える」講談社
PS/5回にわたっての連載、お読みいただき本当に有難うございます。
この連載中にあるニュース番組で、産科医不足の背景に医療裁判で、産科医が訴えられる件数が他の科に比べてものすごく多いことが紹介されていました。
日本の新生児死亡率が低いことで、出産は安全なものだと認識違いしている産婦が多いことをあげていました。だから、医師による医療ミスでないケース、どうしようもなく助けられない命のケースでも訴えられてしまうことが多いとありました。
吉村先生もその著書の中で、命をかけて産むことや、生きるものは生きる、死ぬものは死ぬ・・・という深い言葉を語っておられます。
出産に臨む私達母親の命を生み出す心構えが必要だと思います。
今回の連載を通して 私自身、息子達への愛情、いとおしさが更に深まることが出来てとっても嬉しいです。
すべての命に感謝です。
2008年08月11日 00:52 : 浅井智子
長男坊と次男坊♡ 次男坊の出産秘話もいずれ・・・
吉村先生 本当に ありがとうございました。
いかに死ぬか・・・
それは 生き方の総仕上げですね。
吉村先生の背中から学ばせていただいています。
あちらでの再会を楽しみにしています。
母と子の幸せ応援団 ひなたぼっこ
浅井智子