学びの改革
マーガレット先生のお話の中に、SFUにおける学びの改革について触れられた部分があった。学校で学ぶ『知識』や『情報』を、ただそれだけを教師が教え、どれだけそれが身についたかを測るやり方をよしとしない…と。
これは、わたしの中にある『学び』の視点や『学びをつくる会』の考えと近いものがあり、驚いたし、同じように考え理論化し、実践に取り組んでいる人たちがいることを嬉しく思った。
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私は質問した。
「『深く学ぶ』という視点をとても重要だと思っているのですが、もう少し具体的に教えてください」
彼女は答える。イーガン氏の教育思想の本を片手に…。
「知識や情報よりも一人ひとりの想像力をより豊かにかに発揮させるかを大切にするのです。例えば、一つのことをより深く考えていく学びです。
具体的例を一つ。試験的プロジェクトとして、それぞれの子が『一つのトピックス』を課題として持つことを励まします。ある少女は『りんご』を選んだ。りんごを食べる、りんごの絵を描く、りんごの写真を撮る、他の国のりんごの状況を知る、社会的消費の状況についても調べる、ビジネスについても、それを12年間かけて学び続け『専門家』になっていきます。
もう一つ。教えるという問題ですが、これについても教師が一方的に知識や情報を伝えるというやり方をよしとしません。生徒がどれだけそのことについて話す、対話する、そうしたことを経なければ力はその子のものにならないと考えています。教師が教えるだけの場合は、その知識の身につき方は10%、子どもたちが話しそれを教師が受け止めながら学ぶときは80%、子どもたちが互いに教えあったとき90%の力がつく…、そうした結果も報告されています
また、本を読むこと一つとっても、学習には好奇心がとても重要だと思っています」
「とても共感して聞きましたね。子どもが学習課題を、自分の生活や自分につながる物語として学ぶ。これはとても大切なことだと私も考えています。
私は、例えば一年生で『1』を教えるとき、子どもたち一人ひとりに自分の発見した『1』をみんなの前に持ってきてもらい発表してもらいました。鉛筆が1本、ノートが1冊、金魚が1匹、黒板が1つ…と。すると、こんな子がいました。「先生が1人います…」なんて。素敵です世ね。
同じ『1』でもボクが1人、お母さんが1人、でもそうした人間たちをみんなのせて地球が1つある(この部分は谷川俊太郎の詩を使って)。ただ数字の1を教えるのではなく、こうした豊かな広がりと発見の中で知識を教室の物語、その子の物語として深く学ぶ必要があると思っています」(この『りんご』を扱った『トピック』授業については、これでよいか考えるところもある)が。
彼女はさらに言った。
「よくいろいろな国の人たちが見学に来ます。この間小学校を見学したH市の人たちは、子どもたちに自国のプレゼンテーションをしましょう、ということになって子どもたちの前で授業化してくれたのですが…。
みなさん、ほとんどがコンピューターを使って写真などを見せながら説明するんですよね。子どもたちはただ聞いているだけです。中には、『この問いに答えてくれた最初の5人にカードをあげましょう』などとやる。これでは子どもたちの豊かな学びとはなりません…」
「ああ、それは速く出来たものが優れているというメッセージの脅迫的な教育になってしまっていますよね」