【恩師・内田 幸一氏の背中を追いかけて】
2008年11月。
長野県 飯綱高原で開催された第4回 森のようちえん全国交流フォーラムin長野でのこと。
私はこのフォーラムの実行委員長であるウッちゃんこと、内田幸一氏の分科会に参加していた。
翌年 森のわらべを開園するにあたって、まず最初は親子のお散歩会から始めて・・・で、希望者が出てきたら森のようちえん立ち上げようかな…と考えていた私。
そのとき、分科会の中である質問者に対してウッちゃんが答えていた言葉に、私は心を射抜かれることになる・・・
「一番やりたいことが森のようちえんなら、最初から森のようちえんをやりなさい。」
あ!!!
それ 私の事だ!!
私の1番やりたいことは 森のようちえん!
だったら、最初から 親子のお散歩会と森のようちえんを、同時にスタートさせよう!!!!!
あのとき、私は決断したのだった・・・
ウッちゃんの一言で。
そうして 2009年6月1日に 森のわらべ多治見園を正式に開園し、私は親子組部門と、森のようちえん部門とを同時にスタートさせた。
あのとき、あのウッちゃんの一言がなかったら、私は今の形の森のわらべを創設できていなかったかもしれない。
開園してからも、ウッちゃんには度々 森のわらべに脚を運んでいただき、ピンチを救ってもらってきた・・・
開園2年目。
園の親御さんと保育料の件で もめにもめていた時の事。
ウッちゃんも親御さんとの会議に同席くださっていたことがある。
ちょうど、親御さんがウッちゃんの講演会を企画して、森のわらべにお招きしていたタイミングでのことだ。
園長としての浅井の力量のなさに、親御さんたちから次々と不満が噴出する。
そのときウッちゃんが、森わらの母ちゃんたちに言い放った言葉。
「みなさんは、森のわらべに入園すると決めたときに、浅井さんを信頼するって決めたんですよね。黙ることも必要です。」
私は泣いた・・・
ウッちゃんの背中を見て、ずっとウッちゃんの背中を追いかけてきた。
時には反抗し、時には甘え、教えを請い、森のようちえんの魅力を共に語り合ってもきた。
森のようちえん全国ネットワーク連盟の理事(当日は運営委員)としても、たくさん育てていただいた。
私にとって心から師匠と言える存在。
そんな恩師であるウッちゃんが、学校作りではこれまでも、たーくさんのご苦労を重ねてこられたのも見て知っていた。
それなのに、いよいよフリースクールという形で、しかも同時に3校(後に4校となる)も開校されるということで、私はその説明会に昨年 長野まで車を走らせた。
ウッちゃんの創るフリースクールを感じてみたい!と。
そこには、長野県の森のようちえん認証制度の策定に大きく関わられた竹内延彦氏も駆けつけてみえた。
説明会を終わった後も、3人で話が尽きない・・・
あまりにも私ひとりで聴いているにはもったいないほどの、濃くて核心をついた話に、私はその場でおふたりにオファーをした。
来年、多治見までいらしてください!!!
そして、お話を聴かせてください!!!と。
私は 森のわらべに戻って、この企画は、森のわらべとして取り組むことに意味があると思う。
なぜかというと・・・と今回の企画の趣旨、意図をスタッフ達に説明した。
満場一致で開催が決まった。
そうして立ち上がったのが 命の根っこプロジェクト。
森のようちえんは地球を救う~その先の選択肢 フリースクールの果たす役割~
これは、先日 16年もの長きにわたって務めてみえた 全国ネットワーク連盟の代表理事を退任されたウッちゃんへの感謝企画でもあるわけで・・・。
本当に本当に 日本の森のようちえんを牽引してくださり、ありがとうございました・・・
そんな気持ちを込めての開催でもある。
森のようちえんの第一人者である 内田幸一氏が40年の実績から紡ぎ出される言葉は大きいです。
森のようちえんに留まる話じゃないです。
子どもとは、どれだけ愛おしい存在で
私たち大人が、どう子どもたちと向きあうのか、
大人たちの在り方の話が ここ、
岐阜県多治見市で聴けるのです。
ぜひ 会場にて生でお聴きいただければ幸いです。
北海道、岩手、長野、千葉、石川、福井、静岡、兵庫、京都、奈良などからも多治見会場にお申し込みいただいています。
実行委員一同お待ちしております。
(会場参加者にも後日アーカイブ動画送ります。アーカイブ動画チケットもあります。6月末まで繰り返しご視聴いただけます。)
■6月10日トークライブ
詳細&申込はコチラ↓↓↓
https://inochino-nekko-pj-2023.peatix.com/
自然育児 森のわらべ多治見園
園長 浅井 智子