ハレー彗星と長寿 | 沖縄旅行 その他旅行のブログ

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2012(平成24年)からの沖縄、北海道、九州、本州の旅

 ハレー彗星が前回地球に接近したのは1986年です。その前の接近は1910年でした。1910年に学生だった人が1986年に再び彗星の接近を迎えようとして居ました。ハレー彗星を二度見られる人はたまに居ますが、1910年の接近の時はちゃんと見た人はそんなに居なかったのです。何故かと言うと「接近の影響で空気が無くなる」と言う噂が流れ、人々は酸素ボンベ代わりに自転車のチューブを買いこんだり、戸外に出ることを避けたりする騒ぎだったため、せっかくの彗星をわざわざ見ようと言う風潮は薄かったのです。しかしその人は勇猛果敢にも最接近時に屋根に上ってじっくり見たのだそうです。恐怖よりも知的好奇心や冒険心が優っていたのでしょう。その甲斐あって尾を引いた彗星を肉眼でもはっきり見ることが出来ました。感動は深く、ぜひハレー彗星の神秘な姿をもう一度見たい、と思っていらっしゃいました。…と言う話から1986年の接近時に三鷹の東京天文台の日江井先生が観測会を設定して下さいました。ミニ講演会と天文台見学会とも言える内容で、つまり日江井先生と参加者は1910年の接近の時の彗星の様子や当時の騒ぎなどのエピソードを聞く事が出来、また全員が天文台の望遠鏡を使ってハレー彗星を見る事が出来ると言う機会でした。ただ、天文台で一番性能の良い望遠鏡は、翌日皇太子殿下(=当時、現上皇陛下)がおいでになる事になったと言う事で、準備のため使用できず、2番目に性能の良い望遠鏡が提供されました。一応、翌日皇太子殿下がお見えになる位の観測に良い時期の筈でしたが、1986年の接近時は彗星は地球との距離が1910年の時ほど近くはなく、望遠鏡を使っても、あれがハレー彗星、かな?と言う程度の見え方でした。しかしこの中の誰ももう二度とハレー彗星を見ることはないだろうと思うと感慨深いものがありました。日江井先生も、ハレー彗星を二度見る人は貴重で幸運だと仰って居ました。自分の意思で観測しようと思ってできる状態を76年も続けられることはレアだということでしょう。

 ただ、その日江井先生もかなりのご長寿でいらっしゃるのです。先生は故英文学者の高橋康也教授と中学の同級、大学も学部は違えど東大で一緒でした。乗鞍岳のコロナ観測所や海外での日蝕観測など、観測に良いけど体力的に厳しい条件を様々こなしてこられました。それにつけても長く研究と観測を続けるには、知力と視力と長寿が必要なのではないか、と思う今日この頃です。