こんばんは!

 

たかぴんです。

 

毎日暑いですね。

皆様、ホントにご無沙汰してます。

今日は珍しくブログを更新しようと思いました。

 

それはなぜかと言うと・・

 

今日でサラリーマン辞めて丸1年が経ちました。

 

収入は変わりましたか?

 

って最近よく聞かれるんですが、大きく変わりましたよ。

 

勿論、コロナのお陰でマイナスの方向にねww

 

 

自分で会社やるって事はそれだけリスキーなんですよ。

 

ぶっちゃけ言うとサラリーマン辞めてからコロナ禍前まではそこまで収入はそこまで変わらずでしたがコロナの影響はエンタメ業界にいまだに大打撃を与え続けています。

 

ぶっちゃけ凄いダメージですよ・・・

 

なので、コロナ禍の今はサラリーマン辞めて後悔していますか?

 

と、質問されたら、

 

それでも即答でNOと答えられます。

 

それくらいサラリーマン時代のストレスって僕にとってはそれなりのお金を貰っていても精神的に地獄の日々でした。

 

なので、今日は僕の過去の話を少しだけさせてください。

 

30半ばで管理職と言う立場で某大手企業に中途入社して約13年間勤めてみましたが、全くと言っていいほどやりがいを感じられずに、黙々と言われた事だけをこなしながら本社・支社の顔色をうかがいながら毎日を過ごしていたような状態だった。

 

半政府系金融機関だったのでバックには親方日の丸がついてるし、倒産する心配もなかった。

 

その会社に入社したころは子供たちも小さかったし、その時でも現在経営する会社は持っていたが取引先の連鎖倒産劇やリーマンショック前の経済の不安定さがかなりあり、いつこちらにも被害がおよぶか解らない状態で、その当時目の前の安定した給料とボーナスはホントに魅力的だった。

 

それだけで入社を決めたようなもんだった。

 

元々が官主体企業なので民間企業になっても、その風潮はほとんどなくならず、どんなに同役職でも1日でも先にその役職になったら年齢が一回り下だろうが、先輩は神様、後輩は奴隷みたいな完全年功序列な感じでした。

 

同役職同士の会議でも後輩は1時間前に行ってお茶くみ席取りは当たり前、酒の席になれば終始お酌に回り、ひどいときは全裸で裸踊りを店の中でヤラされ、少しでも逆らえば職場で冷や飯を食わされる。

 

会社の数字を上げようがそんなのは褒められる対象にはならず、立場の強い人間の腰ぎんちゃくが出世する昔ながらの典型的な日本の組織って感じw

 

僕はそんな組織に入社当初から疑問を持っていた。

 

それでも入社当時が34歳と言う若さだったという事と、そのエリアで管理職にしては当時最年少だった為、大体の同僚が一回り近く、年上の人達ばかりで、部下も年上ばかりだったので、それが当たり前だと思っていた。

 

と言うかそう聞かされていた。

 

5年も務めると、同役職の後輩は出来たが全員年上、それでも年功序列システムは稼働していていたので、年下の僕の為に年上の後輩達は会議の都度、僕の席にはお茶や会議資料はいつもしっかりと用意してくれていた。

 

勿論、後輩年上同僚(同役職)は、僕に対して全員敬語。

 

会議の都度、会議終了後に宴会になるからって家に迎えに来てくれる人もいました。

 

すごい世界でしょw

 

そんな古めかしい体質の企業ですから新しい事に挑戦することはまず毛嫌いをされ、煙たがられ僕が本社・支社に提案する企画は100%通りませんでした。

 

今ではどんな企業でもやってることを10年以上前から提唱していたのに、取り入れる事はなかった。

 

配分される経費はその年度に使えるだけ使わないと、来期配布されなくなると脅されw

 

過去にないような大きな業績を上げれば、来年の目標が上がるだけと馬鹿にされw

 

部下たちにはみんな死んだ魚のような目をして仕事をしていたのを今でも思いだします。

 

それでも夢をもって一生の仕事にしようと決めて入社した訳ですし、僕を慕ってくれる若手社員を集めて勉強会を開いたり、飲み会を開いたりしたが、時には相談に乗ったりして俺たちの力でこの会社を変えようぜ!

 

と孤軍奮闘していましたが、結局周りからは煙たがられ僕はその都度、冷や飯を食わされる始末w

 

僕を慕ってくれた部下たちには

 

「俺に近づくな!俺に近づくと目を付けられるぞ」

 

としか最後は言えなくなり、僕は彼らの連絡を取らなくなった。

 

だから現実は

 

半沢直樹みたいには100%いかないですw

 

僕の会社への夢はこの時点でほぼ無くなっていた・・

 

そんな無難なサラリーマン生活を数年を過ごしていた頃に、8プリを立ち上げる事になった。

 

立ち上げ早々はお金になるどこか、常にマイナスな感じだったが、めちゃくちゃやりがいを感じた。

 

特に結成2年目くらいからは当時のアイドルブームも凄く、メンバーも目を輝かせて少しでも大きなステージに立ちたいって子達が僕の何か一発かましてやろうって気持ちを再燃させてくれた。

 

と同時に、務めていた企業への熱はダダ下がりに拍車をかけてしまった。

 

「打てば響く鐘」と「打っても響かない鐘」のどちらを叩きたくなるかは一目瞭然ですよね。

 

たしかに会社経営ってのは経営者の裁量で業績が良くもなるし悪くもなるけど、全て自分の責任でできますからね。

 

だから理不尽な事があっても戦えるんですよ。

 

管理職とは言えサラリーマンではそれができない。

 

なんども言いますが半沢直樹はフィクションの中の物語ですw

 

2019の春先に会社から知名度が上がりつつあった8プリの件などで煙たがれていた僕は些細な落ち度を指摘され、辞めるor系列会社への出向の話が出た為、僕はそのタイミングで退社を決意した。

 

人事部の説明受けている目の前で退職届を手書きで書きましたwwww

 

それが7月の終わりごろ。

 

その瞬間に日本一のご当地アイドルに育て上げると決め、

 

 

腹をくくって会社を辞めたんですね。

 

退社日2019年8月31日付

 

それから今日で丸1年が経ちました。

 

最初に言いましたがこのコロナ禍でエンタメ・サービス業界がバタバタ潰れはじめてる今でも不安な気持ちの中、自問自答はします。

 

ホントに安定した大企業サラリーマン辞めてよかったか?と

 

 

だけど答えは

 

YESなんです。

 

 

 

つづく・・・・・