「たかのえいさく」の館(2020年8月4日から新たにスタートしました。常連の皆さん宜しくお願いします。)

「たかのえいさく」の館(2020年8月4日から新たにスタートしました。常連の皆さん宜しくお願いします。)

仙台の「たかのえいさく」です。
2020年8月4日(火)の夜、4年ぐらい使っていたアメブロのアカウントを削除してしまいました。
今後、改めて、以前からのこのサブアカウントをメインにして更新していきますので、宜しくお願いします。

私は2024年7月14日(日)、4年ぶりに東京へ行きました。

単なる小旅行で、仙台駅と品川駅の間を往復しただけですが。

 

 

仙台駅8時48分発の常磐線経由特急「ひたち12号」に乗り、品川駅へは13時51分に到着しました。
東日本大震災の津波で流された部分は線路が所々移設され、高架橋の新しい路線になっていました。
震災前の常磐線は富岡駅の前後で海の景色が見えたりしていたが、今回は、海は見えなかったです。
それだけ、内陸部に移設されたようです。
常磐線が全通して何よりですが、復興においてはまだまだ途上の段階です。一日も早く、沿線の人々の生活が元通りになってほしいと願わずにはいられません。車窓を見ていて改めて思いました。
その後、品川駅で降りて歩こうとしたが、混雑していたので、すぐに東京駅へ向かいました。それから東京駅で、東北新幹線の切符(乗車券・特急券)を購入して、東京駅15時00分発の「やまびこ143号」で、仙台に戻りました。

 

 

スマホの速度の計測のアプリを使ってみて分かったが、今回の「やまびこ143号」の場合、東京駅から大宮駅まで時速130キロメートル、大宮駅から福島駅まで時速270キロメートル、福島駅から白石蔵王駅までは時速312キロメートルでした。
福島駅までは山形新幹線「つばさ」と繋げていたので、時速270キロメートルに制限されていたようです。でも、久しぶりの新幹線はスピード感を味わうことが出来ました。
今回は日帰りの旅で、トンボ返りでしたが、凄く充実していました。行くときの「ひたち12号」も、車内が静かで乗り心地が凄く良かったです。
常磐線は実に15年ぶりの体験です。
昔の車両と比べても、性能は格段に向上しているように思いました。

 

■特急「ひたち12号」の車内。

 

 

■品川駅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■やまびこ143号の車内

 

 

 

2024年7月7日の仙台は朝から陽射しが強く、午後に外を歩いていたら、日陰でも蒸し暑く感じました。

35度ぐらいまで気温が上がったようですが、汗を隠し、今までで一番の暑さだと思いました。

土日はゆっくりと過ごすことが出来ましたが、月曜日から金曜日までの五日間、体を疲れさせないように、

今日も、早寝しようと思いました。

 

 

 

 

 

 

2024年7月6日の仙台は30度ぐらいまで気温が上がりましたが、午後に外を歩いていたら、実際はもっと暑かったように思います。

湿気が多いし、日陰に行っても暑さは変わらず、七月に入ってから、一段と夏らしさが増してきたように思います。

 

 

 

 

 

2024年7月4日の仙台は朝から陽射しが強く、蒸し暑いです。

午前8時頃には更に暑くなっていました。

18時40分頃に撮った写真ですが、この時も蒸し暑く感じました。

夏らしさが一段と増してきたように思います。

今日も無事に過ごすことが出来てそれだけで良かったと思いました。

なにも、なんとかかんとか石に、依存することもないと思いました。(笑)

 

1992年1月1日の夜の出来事です。
私はその時、2度目の九州地方への旅で、鹿児島市内を歩いていました。
ガイドブックに掲載されている通り、指定したホテルへ向かったのですが、
所定の場所へ行っても、目的のホテルは見当たらず、ズウッと夜道を突き進んでいたのです。
これではチェックインできない、ホテルの正確な場所も分からない。
勿論、鹿児島市へ行ったのは2度目で、まして、夜の鹿児島市の街をさまよっていて、
当然どこを歩いているのか分からないわけです。
私は不安になり、このままだと、もしかしたら見知らぬ鹿児島市の街で野宿しなければならないのかと不安に思ったほどです。
でも、その一方で、見知らぬ鹿児島市内で夜に道に迷ったのは貴重な良い体験として、仙台に戻った後、周りに自慢することが出来るし、半分、喜んでいたような感じです。
私は止むなく、途中でタクシーを拾って、鹿児島市内の天文館の前の某ホテルの名前をタクシーの運転手に言ったら、タクシーを某ホテルまで走らせてくれて、無事にチェックインすることが出来ました。一時はどうなるのかと思ったが、見知らぬ街で道に迷うのは不安になるものです。
でも、旅先の貴重な体験は、その後、遠くへ旅をするための良き教訓にもなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は2024年6月29日13時頃に撮ったものです。

本文とは関係がありません。

仙台は朝から陽射しが強く、午後に外を歩いていたら、蒸し暑く感じました。

天気予報では最高気温が28度となっていましたが、実際は30度を超えていたような感じがします。

日陰を歩いていても、暑く感じました。

日向よりは気温は低かったように思いますが。

 

 

 

 

午前6時20分頃、外を歩いていたら、寒く感じたのですが、18時40分頃に仙台を歩いていたら、暑く感じました。

朝と昼と夕方の寒暖差が大きいように思います。

私は先週よりも体が疲れにくくなりました。

やっぱり、私の生活リズムでは、早寝早起きが一番合っているように思いました。

たったそれだけで、運命が良くなるように思います。

 

 

昭和57年(1982年)6月23日(水)に東北新幹線(大宮-盛岡間)が開業しました。
今年令和6年(2024年)6月23日(日)で42周年です。
当時、大宮と東京は未開業で、上野駅と大宮駅の間には新幹線リレー号と言う東北新幹線にアクセスするための列車(185系電車)が運転されていました。
私が高校1年生の時です。
私はその四日後の6月27日(日)に早速、東北新幹線の電車に乗ったのです。
最初、仙台駅9時過ぎ発だったと思いますが、常磐線経由の特急「みちのく」に乗ったのです。
上野駅には大体4時間30分ぐらいしてから到着しました。
その後、上野駅で降りて、すぐに上野駅から大宮駅まで新幹線リレー号に乗ったのです。
大宮駅からは東北新幹線の電車に乗ろうとしたら、長蛇の列で、
乗ってからは勿論、満席で、私が座る席が無くて、
仙台駅まで立ちっぱなしだったことを覚えています。
私は自由席の各車両を移動して、座れる席がないかどうか確かめたら、全く席があいていなくて、
私以外にも立ち席客も多かったことを記憶しています。
仙台駅には夕方に到着しました。
当時、高校一年生だったこともあり、
二度目の東京への小旅行は結局、日帰りと言うか、トンボ返りと言うか、すぐに引き返すことになりました。
恐る恐る東京方面に向かったのです。
本当は、渋谷や銀座など行きたいところへ行きたかったが、
それも、出来なかったのです。
翌日月曜日は学校の授業で朝が早いので、断念しました。
今となっては良き思い出です。

 

 

 

 

2024年6月21日の仙台は26度ぐらいまで気温が上がりましたが、湿気が多く、暑く感じました。

相変わらずの暑さが続いています。

19時40分頃に家に戻って来たのですが、今週五日間も無事に終えることが出来、土日で、又、リフレッシュすることにします。

何事もなく無事でいる事だけで、それだけで、価値があると思いました。

暫く前の私だったら、週末はドッと疲れが出る、と言うパターンが多かったが、今の私は体が疲れにくくなりました。

行きと帰りのバスの中で、ほんの数分でも良いから、居眠りをすると、それだけで、体の疲れは半減すると思います。

又、なるべく早寝をすることです。

 

 

 

 

この写真は2024年6月19日18時40分頃に撮りました。

いつも閲覧有難うございます。
このように、日々無事に生活することが出来るだけで、十分な幸せを得ている、と思いました。
行きはバスと電車を乗り継いで、帰りは電車からバスへ乗り継いで、
無事に自分の家と勤め先を行き来することが出来るだけで、十分だと思います。

勿論、自分の家で、音楽を聴いたり、自分の好きなユーチューブの動画を見たりすることも楽しみの一つで、それだけでも、十分で生活そのものが充実していると思います。

いつも、閲覧有難うございます。

 

 

平日五日間慌ただしいなら画も充実した生活を送っているが、

土日はゆっくりと体を休めながら充実した状態が続いています。

こんかいも、ゆっくりとお休みすることが出来ました。

人間誰でもチラッとした悩みが出ますが、それも、現実的に考えれば、毎日の生活の原動力になっているかもしれません。

ゆっくりでも、一歩一歩進むためのヒントが日々の生活の身の回りの減少の中に隠されているようにも思います。

人間も、その他のすべての物質も、もとはと言えば物質を構成する最小単位である素粒子で成り立っていることを考えると、たったそれだけで、私達は奇跡的な体験をしている、と言う事だと思いました。

パソコンも、電気があり、集積回路が正常に動作しているからこそ、動くのであり、たったそれだけでも、凄く有難い事だという事、忘れてはいけないと思いました。

インターネットに接続している私たちは、日々起きる奇跡の中で生活できていること、コンピュータに囲まれて生活していること、それも、忘れてはいけないと思いました。

スマホ、パソコン、テレビもそれぞれコンピュータの一つだし、コンピュータが一般に普及していなかった昭和時代から見ると、私達は凄く恵まれている、と言う事、改めて感じることが出来ています。

少なくとも、私達のようにブログを閲覧したり、日記を書いている人にとっては、既に必要なものが全部そろっている、と言う事です。

いつも、私のブログの閲覧、いいね、ありがとうございます。