(1258)  72才の 子どもたちと 集う | Miyabiomi天狗の風

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傘寿を過ぎ、今、これからの日本を支えて行く子どもたちが、正しく育っていくために。先ず、大人がしっかりしなければ!と、言いたいことを、易しい言葉で叫びます。

    6月23日(日) 水無月 夏至 乃東枯

 

 乃東とは 靭(うつぼ)のこと。多くの草花が これから 咲揃うのに、靭は 冬至に 芽を吹き、夏至に枯れるという 珍しい植物です。

 多くの家々には アジサイが乱れ咲き、梅雨を 彩っていますよ。

 

  72才の 子どもたちと 集う

 

 このブログ   4月22日(1243)「順番が違う」にも書いた 私の 最初の教え子 J,Aが亡くなって49日も過ぎ、同級生有志により「彼を偲ぶ会」が 新宿高島屋 14回の中華レストランで 行われ 担任の私も 皆に加わりご一緒したんです。

 

 そして、加えて 私の「米寿」も祝う会も兼ねて、献杯と乾杯を 両方やったんです。

 

 少し前に「64才の子どもたち・・・」を書きましたが 今度の子たちは 更に 8年上で、私とは 15才違いです。

 

      私が 27歳で 初めて先生になり、担任した子たちで、そういう意味からも、最も印象に残っている子たちなんです。

 

    殆ど 歩かず 久し振りの「新宿」で

 

 以前に書いた MとNが 最高級国産車で 自宅まで迎えてくれて、何十年振りに 新宿を訪れたんですが、その変わりようには只々 驚きでした。

14階のレストランからの 新宿の夜景も、外国のようでしたね。

 

  未熟な 新米教師が 一生懸命に・・・・

    

 最初の子たち 教師としては、未熟だらけで 失敗も多かったんですが、一生懸命 体当たりで 一人ひとりに触れあったことだけは 自信がありました。

 

 厳しいモンスターペアレントもいましたが 多くの親は この若い先生を 助けてくれたんですよ。 

 その親も 97才で 健全な方がお一人おられて、「よろしく・・・」とのことでしたが、知り得る限り 他にはお元気な方々はおられません。残念ですが 致し方ありませんね。

 

 そのご両親の方々が 72才の子どもたちとと 同じように心に残っているんです。

 

   初めに 出席を取りました

 

「一番 ○○ ○○○○」 みんなが「はい・・・」と代返してくれました。

本日は 特別に 天国からの参加出席です。

 仲間の顔は 半分よろこび、半分悲しみの 不思議な表情でした。

 いない子は みんな その子を思い浮かべて 見事に 代返してくれて 44名全員出席でした、実際は 14名の参加ですが・・・・

 

    昔の 思い出と 現況の中に 歩んだ 生き様が・・・

 

 9時半までの 約3時間、私も、みんなも席を移動して、あちこち一人ひとりの隣に移動して、耳が悪く補聴器をつけた 私ですが、現況を 昔の思い出を 思う存分話し合うことが出来ました。

 多くは 現役を退いた身ですが、何らかの形で 以前の仕事に関わっている者もいますね。

当時小さな町工場で あの子どもの頃から、「世界の○○鉄工にします・・・」と騒いでいた子が 正にその通り、今も 一年の半分が外国を動き回って、でっかい仕事をしている Eという男もいます。 

  あのころから「こいつは 何かをやるぞ・・・」という感じでしたね。

 

 JAICAの 秘書として大活躍していた 当時から優等生だった A女子もいます。

 

 母親のガンジガラメの教育でピアニストを目指し、ウイーンにまで行ったのですが、指が長くなかった・・・と言う理由で ピアニストを断念。今は 事業家として、立派に成功している Tという女の子もいます。その転身振りに 仲間も みんな仰天したのですが、その子の「母親」への 凄まじい 厳しい想い?も いろいろ訊きました。

 

 黙々と独身を貫き 後には 認知症の母を しっかり支えたY女子もいましたね。

 

 お母さんが「尼さん」になった男子M

 

改めて 「現代の子どもたちに、我が母校の師 児玉九十先生の「教え」を聴かせたい・・」と叫ぶM・・・・流石 Meis○○っ子・・・・

 

  一人ひとりのこと書きたいのですが 書き切れません・・・ 

 

    体当たり教育の 効果を 自負します

       過去があって 現在があり 未来へと・・・

 

 私の 新任新米教師の この子たちへの体当たり」が 今ある 教師としての私を育ててくれた原点であり、同時に この「体当たり」こそ この子たちが 立派に72才を迎えられ「力」に(力の一部に)なったと 自負しています。

 過去があって 現在があるんですね。

 

 だから、単なる「先生」と「教え子」ではなく 切っても切れない「絆」以上のもので 結びついていると確信しているのです。

 

 そんなことで あっという間に 3時間が流れてしまいました。

 私も後期高齢者です。彼らも高齢者の入り口です。みんな 身体を思い 二次会はなし・・・で 名残惜しくも 次の集まりを楽しみに 9;30 お別れしました。

 

 帰りも MとNが 自宅まで 送ってくれて、次回 新年会で また迎えに来ます・・・と 言って帰って行きました。  そして 未来へと 繋がるんですね。

 

 遠い新宿まで 殆ど歩かず 行って来られ 物凄いよろこびの ひと時を 体験ができたこと、ただ 感謝あるのみです。 ありがとうございました。