少し前の話になりますが、第282回日本体育大学長距離競技会で山田真生(2)が5000mで13分49秒35の立命館大学記録を更新しました。

山田君!おめでとう!

この8年間で7人の13分台ランナー(5000m)の育成に成功しました。

しかし、コーチ就任した当初は13分台を達成させるために色々と悩んだことが懐かしい。

自分の現役時代は13分台は、それほど難しいと感じた事も無く、ある一定のトレーニングを行えば簡単であった。

しかし、これが指導側になると大変難しい!

そんな頭でっかちの私を成長させてくれたのは、立命館大学と吉村直人(14年度卒業)だと言っても過言では無い!

素材は抜群!しかし、極度な貧血と消化器系が弱いため、練習量を増やすことが厳しく、質を求めても波が激しい。

欠点しか目につかなかった。しかし、この選手を一流にしたいと思う強い意志はあった!

そこで、私は立命館大学大学院スポーツ健康科学研究科を受験し科学と現場の融合化を目指した。

吉村と一緒に競技ができる期限は2年(3年次にコーチ就任のため)、とにかく授業で学んだことは彼に適応できないかを考える毎日であった。

3年次の全日本大学駅伝の最終区間では、大ブレーキ。その2週間後の関西学生駅伝は不安もあったが1区に起用した。

レース前に吉村が言った言葉は今でも忘れない。『これで駄目だったら、もう辞めるかもしれません。』と一言。

(吉村君!覚えてるかい?笑)

4秒差の区間賞で襷を渡した時は、緊張感が一気に緩んだ。その私の甘さが、同着の2位と言う結果になったと思う。

でもね!振り返ってみると良い思い出!それに、この結果が翌年の同着優勝!吉村の快進撃のスタートにつながったんだよ!

そして吉村は4年次に、初の5000m13分台、10000m28分台ランナーに成長。さらに、俺も変わった。理想を求めるのでは無く、一人一人と向き合った指導を行う。大切なことは個々の成長に役立つ指導者であるか?

と言うことに気づいた。

卒業後は愛知製鋼で実業団選手として活躍し、私がラジオ解説をさせていただいた2016年のニューイヤー駅伝で初出場を果たしました。しかしそれ以降は、苦しい競技生活が続いたね。

そして、第282回日本体育大学長距離競技会が5年8カ月の実業団生活の引退レースとなりました。

苦しい事の方が多かったと思う!しかし、諦めずにチャレンジし続けた吉村を誇りに思う!

あなたと出会えたことが今の私の指導スタイル確立の第一歩でした!

これまでお疲れ様でした!

そして、ありがとう!

新型コロナウイルスが終息したら、またいっぱい語ろう!

で山田真生(2)が5000mで13分49秒35の立命館大学記録を更新しました。

山田君!おめでとう!

この8年間で7人の13分台ランナー(5000m)の育成に成功しました。

しかし、コーチ就任した当初は13分台を達成させるために色々と悩んだことが懐かしい。

自分の現役時代は13分台は、それほど難しいと感じた事も無く、ある一定のトレーニングを行えば簡単であった。

しかし、これが指導側になると大変難しい!

そんな頭でっかちの私を成長させてくれたのは、立命館大学と吉村直人(14年度卒業)だと言っても過言では無い!

素材は抜群!しかし、極度な貧血と消化器系が弱いため、練習量を増やすことが厳しく、質を求めても波が激しい。

欠点しか目につかなかった。しかし、この選手を一流にしたいと思う強い意志はあった!

そこで、私は立命館大学大学院スポーツ健康科学研究科を受験し科学と現場の融合化を目指した。

吉村と一緒に競技ができる期限は2年(3年次にコーチ就任のため)、とにかく授業で学んだことは彼に適応できないかを考える毎日であった。

3年次の全日本大学駅伝の最終区間では、大ブレーキ。その2週間後の関西学生駅伝は不安もあったが1区に起用した。

レース前に吉村が言った言葉は今でも忘れない。『これで駄目だったら、もう辞めるかもしれません。』と一言。

(吉村君!覚えてるかい?笑)

4秒差の区間賞で襷を渡した時は、緊張感が一気に緩んだ。その私の甘さが、同着の2位と言う結果になったと思う。

でもね!振り返ってみると良い思い出!それに、この結果が翌年の同着優勝!吉村の快進撃のスタートにつながったんだよ!

そして吉村は4年次に、初の5000m13分台、10000m28分台ランナーに成長。さらに、俺も変わった。理想を求めるのでは無く、一人一人と向き合った指導を行う。大切なことは個々の成長に役立つ指導者であるか?

と言うことに気づいた。

卒業後は愛知製鋼で実業団選手として活躍し、私がラジオ解説をさせていただいた2016年のニューイヤー駅伝で初出場を果たしました。しかしそれ以降は、苦しい競技生活が続いたね。

そして、第282回日本体育大学長距離競技会が5年8カ月の実業団生活の引退レースとなりました。

苦しい事の方が多かったと思う!しかし、諦めずにチャレンジし続けた吉村を誇りに思う!

あなたと出会えたことが今の私の指導スタイル確立の第一歩でした!

これまでお疲れ様でした!

そして、ありがとう!

新型コロナウイルスが終息したら、またいっぱい語ろう!